
放射线の有効利用を目指し、被ばくリスクを解明する研究。
长短のある放射线利用。リスク解明からその议论と有効活用を进める取组み。

私は、放射线の医?工学応用と放射线灾害の放射线量评価を専门にしています。ご存知の通り、放射线は、有用性が高い反面、その利用には被ばくのリスクを伴います。そのため、放射线のリスクを明らかにすることは、放射线利用に不可欠なことです。この放射线のリスクというのは、お医者さんや生物研究者が研究対象とする健康影响や生物応答を被ばく线量で除したもので表されます。つまり、我々の评価する线量や线质は、「放射线リスク推定の両轮の一方」と考えることができるのです。
もう少し、具体的な研究内容をご説明しましょう。
私どもの量子エネルギー工学研究室は、30年前から広岛?长崎の原爆线量の评価に従事しているほか、チェルノブイリ原発事故の汚染调査、セミパラチンスク核実験场周辺住民の被ばく线量推定、闯颁翱东海村核燃料工场临界事故に関わる住民の被ばく线量推定などを行ってきました。また现在は、福岛第一原子力発电所事故による汚染调査?被ばく线量推定などを継続して行っています。これらの研究は、被ばくした方たちのためであり、さらには今后起こるかもしれない放射线灾害时の防护にも役立つものです。

そして、もう一方の、放射线の医?工学応用の例としては、粒子线治疗场の线量と线质の评価を主とした、测定手法や机器の开発が挙げられます。特に、マイクロドシメトリ手法を用いた线量?线质の评価を行うとともに、放射线の生物効果の推定なども行っています。
こうした2本立ての研究の中身をさらに绍介しますと、现在进めている研究のひとつは、ロシアの先生と共同研究している「レンガを使った被ばく线量评価」というもの。もうひとつは、「放射性微粒子の研究」です。これは、福岛第一原発事故の后に地上にガラス状の小さな粒が落ちていて、それがセシウムの被放射线量が非常に高いと一时期话题になったもので、これもお声掛けいただいて共同研究をやっています。
このように、福岛関连の调査?研究をさまざまな形で続けているのですが、そうした过程で知り合った先生から依頼された仕事で、ベータ线の线量评価をしたものが高く评価されました。
线量评価の新しい手法开発に强みを発挥。放射线の平和利用への応用を目指す。


それは、ヤマトシジミという贝を研究している方で、福岛の原発事故以降、そのシジミに突然変异で奇形が起きるため、线量评価をして欲しいという依頼でした。その际にガンマ线による评価が一般的なのですが、シジミのように小さい生物の场合には、ベータ线の线量の方が効くと考えて、ベータ线による线量评価をして论文にまとめました。これが评価をいただいて、日本放射线影响学会の论文赏受赏へとつながったのです。
こうした受赏というのはやはりとても励みになりますが、普段の作业は地道に続けることが多いと言えます。
よくやっている调査方法としては、土壌コアという円筒形の土壌のサンプルを30肠尘ほど取って、それをスライスして、放射能の深さ分布を见るというもの。それから、植物を取って放射能を测ったり、その结果を図で表したりするんですが、私は特に、そうした作図のあたりが得意かもしれません。他の人が难しいと言っているような図を自分でつくってるときやその図を人に见せるときが一番うれしいですね。
例えば私のところでは、マイクロドシメトリという手法を使って作図をする际に、一般的には放射线の区别ができないところを、粒子ごとに分けて表示するというような図をつくる手法を开発しました。ちょっとしたことでも、いままで谁もやっていないこと、难しいと思われていることができたというときはやはりうれしくなりますね。
今后も先の2本柱で研究を进めていきますが、原爆の线量评価は2000年ぐらいまでで一旦落ち着いていますし、放射线灾害の调査もいつぐらいまでやる必要があるかということも议论の余地があるところです。そうした意味で、放射线の平和利用としての医?工学応用の研究の方がコンスタントに続けていくものになっていきそうです。
振りかえってみますと、私が放射线研究に関わるようになったのは、最初に就职した原爆放射线医学研究所がスタート地点です。元々は原子核物理実験をしていたんですが、ドクターの途中に声がかかって原医研に入り、そこから放射线の生物影响と物理との境界のようなことを始めました。もっと遡れば、最初は理科の教员になろうとしていた私が、途中で研究者へと方向転换をして、いまはその両方をやっている訳ですから、人生は分からないものだとつくづく思います。
放射线研究の歴史のある大学。学生は自分で考えられる人であって欲しい。


広岛大学で放射线関连の物理系の研究室というのは、うちと原爆放射线医学研究所の2つしかないのですが、アクティブに活跃されていた先人が多くおいでになるため、わたしもいつの间にか名前を知られるようになっていますが、私自身は人前で话すのが苦手という性格。好きなことをやらせてもらっている代偿として坛上に上がらされている、そんな风に感じています。しかしながら、いろいろな方たちと协力しながらの研究活动は、自分でも楽しく、今后も意欲的に続けていきたいと思っています。
また、放射线というのは被爆地である広岛?长崎ではあまりよい印象ではありませんが、悪いことばかりではなくて、有効に使うとこんなにいいことがあるんだよというところを明らかにしたいというのも私の目指すところのひとつです。被爆された方と会话したり、饭馆村の方々の相谈を受けたりする际には、かなりデリケートな问题をはらむので、注意を払いながら発言するよう努めるなど、対人面での苦労も少なくありません。しかし、放射线は人の役に立つ面もあることを新技术の开発などを通して理解してもらいたいと愿っています。
最后に、进路を考えている皆さんに、うちの研究科や研究室を绍介しておきましょう。
工学研究科というのは、人の生活に密接な応用面を扱うところが多く、机械工学というのはとっつきやすいし、おもしろいところもいっぱい见つかるのではないかと思います。うちの研究室を含めて、工学部の机械系というのは、就职も比较的顺调なのも魅力かもしれません。うちの场合には、実験をほとんどこの学内ではやらずに、千叶にある放医研や京都大学の原子炉実験所といった外部でやる実験がメインで、福岛の调査にも出かけていきます。そんな研究のスタイルにも兴味が持てるようでしたら、どうぞうちをめざして入って来てください。
さらに、研究の楽しみというのは、人それぞれに见つけるものです。私自身は、中学の教员になっていたら、いまのような楽しみはなかっただろうと思いますから、この道に进んで良かったと感じています。最近はすぐに答えを求める人が増えていますが、自分の头でしっかり考えられることが研究者には必要なことではないかと思います。自身の兴味を掘り下げ、目标に向かって努力しながら、自分だけの楽しみを见つけていきましょう。


Satoshi Endo
量子エネルギー工学研究室 教授
1987年3月 宮城教育大学 教育学部教員養成課程 卒業
1992年3月 広島大学 理学研究科博士課程後期(物理学専攻)退学
1993年6月 博士(理学)取得(広島大学)
1992年4月1日~1999年3月31日 広島大学 原爆放射線医学研究所 助手
1996年11月6日~1997年8月29日 文部省在外研究員(英国 Medical Research Council Harwell, Oxfordshire)
1999年4月1日~2001年3月31日 広島大学 工学部 助教授
2001年4月1日~2004年3月31日 広島大学 大学院 工学研究科 助教授(改組)
2004年4月1日~2007年3月31日 広島大学 原爆放射線医科学研究所 助教授
2007年4月1日~2008年3月31日 広島大学 原爆放射線医科学研究所 准教授
2008年4月1日~2009年3月31日 広島大学 大学院 工学研究科 准教授
2010年4月1日~2013年3月31日 広島大学 大学院 工学研究院 エネルギー環境部門 准教授
2010年10月1日~ 広島大学 原爆放射線医科学研究所 研究推進会議研究員 併任
2012年4月1日~ 2013年3月31日 情報?システム研究機構 統計数理研究所客員准教授 併任
2013年4月1日~ 2017年3月31日 広島大学 大学院 工学研究院 エネルギー環境部門 教授
2017年4月1日~ 広島大学大学院工学研究科 機械物理工学専攻 教授(工学研究院廃止)
2020年4月1日~ 広島大学学術院(先進理工系科学研究科) 教授
2017年5月11日掲载