麻豆AV

国际同窓生からの声 第6回 

西条に魅せられて

こんにちは、シティマイムナーと申します。仲间内ではマイ ゴーザリと呼ばれることが多いですが、シンプルにマイとも呼ばれています。
インドネシアの首都ジャカルタから来ました。西条には约5年住み、修士号と博士号を取得しました。修士课程は、2009年9月に修了しましたが、西条にすっかり魅せられていた私は、今度は博士课程に进むため、2012年10月に西条に戻り、2015年9月に无事、博士课程を终えました。そしてさらに6か月、滨顿贰颁の金子先生の研究室で客员研究员として在籍しました。

现在は、インドネシア共和国の交通省(通称惭辞罢)で陆上交通に関するシニア研究员として働いています。惭辞罢には2003年末から勤务しています。
都市の交通计画、交通の自由化や环境にやさしい交通展开の最新の问题等を研究しており、毎日忙しく过ごしています。加えて、インドネシと日本の二国间会议を含むインドネシア交通省が开催する二国间、多国间の会议にも関わっています。

忘れられない西条での生活を振り返ってみたいと思います。初めて西条を访れたのは、2008年の9月で、それは大変衝撃的なものでした。というのも西条が、私が想像していたのと全然违う田舎だったからです。初日にキャンパスまで自転车で行きましたが、长い间、自転车に乗ることもなかったせいか、とても疲れました。留学生活の最初こそ戸惑いもありましたが、ひと月もすると生活にも惯れ、楽しめるようになっていました。西条に対して深い爱着を感じるようになっていたころ、帰国の时を迎えました。

それから3年后、幸运にも文部科学省の奨学金によって博士课程で学ぶ机会を得ました。このときは、家族とともに、西条に戻ってきました。私と夫は広岛大学の学生に、子供たち二人は叁ツ城小学校の生徒になり、家族全员が学生でした。

日本に、殊に西条に住むということは知识、経験、ネットワークを筑くという点で多くの利点があり、あらゆることに対する向学心を常に持ち続けることができました。学生生活と学生としてではない立场での社会生活、そのバランスを保つ事が、知识、経験、ネットワークづくり等で利益を得るためには大切です。実际、逆境に直面しそれを乗り越えたこと、それが、私にとって最大の収穫のひとつです。さらに、日本文化における规律、精神、尊敬という概念は、私の习惯に多大な影响を与えています。计4年半、西条に住みましたが、私、そして家族みんなが、西条のことを大好きになるには十分な期间でした。西条は私にとって间违いなく第二の故郷であり、时折、家族みんなでまた行こうと话しています。日本でのすべての思い出、特に西条のことは私の心にいつまでも残るでしょう。

広岛大学同窓生ネットワークが、アイデアや経験などを分かち合う存在であり続けることを愿います。
広岛大学主催の行事に参加すること、それは私にとって、故郷に戻ったような気持ちになる、いつでも喜ばしいことです。

(原文:英语)

 

写真上:アパート近くのブールバール通りで降雪を楽しむ

写真上: 浴衣を着てる私と家族

写真上: 指导教员の金子慎治先生と博士号の学位授与式にて

プロフィール

氏名:シティ マイムナー

広岛大学での所属:国际协力研究科(滨顿贰颁)

在籍年:博士课程前期 2008-2009年

    博士课程后期 2012-2015年

现在の职业:インドネシア交通省 シニア研究员


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