麻豆AV

第66回 学びを质的に転换する好机

4ヶ月、否、5ヶ月ぶりといってもよいです。すっかりご无沙汰いたしております。

引き続くコロナ祸でもより良い学习环境を维持しようと努めるなか、オンラインでの个别面谈(オフィスアワー)が重要な学修指导の机会となっています。本学法科大学院のみならず、法学部の在学生の皆さんとも面谈や个别指导の机会を设けています。

そのような机会に皆さんの话を闻いていると、法曹を志してその道を歩もうと努力しているにもかかわらず、その恵まれた才能を引き出せず、あるいは十分に活かし切れていないことに「もったいないな」と思うことがしばしばです。皆さんも自らが思うほどの成果が得られずになんとなく「どうしてなのかな」といった漠然とした疑念を抱いているようです。ただどうすればよいかがわからないので、従来の勉强法を継続しその壁を打ち破ろうと顽张るのですが、成果を実感できないために不安から逃れられず、伸び悩んでしまっているように见えます。

どうもこのような闭塞状况は初めて経験するようです。见知らぬ土地で道に迷ったかのように、対処の术に困っているようです(途方に暮れて法曹に向いていないとか言い出すこともあります)。もしそうであるならば、この闭塞状况はまさに法曹を目指そうという志をもったがゆえに対峙できる学びを见直す絶好のチャンスだと思います。

法曹を目指すといっても、司法试験が目的达成への第1ハードルであることにばかりとらわれ、この试験を资格试験と理解せずにこれまで経験してきた试験と変わらないと思いこんで、これまでの(试験)勉强で対応できる(特に一定の成功体験があればなおさら)と考え、ひたすら従前の勉强方法をそのまま持ち込むのでしょう。

これまでの勉强について、その目的と方法および达成プロセスをしっかりと分析し検証してきたのであれば、法曹への勉强も自分に合った适切な勉学が想定でき、必要があれば当初の想定を修正するなどの工夫もできます。

しかし、目的と方法の関係、目的达成プロセスそのものの具体的な把握、あるいは目的达成プロセスにおける学修レベルの进化?深化方法などをじっくりと考えることなく、おざなりにしてきた场合には、多くはこれまでの学习方法をそのまま取り込む、あるいは定番の学习方法とされるものに従うのが最善であるとして、これを受け入れるという倾向があるように思います。これまでの学习方法が学校等の教育の场で强いられたのであればそれに対して批判的な目を向けることもせずに付き従ってきた(あるいは従わされてきた)のであって、いかなる目的を达成するためにどのような方法を用い、いかに目的を达成していくのかを考える机会はあまりなかったのではないでしょうか?

文字通りに「勉めて强いる(あるいは谁かに勉めて强いられる)」という勉强が学びの癖を身につけるのに有意义な少年少女时代には必要であるといえましょう。けれども、法曹を目指す学习プロセスにおいてなお「勉强」を継続するのではいささか寂しいですね。法曹がプロフェッショナルとしてその职责を果たすのに知性の錬磨を求められる以上、主体的に学びを求め、学びの场で得た気づきを大切に抱え、その意味するところを考えて学びを工夫することで、自らの学习を学修へと质的に転换させることを体験し、それを智恵として活かしていく経験を积むことが不可欠であると思います。

法科大学院での学习の闭塞状况は法曹への道を歩むなかで学びの质的転换による活性化を図る絶好のチャンスです。単に法曹になるとかいう漠然とした目的ではなく、より具体的かつ详细に詰めた法曹像をイメージしつつ、そのような法曹になるにはどのような学びが必要なのか、その学びにおけるプロセスにおいて何がいかに锻えられていくのかを(多くの方々から助言はたくさんもらって)考えつつ自分で决めたことをやり抜いていくことが第1段阶になるでしょう。

次回は「考えることを思い出させるプロセスの重み」です。

 


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