
鈴木 大裕 氏

左から鈴木 大裕 氏、滝沢 潤 氏、馬場 卓也 氏
第340回滨顿贰颁セミナーを开催しました
2016年12月19日(月)18:00~20:30 広岛大学学生プラザ1阶西侧フリースペース 参加者39名
本セミナーは、アメリカ、日本、ザンビア、という异なる文脉からの视座を通じて、世界の、そして日本の公教育と教师のあり方について议论を深めることを目的として実施しました。『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』(岩波书店)の着书である铃木大裕氏(高知県土佐郡土佐町学校?行政コーディネーター)による基调讲演、引き続いて大阪市の教育改革を研究する滝沢润氏(教育学研究科)、马场卓也氏(国际协力研究科)を交えたパネルディスカッションを行いました。
铃木氏による基调讲演での主なポイントは以下のとおりです。
アメリカでは教育を受ける権利は宪法で保障されていない。1973年のロドリゲス判决では、连邦裁判所は教育予算制度の设计を各州の裁量にゆだねた。1983年の『危机に立つ国家』报告书以后にアメリカが取った选択は公教育を市场原理にゆだねるというもの。日本の教育も今立ちどまり考えることが必要。
このアメリカの教育改革の背景にあるのは新自由主义の考え。そのもとでは、学校と教育はサービスプロバイダー、子供と亲はカスタマー、教育委员会はカスタマーサービスとされる。その结果、教育の権利を保障するのではなく、教育现场に结果を要求するのが国家の责任となっている。选択、自己责任という名のもとにパブリックなものが商品化されていく。公教育の概念そのもの、日本では当たり前のように享受している、家の近くの公立学校で一定の质の教育を受けられること、がアメリカでは揺らいでいる。
翱贰颁顿の笔滨厂础は数値化とスタンダードの提示により、どの国もどの子供も比べることのできる対象とした。セオドア?ポーターはこれを“距离のテクノロジー”と表现。事象を俯瞰してとらえ、个体を数値で客観的にとらえることにより、「详しい知识と个人的信頼の必要性の最小化」がもたらされている。
日本でも全国学力テスト(悉皆式)の再开、公设民営学校、公営塾の导入などスタンダードを导入し、市场原理を取り入れた动きが近年强化されている。今度の学习指导要领で、教师が何を教えるかという「カリキュラム?スタンダード」から、子供は何を身に付けるべきかという「パフォーマンス?スタンダード」に移行しようとしている。学校教育にパフォーマンスを求める背景には労働市场で求められるパフォーマンスとの関係が重视されていると言わざるを得ない。果たしてグローバル市场に最适な人间を作るのがプロフェッショナルとしての教师の役目だろうか。全体のデザイン、スタンダードに缚られるのではなく、もともと违う、一人一人の个性にどう向き合うのかがプロフェッショナルとしての教员の役割ではないだろうか。
最后に、学力试験で好成绩を収め、よい学校、よい会社に行くのが唯一絶対の幸せではなく、幸せや成功の価値の多様化こそが教育の果たすべき役目と感じている。
続いて滝沢氏からは、『大阪市の教育改革が「めざしたこと」「见逃したこと」』と题して、桥下彻氏の提示した、首长による教育目标の决定、教职员の详细かつ広范な惩戒?分限规定等が盛り込まれた教育基本条例案に対して、世论调査の结果は賛成が反対を上回ったこと、学校选択制に関する桥下氏の主张を踏まえ、大阪市教育委员会がどのように熟议を重ねたかについて绍介がありました。
最后に马场氏からは、『「见える化」によって何を见えなくしたのか-ザンビアプログラムの経験を通してー』というテーマで、「谁にでもわかる」、「公司活动」、「映像?グラフ?図表?数値によって」という要素で定义された「见える化」が持つ危険性が提示されました。また、広岛大学国际协力研究科が実施しているザンビア特别教育プログラム(ザンビアへの青年海外协力队派遣と修士号の取得を行う)やザンビアへの授业研究支援を通じ、ザンビアの教育省関係者らが现地での活动や国际学会発表などを通じ、やる気、爱国心を涵养し、长期的にザンビアの教育の在り方を検讨する専门家集団として努力を积んでいることが绍介されました。
质疑応答では、主に以下のようなやりとりがありました。
教师の専门性について:すぐに教师になるか、途中からなるかはどちらがよいかという问题ではない。大事なことは子供を扱うプロとしての力があるかどうか。教师とは子供间の関係性を作ることを支援する仕事。それは础滨に代替できないもの。教育が人间から、人间の命から最も远いところで语られるようになってはダメ。
どうやって教师は社会や保护者からの信頼を得ていくのか:障害のある生徒も在籍する大阪の大空小学校の事例を见ていると、学校を谁にでも见てもらうことで、専门家としての教员の力量、どうしてこうした数字が出ているかの背景を理解してもらうきっかけとなる。
日本の教育の未来について:日本人のノーベル赏受赏は何十年も前の日本の教育の成果が発现したと言える。日本の教师に以前闻いた调査で、なぜ教师になったのかという理由に自分が教わった先生の影响がある。このように长い期间を経て出てくる教育の成果というものもあることに留意しないといけない。
切迫した现実への対処:中国地方を车で行くと、廃校になった学校を见かけることが近年多くなった。少子?高齢化社会の中でコストの面で日本の地方が何を残し、何を切るのか、ぎりぎりの选択を迫られており、教师とは、公教育とはこうあるべきだという理想だけでなく、差し迫っている现実に优先顺位を明确にして対処せざるを得ない状况にある。
最后に、アメリカ、日本、ザンビアという3つの视座から议论することで、日本における近年の教育成果の「见える化」重视の倾向の中で、日本の公教育、教师が「见えないもの」、教师の専门性を大事にしていく重要性について、教职を目指す学生はじめ参加者全员が考えるきっかけとなれば本セミナーの开催意义があるとまとめ、本セミナーを终了しました。