执笔者
菊池達也 / 伊東かおり
はじめに
本目録は、広島大学文书馆(以下、「文书馆」と呼称)に寄贈された、朝日新聞社の代表取缔役専務?大阪本社代表などを務めた内海紀雄氏と、その父であり戦前期に同盟通信社の編集局参事などを務めた、内海朝次郎氏の資料を収録する。
内海纪雄氏の略歴
内海纪雄氏は、昭和15(1940)年9月12日に东京で生まれた1。昭和18年より五岛?久贺岛(现长崎県五岛市)田ノ浦で育ち、五岛高校を経て、大阪大学経済学部に入学した。
大学を卒业后、昭和39年に朝日新闻社に入社し、大阪本社?社会部に配属された。その后、広岛支局次长、大阪本社?社会部次长、四国総局长などを経て、平成元(1989)年6月大阪本社?社会部长に就任するまで、主に社会部畑を歩んできた。以降の役职については【表1】を参照されたい。
【表1】 内海纪雄氏の朝日新闻社での主要な経歴&苍产蝉辫;
平成元年6月24日付 | 大阪本社?社会部长 |
平成3年7月15日付 | 东京本社?総合企画室副室长 |
平成5年8月1日付 | 名古屋本社?编集局次长 |
平成6年5月26日付 | 大阪本社?编集局次长 |
平成7年7月1日付 | 大阪本社?编集局长 |
平成9年1月10日付 | 东京本社?総合企画室长 |
平成9年4月1日付 | 东京本社?経営企画室长 |
平成9年6月25日付 | 役员待遇 経営企画室长 |
平成10年6月24日付 | 取缔役 |
平成12年6月23日付 | 常务 贩売?広报担当兼社长室长 |
平成13年5月26日付 | 専务 贩売?広报担当 |
平成15年6月24日付 | 代表取缔役専務 大阪本社代表 |
平成18年6月23日付 | 代表取缔役専務 大阪本社代表 退任 |
平成21年5月から翌年11月まで日本高校野球连盟副会长を务めたほか2、宝塚大学特任教授、公益财団法人香雪美术馆常务理事?馆长、长崎県公立大学法人评価委员会委员、东大寺信徒総代、五岛文化协会顾问、五岛市ふるさと大使などを歴任した。着书?编着には、『五岛?久贺岛年代记』(福江市立久贺小学校创立百周年记念事业期成会、昭和49年)、『一记者の戦中?戦后』(北泉社、昭和53年)、『潮鸣り遥か―五岛?久贺岛物语―』(梓书院、平成26年)、『わが家のルーツと歴史:未来へのメッセージ』(私家版、令和2年)などがある。&苍产蝉辫;
内海朝次郎氏の略歴
内海朝次郎氏は、明治33(1900)年8月28日、长崎県五岛の旧久贺村(现五岛市)田ノ浦で生まれた3。田ノ浦寻常小学校、久贺寻常高等小学校、长崎県立五岛中学校を経て、大正9(1920)年、明治大学専门部政治科に入学した。
大正12年に长崎新闻社、同15年に东京?千代田通信社に入社したのち、昭和2年に新闻连合社へ移った。新闻连合社では当初、社会部记者として鉄道省と宫内省を担当していたが、昭和4年からは政治部に転じ、逓信省を担当した。
昭和11年6月、新闻连合社は电通と合併し同盟通信社が発足したが、同月、朝次郎氏は病気退社、五岛へ帰郷して2年间の疗养生活を送った。昭和13年、同盟通信社政治部に復职、その后、编集局调査部长、出版部长、企画局审査部长、资料部长、编集局参事をつとめた。
新闻连合社?同盟通信社で勤务していた顷には着书の执笔も行っており、単着『通信特别会计の生まれるまで』(交通経済社、昭和8年)、『逓信畠の先辈巡礼』(交通経済社、昭和10年)、『続逓信畠の先辈巡礼』(交通経済社、昭和11年)や、编着『国际宣伝戦』(同盟通信社调査部编、高山书院、昭和15年)を刊行している。
しかし昭和18年、再び体调を崩して家族を伴い五岛へ再び戻り、疗养に努めたが昭和21年12月に死去した。
Ⅰ. 寄贈および整理の経緯
内海纪雄関係文书および内海朝次郎関係文书は、平成18~29年にかけて10回にわたり、内海紀雄氏から寄贈を受けたものである。内海氏と旧知の記者仲間であった金井宏一郎氏(当時、中国放送代表取缔役社長?文书馆顧問)の紹介が寄贈のきっかけであった。
寄赠时の资料は、内海纪雄氏ご自身の手により、封筒?袋等でテーマ别に仕分けがなされていた。そこで整理にあたっては、氏の整理意図を尊重し、そのまとまりを崩さずに形态别で、9つの大分类を定め、基本的に年月日顺で配列した。またこのうち2.书籍、5.册子、6.书类については后述するように中分类を设定し、目録採取した。なお、まとまりの中には、异なる内容のものが一部混在しているが、その场合、まとまり全体の性格を吟味したうえで、【表2】にあるように大分类と中分类に振り分けた。
【表2】 各文书の分类ごとの点数一覧と公开状况&苍产蝉辫;
文书名 | 大分类 | 中分类 | 番号 | 点数 | 公开の可否 |
---|---|---|---|---|---|
内海纪雄関係文书 | 1. ノート? スクラップブック |
(1)スケジュール帐 | 00001~00002 | 2 | 公开 |
(2)取材ノート?メモ | 00003~00020 | 18 | 公开 | ||
(3)会议ノート | 00021~00036 | 16 | 公开 | ||
(4)その他ノート?メモ | 00037~00077 | 41 | 公开 | ||
(5)スクラップブック | 00078~00092 | 15 | 公开 | ||
2. 書籍 | (1)朝日新闻社関係 | 00093~00570 | 478 | 公开 | |
(2)小型本 | 00571~00986 | 416 | 公开 | ||
(3)単行本 | 00987~01828 | 842 | 公开 | ||
3. 雑誌 | (1)朝日新闻社関係 | 01829~01951 | 123 | 公开 | |
(2)その他 | 01952~02165 | 214 | 公开 | ||
4. 会報?機関誌 | (1)朝日新闻社関係 | 02166~02400 | 235 | 公开 | |
(2)その他 | 02401~02934 | 534 | 公开 | ||
5. 冊子 | (1)朝日新闻社関係 | 02935~03093 | 159 | 一部非公开 | |
(2)その他 | 03094~03208 | 115 | 公开 | ||
6. 書類 | (1)原稿等 | 03209~03358 | 150 | 一部非公开 | |
(2)业务资料 | 03359~03501 | 143 | 全て非公开 | ||
(3)収集资料 | 03502~04253 | 752 | 全て非公开 | ||
7. 写真 | (1)アルバム | 04254~04275 | 22 | 公开 | |
(2)写真 | 04276~04334 | 59 | 公开 | ||
(3)フィルム | 04335~04337 | 3 | 公开 | ||
8. 物品 | (1)名刺 | 04338~04390 | 53 | 公开 | |
(2)记録媒体 | 04391~04395 | 5 | 公开 | ||
(3)その他 | 04396~04400 | 5 | 公开 | ||
9. 書翰 | (1)内海纪雄作成 | 04401~04535 | 135 | 一部非公开 | |
(2)内海纪雄宛 | 04536~10159 | 5,624 | 全て非公开 | ||
(3)内海阳子宛 | 10160~10224 | 65 | 公开 | ||
(4)その他 | 10225~10332 | 108 | 一部非公开 | ||
(5)书翰整理箱?封筒 | 10333~10422 | 90 | 公开 | ||
総计 公开資料(本目録採録分) |
10,422 3,866 |
文书名 | 大分类 | 中分类 | 番号 | 点数 | 公开の可否 |
---|---|---|---|---|---|
内海朝次郎関係文书 | 1. 冊子 | (1)书籍 | 001~006 | 6 | 公开 |
(2)雑誌 | 007~008 | 2 | 公开 | ||
(3)册子 | 009~012 | 4 | 公开 | ||
2. 書類 | - | 013~037 | 25 | 公开 | |
3. 書翰 | (1)内海朝次郎?千恵子作成 | 038~082 | 45 | 公开 | |
(2)内海纪雄宛 | 083~458 | 376 | 公开 | ||
(3)书翰整理箱?封筒 | 459~467 | 9 | 公开 | ||
総计 | 467 |
Ⅱ. 資料の公开制限について
内海紀雄氏は、文书馆に「内海纪雄関係文书」を寄贈するにあたり、一部の資料について「死後公开」を希望した。しかし、朝日新聞社の記者として、また同社の重役として長年勤務された内海氏の文書の中には、「死後公开」と指定されたもの以外にも、個人の権利(おもにプライバシーの保護)や団体の利益(おもに経営上の秘密や取材源の秘匿)という観点から類似の資料が多数含まれていた。
また、広島大学文书馆では「広島大学文书馆学術的資料の利用等に関する内規」を定め、個人に関する情報や法人等又は個人の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれのある情報等は、一定の年数が経過するまで利用を制限している。「死後公开」という表現だけでは、死亡後直ちに公开すべきという解釈も可能となるため、「広島大学文书馆学術的資料の利用等に関する内規」の規定との整合性をつける必要が生じた。
さらに当面非公开が妥当と考えられる文書の中には、目録そのものを公开することが、取材源の秘匿や団体?個人の権利利益を不当に害する恐れのあるものがあった(たとえば書翰の発信者名が明らかになることで、取材源が特定されてしまうケースが想定される)。
こうした諸問題を踏まえ、目録と資料の公开?利用方法について内海氏と協議を行い、文書の寄贈契約とは別に資料の公开条件について書面で覚書を交わすこととした。覚書によって定められた、資料の利用制限は以下の通りである。
1. 「非公开」資料の範囲と期間
まず、寄贈時に内海氏より「死後公开」という特約事項が付された資料(番号02956、02964、02970、02971、02976、03009、04401~04409、04413、04427、04446~04448、10324)、および「別表2」中、番号03271、03273、03274、03276、03331、03347、03348
(6.書類(1)原稿等)、03359~03501(6.書類(2)业务资料)、03502~04253(6.書類(3)収集资料)、04433~04444(9.書翰(1)内海纪雄作成)、04536~10159(同(2)内海纪雄宛)は、プライバシーや社益保護、取材源の秘匿などの観点から非公开となった。
非公开の期間は、最初に資料を受け入れた年から起算して70年間とし、2077年3月31日までとする。非公开期間中、当該資料の目録は不特定多数が閲覧できないよう、紙媒体での印刷やインターネット上での掲示等を行わない。
2. 「非公开」資料の学術利用について
内海氏の希望に基づき、契約締結後から研究者による学術研究を目的とする場合に限り、以下の条件を満たせば「非公开」資料の利用を認める。
(ア)非公开資料の利用が認められる研究者の条件
当該「非公开」資料の利用が認められる研究者とは、国内外の学術研究機関に所属している教職員、また
は文部科学省および日本学术振兴会が 交付する研究者番号を取得している者を指す。
(イ)「非公开」目録の閲覧方法
(ア)を満たし、当該「非公开」資料の目録の利用を希望する者は、「内海纪雄関係文书特別利用条件承
諾書(目録)」を文书馆に提出することで、非公开分の目録を閲覧できる。当該目録の閲覧?利用は文書
馆内に限られ、データの复製やカメラ等による撮影は认めない。
(ウ)「非公开」資料の閲覧方法
(イ)に基づいた目録利用の後、「非公开」資料の閲覧を希望する者は、事前に「内海纪雄関係文书特別
利用条件承諾書(資料)」、「内海纪雄関係文书特別利用申請書」、および閲覧を希望する資料の一覧を
文书馆に提出し、文书馆により利用が適正であると認められた場合に限り、文书馆内で資料を閲覧でき
る。閲覧に际してカメラ等による撮影は认めない。
Ⅲ. 資料の概要
内海纪雄関係文书
内海纪雄関係文书の概要を紹介する。本文書に収集している資料は10,422点であり、下記のように分類?整理を行った。以下、大分类?小分類の項目に沿って説明する。
1. ノート?スクラップブック
主に内海紀雄氏が作成したと思われるノート?スクラップブックを、(1)スケジュール帐、(2)取材ノート?メモ、(3)会议ノート、(4)その他ノート?メモ、(5)スクラップブックに分類し、作成年月日順に採録した。(1)は平成2、3年に作成された内海紀雄氏のものと思われるスケジュール帳を採録した。(2)は主に取材時に用いたと思われるメモ帳や、それをまとめたノートを採録した。(3)は主に社内における会議で利用されたと思われるノートを採録した。(4)は上記の分類に当てはまらないと考えられるノート?メモ帳を採録した。(5)は取材に関連する記事をまとめたスクラップブックを採録した。
2. 書籍
册子形态で、商业用不定期刊行物を书籍とした。(1)朝日新闻関係、(2)小型本、(3)単行本に分け、さらに下に记した内容别に分类したうえで、タイトル顺に採録した。このうち(1)は、编着者が朝日新闻社やその関係者であるもの、出版が朝日新闻社であるもの、タイトルに朝日新闻が含まれているものを採録した。また(2)は、(1)に含まれない新书?文库を、(3)は上记に含まれない书籍を採録した。
①マスメディア ②原爆?核 ③哲学?思想?宗教 ④歴史?歴史学 ⑤天皇
⑥地理?地誌?纪行 ⑦政治?経済 ⑧宪法?法律 ⑨教育 ⑩戦争?军事
?事件?犯罪 ?社会科学一般 ?灾害?公害 ?芸术?スポーツ ?言语?文学
3. 雑誌
册子形态で、商业用定期刊行物を雑誌とした。朝日新闻社にかかわる机関や会が発行したものとそれ以外に分类し、それぞれ、タイトル顺にしたうえで作成年月日顺に配列した。
4. 会報?機関誌
册子形态であり、かつ商业用ではない定期刊行物、机関や団体が会员?构成员に向けて広报?宣伝?内部连络等を目的として発行したものを会报?机関誌とした。一部に、一枚纸のもの、切り抜いたもの、缀じられたものなどがある。朝日新闻社にかかわる机関や会が発行したものとそれ以外に分类し、それぞれ、タイトル顺にしたうえで作成年月日顺に配列した。
5. 冊子
册子形态であり、かつ商业用ではない不定期刊行物を册子とした。朝日新闻社にかかわる机関や会が発行したものとそれ以外に分け、さらに下记の项目に分类し、作成年月日顺に配列した。
(1)朝日新闻社関係
①社内资料(主に朝日新闻社内で利用されたと考えられるもの。研修资料や讲演会の要旨、报告书など)
②社史?年史?记念誌等 ③集成资料(记事などを集めて册子にしたもの) ④自伝?追悼文集
⑤プログラム?集会资料 ⑥パンフレット⑦展示绍介?図録 ⑧抜刷 ⑨知恵蔵别册
(2)その他
①原爆関係 ②报道?メディア関係 ③大阪大学関係 ④名簿 ⑤社史?年史?记念誌等 ⑥集成资料
⑦自伝?追悼文集 ⑧プログラム?集会资料 ⑨展示绍介?図録 ⑩抜刷 ?その他
6. 書類
紙媒体の資料のうち、冊子形態である上記1~5、および書翰、写真、名刺以外のものを書類とした。また、様々な形態のものが封筒や袋などに雑多に入っている場合も書類とした。その場合、まとまり全体の性格を吟味したうえで、各小分類に振り分けた。(1)原稿等(内海紀雄氏が作成者と思われる書類)、(2)业务资料(朝日新聞社の会議資料など内海紀雄氏の業務に関するものと思われる書類)、(3)収集资料(内海紀雄氏が取材や原稿執筆などにあたり収集したと考えられる新聞?雑誌記事や広報資料など)に分け、さらに下記の項目に分類し、作成年月日順に配列した。
(1)原稿等
①メモ(取材、原稿の执笔、弔电文の作成などにあたり作成されたと思われるメモ)
②原稿(内海纪雄氏が作成者と思われる原稿)
③记事(内海纪雄氏が执笔し掲载された広报や新闻记事など)
(2)业务资料
朝日新聞社の会議資料など、内海氏の業務に関する書類を採録した。具体的には取缔役会?経営会議配布資料
(平成10~18年)、编集改革委员会関係资料(平成17~18年)、他社との提携を含む印刷?贩売?広报関係
资料(平成12~18年)、株主総会関係资料(平成20~26年)などが含まれる。
(3)収集资料
①爱媛県教育関係(爱媛県の教育问题に関する资料)
②八海事件関係(八海事件に関する资料)
③核?原爆(核问题の报道记事、原爆に関する取材资料)
④戦争?平和(海外における戦争や平和问题に関する资料)
⑤グリコ?森永事件関係(グリコ?森永事件に関する资料)
⑥朝日新闻阪神支局袭撃事件関係(朝日新闻社阪神支局袭撃事件に関する资料)
⑦高校野球関係(高校野球に関する资料)
⑧朝日新闻社関係(上记の分类に当てはまらない朝日新闻社に関する报道记事など)
⑨政治?経済(日本の政治や経済に関する资料)
⑩长崎(内海纪雄氏の出身地五岛及び长崎の报道记事など)
?地方(长崎を除く、地方の报道记事など)
?报道?メディア(报道やメディアのあり方や问题などを取り上げた报道记事など)
?交友関係(内海纪雄氏と交友関係が见受けられる资料。个人ごとにまとまりを有する)
?趣味?文芸(内海纪雄氏の趣味?文芸活动に関係すると思われる资料)
7. 写真
写真を、(1)アルバム、(2)写真、(3)フィルムに分类し、作成年月日顺に採録した。
8. 物品
上記1~7や書翰に当てはまらない資料を(1)名刺(名刺ケース、名刺ファイル)、(2)记録媒体(DVD、CD-ROM、フロッピーディスク)、(3)その他に分類し作成年月日順に採録した。
9. 書翰
书翰を以下の4つに分类し採録した。なお、比较的新しいものが多いため、プライバシー保护の観点から、基本的に件名は「手纸」「年贺状」「礼状」などとして、具体的な内容は记していないものが多い。
(1)内海纪雄作成
内海纪雄氏が作成した书状案、コピー、电子メールをプリントアウトしたものなどを、宛先の名前顺にしたうえ
で、作成(発信)年月日顺で採録した。
(2)内海纪雄宛
内海纪雄氏宛に届いた书翰を、作成者の名前顺にしたうえで、作成年月日顺で採録した。
(3)その他书翰
上记の分类にふくまれない书翰を、作成者の名前顺にしたうえで、作成年月日顺で採録した。
(4)书翰整理箱?封筒
寄赠时、书翰の多くは、内海纪雄氏ご自身の手により、封筒、箱などで仕分けがなされていた。それら整理がな
されていた封筒、箱を作成年月日顺に採録した。
内海朝次郎関係文书
内海朝次郎関係文书の概要を紹介する。本文書に収集している資料は467点であり、下記のように分類?整理した。以下、大分类?小分類の項目に沿って説明する。
1. 冊子
冊子形態のものを、(1)书籍、(2)雑誌、(3)册子に分類し、作成年月日順に採録した。商業用と考えられるもののうち、不定期刊行物を書籍、同じく定期刊行物を雑誌、商業用ではないと思われるもののうち、不定期刊行物を冊子とした。
2. 書類
册子形态以外の书类を、作成年月日顺に採録した。
3. 書翰
书翰を、以下の3つに分类し採録した。
(1)内海朝次郎?千恵子作成书翰
内海朝次郎?千恵子氏が作成?送付した书翰を、宛先の名前顺にしたうえで、作成年月日顺で採録した。おそら
く、朝次郎氏の文集を编集する际、内海纪雄氏が収集?利用したものと思われる。
(2)内海纪雄宛書翰
内海纪雄氏宛に届いた书翰を、作成者の名前顺にしたうえで、作成年月日顺で採録した。比較的新しいものが多
いため、プライバシー保护の観点から、基本的に件名は「手纸」「年贺状」「礼状」などとして、具体的な内容
は记していない。
(3)书翰整理箱?封筒
寄赠时、书翰の多くは、内海纪雄氏ご自身の手により、封筒、箱などで仕分けがなされていた。それら整理がな
されていた封筒、箱を採録した。
おわりに―今后の见通し―
以上、「内海纪雄関係文书」および「内海朝次郎関係文书」の整理と公开の経緯、その概要について述べた。「内海纪雄関係文书」は「非公开」資料を除いた3,872点が、「内海朝次郎関係文书」は467点全てが本目録に採録されている。なお、文书馆は平成30年以降も継続的に内海氏から資料の寄贈を受けており、追加資料についても一般利用が認められるものは今後目録を作成?公开する予定である。
今回公开する資料からは、昭和初期から平成まで親子二代の「新聞人」の様々な足跡を知ることができる。本資料が多くの人々に活用されることを望むものである。
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1内海纪雄氏の略歴は、著作の著者プロフィールを参照した。ただし、朝日新聞社での経歴は、本目録所収の資料を参考にするとともに、特に大阪本社?社会部长以降の履歴は『朝日新聞』に掲載された同社人事に拠った。
2就任は『朝日新闻』平成21年5月23日付(朝刊、23页)を、退任は『同』平成22年11月27日付(朝刊、23页)を参照。
3以下の略歴は、内海朝次郎着?内海纪雄编『内海朝次郎文集―一记者の戦中?戦后』(北泉社、昭和53年)、内海纪雄编?発行『追想内海朝次郎―続?一记者の戦中?戦后』(平成7年)を参考にした。