法曹への学修を指导するにあたって、「答案はどのように书けばよいのでしょうか」との质问に悩まされることがしばしばあります。
「答案は问题事例を法的に解决するプロセスを论理的に文章化して、コミュニケーションする道具なのではないですか?」と逆に质问すると、「そうなのですけど、论理的な文章を书くというのが苦手で、どうすればよいのでしょうか?」と更なる质问が戻ってきます。
そこで、「あなたが书く文章はあなたが考えたことですよね。僕らの身体が食べたものからしか作られないのと同じで、健康を维持したければそれに必要なものを适切に摂取するほかないでしょう。あなたの考えるプロセスが论理的であれば、それを表记した文章も论理的なはずでしょう。」と答えると、「そうなんですか。でも、もともと???。」と返されます。
「であれば、答案の书き方の问题ではなく、日顷の勉强の仕方が问题なのでしょう。」と応じると、「合格に必要な知识はそれをし、演习问题でそれを。だから、大丈夫なのではないですか?」ときます。
「その本というのは趣旨や规范がまとめられていたり、これが出ればこう书きましょうという论述がブロック化してあるものとかかい?」「いわゆる基本书とか、概説书とかを読むことはないの?」と続けざまに问い返すと、「基本书とか分厚い本を読むのは苦手で???。まとめ本でよくわからないところがあったときに辞书的に関连する箇所を読むことはあります。どうせ基本书を読んでもよくわからないし、通読しようとすると、し、いつまでたっても进歩が感じられないので、合格に必要な知识を覚えていく方が自分には向いていますから。」との返答です。
「その勉强法が向いているという判断はどこから?」と问うと、「これまでの受験勉强はいつもそうでした。し、それで大学にも合格したので。」だそうです。
「どうやって覚えているの?」と闻けば、「一つひとつ正确に覚えるのは大変だけど、これで合格できるのであれば、数学の公式のようにそれを覚えていればんだから、顽张って暗记しています。」と。
「他人が考えたことを覚えなきゃならないので、大変なんじゃないのかね。それを考えた人とあなたとは违うから、どうしてそう论じるのかがわからない、だから丸暗记せざるを得ないね。」と言うと、「もちろん、理解しようとはしますが、理解できなくても覚える、それは惯れています。から。これをやれば合格できるといわれればやります。し、それを否定されることもなかったです。」って。
次回へ続く
