执笔者
平下义记
はじめに―原田康夫氏の略歴―
本目録に所収する资料は、原田康夫氏の経歴に沿って作成?集积されたものである。そこではじめに同氏の略歴について绍介する。
原田康夫氏は、昭和6年5月31日に広岛県に生まれた。昭和32年に広岛大学医学部を卒业。医学部副手を务めた后、昭和34年に広岛大学大学院医学研究科外科系耳鼻咽喉科学専攻に进学。昭和38年に医学博士の学位を取得した。昭和40年2月に広岛大学医学部附属病院讲师に着任し、昭和42年4月に広岛大学医学部助教授、昭和53年6月に医学部教授となった。この间に多数の研究业绩を上げた。特に内耳の研究に対しては世界的に高い评価が与えられ、平成6年に原田氏はバラニー?ゴールドメダルを授与されている。
また、昭和59年4月に広岛大学医学部附属病院长、平成2年4月に広岛大学医学部长に就任した。そして平成5年5月には広岛大学长に就任し、2期8年间にわたり任期を务めた。学长在职中においては、东広岛市へのキャンパス统合移転を完了させるとともに、各部局の大学院重点化を推进した。また広岛大学50周年记念事业としてサタケメモリアルホールを建设したり、旧広岛藩薬草庭园「日渉园」の大学への寄赠を実现したりするなど、施设の充実にも力を注いだ。
広岛大学を退职した后は、平成13~18年度にかけて広岛市の病院事业管理者をつとめ、広岛市立病院を统括して各病院の経営赤字を解消し病院事业の発展に寄与した。さらに平成20年度からは広岛市文化财団の常任顾问理事となり、広岛市现代美术馆馆长をつとめた。こうした原田氏の経歴については、自叙伝である原田康夫『行け、わが思いよ、大风吕敷にのって』(文芸春秋、平成21年)に详しい。兴味のある方は、こちらを参考していただきたい。
さて、こうした原田氏の多彩な経歴を反映し、本资料の内容は、医学研究、大学の学内行政、さらには文化事业など多分野にわたっている。次にその整理経过と概要について述べる。
1.&苍产蝉辫;収集の経纬および资料の原秩序
平成16年4月に広島大学文书馆が開館した。その開設準備を進める過程において、原田康夫前学長(当時)に対して小池聖一文书馆長が資料の寄贈を打診したところ、快諾の返事を頂いた。そこで平成18年2月28日に広島市中区にある原田氏の自宅を小池館長ほか数名で訪問し、資料の受贈を受けた。現状を確認したところ、資料は原田氏によって整理がなされた上で保管されていた。このため特に選別作業は行わず、そのまま受領することとした。
その后も原田氏の仕事の节目ごとに、自宅、広岛市役所、広岛大学の学长室や総务室など各所に分散保管されていた资料を十数回にわたって追加受赠した。现在も継続的に资料の追加受赠を受けているが、原田氏の学长时代の资料がほぼ揃ったため、平成27年3月24日受赠分までで一区切りを付け、本目録を刊行することとした。
このように原田康夫関係文书は、分散して保管されていたが、整理のあり方には明确な共通点が见られた。すなわち文书の重要度に応じて、ファイルやフォルダーなどに缀じられたものと、「一纸もの」の状态に置かれた资料に大别されていた。さらにファイル?フォルダーについては、トピックごとに编年形式で整理され、量の多い场合は分册して通し番号を付してあった。
こうした整理方法は资料の形态に関係なく採用されており、同一のトピックのファイルやフォルダーが一目で分かるようになっていた。上述のように、原田康夫関係文书は复数の保管场所から寄赠を受けたが、同一のトピックのファイルやフォルダーが别々の保管场所にあったケースが见受けられた。これは原田氏が、整理した资料を必要に応じて仕事の拠点へ持ち运んだため、结果的に分散して保管されることになったと推测される。
2.&苍产蝉辫;整理の経纬
前述のように原田康夫関係文书は复数の场所に分散して保管されていた。しかし内容を确认すると相互に密接な関係にあるため、本目録では保管场所を「文书群」として见なすのではなく、资料全体を1つの「文书群」と见なして整理を行った。
さて、整理作业については、平成20年度までに受け入れた资料を対象に行ったのが最初である。整理にあたっては、资料の形态によって大分类を设定し、さらに内容に応じて中分类を设定し採録する方法をとった。こうして平成21年3月に「原田康夫関係文书仮目録」を作成した。
しかしその后も资料の追加受赠が相次いだため、再整理の必要が生じることとなった。(平成21年3月の「原田康夫関係文书仮目録」で採録した资料は、本目録作成にあたり整理した资料の4分の1程度であった。)そこで平成23年度から再整理作业に着手し、平成26年度末に本目録が完成した。分类ごとの资料点数は次表の通りである。
&苍产蝉辫;表 各分类の资料点数一覧
大分类 | 中分类 | 点 数 | 公开の可否 |
---|---|---|---|
1. 書籍 | (1)学内 (2)医学 (3)辞书 (4)行政 (5)趣味 |
22点 73点 11点 12点 54点 |
公开 公开 公开 公开 公开 |
2. 定期刊行物 | (1)学内 (2)医学 (3)ビジネス (4)総合雑誌 (5)行政 (6)趣味 |
61点 69点 73点 9点 15点 16点 |
公开 公开 公开 公开 公开 公开 |
3. 音声?映像媒体 | (1)カセットテープ (2)痴贬厂ビデオテープ (3)βビデオテープ (4)8尘尘ビデオテープ (5)惭颈苍颈顿痴 (6)颁顿/顿痴顿 (7)その他 |
189点 211点 43点 10点 16点 40点 4点 |
公开 公开 公开 公开 公开 公开 公开 |
4. 写真 |
― | 347点 | 公开 |
5. 物品 | ― | 237点 | 公开 |
6. 書類 | (1)医学 (2)趣味?音楽 (3)新闻记事 (4)学内业务 (5)病院事业管理者 (6)文化财団 |
505点 294点 91点 284点 260点 81点 |
公开 公开 公开 当面非公开 当面非公开 当面非公开 |
7.&苍产蝉辫;书翰 | (1)寄赠时整理済分 (2)差出人别(アイウエオ顺) (3)差出人别(アルファベット顺) (4)差出人别(不明分) |
128点 12,308点 547点 147点 |
当面非公开 当面非公开 当面非公开 当面非公开 |
合 计 16,157点
うち、2,402点が公开、13,755点が当面非公开
書類のうち(4)学内業務、(5)病院事業管理者、(6)文化財団については、原田氏が平成5年に広島大学長に就任して以降の公務に関するものである。このためほとんどの資料が、一般的に公文書公开の目安とされる作成後30年を経過していなかった。その上、資料のなかには、その文書が存在しているか否かを答えるだけで不開示情報を開示してしまうおそれのある文書(情報公开法第8条参照)が含まれていた。
一方、书翰についても最近のものが多く、プライバシー保护の必要がある上、差出人の中には手纸を出したこと自体を他人に知られたくない秘密と考える人もいると推定された。
こうした点を踏まえ原田康夫氏と協議し、これらの資料については所蔵情報も含めて当面の間、非公开とすることを寄贈の条件とすることになった。こうした公开?非公开の区分については、上記の一覧表に記載した通りである。
3.&苍产蝉辫;资料の概要
(1)书籍
书籍は内容に応じて5つの项目を立て、さらにその项目内で発行年代顺に目録に採録した。项目は、「学内」、「医学」、「辞书」、「行政」、「趣味」である。
(2)定期刊行物
定期刊行物として採録したのは、いわゆる雑誌に相当するものである。书籍同様に内容で项目を立て、発行年代顺に目録を採録した。项目は「学内」、「医学」、「ビジネス」、「総合雑誌」、「行政」、「趣味」の6つである。
(3)音声?映像媒体
音声?映像資料として採録したのは、カセットテープ、VHSテープ、CD、DVDなどである。保存の関係から、内容ではなくメディアの種類を中分类として目録を作成した。内容的には原田氏の出演したテレビ番組や講演会、趣味のオペラに関するものが中心である。
(4)写真
写真は、現像したものとネガフィルムなどを採録した。これらは文书馆に寄贈された段階で、既にアルバムやファイルに整理されていた。そのため原秩序を尊重して目録に採録した。
(5)物品
物品は、パソコン?絵画?写真パネルなど纸资料や画像?映像资料に该当しないものを中心に採録した。
(6)书类
书类は内容に応じて6项目に分类し、目録を作成した。その项目は、「医学」、「趣味?音楽」、「新闻记事」、「学内业务」、「病院事业管理者」、「文化财団」である。原田氏の公务や研究のあり方を知る上で贵重なものである。
このうち「学内業務」?「病院事業管理者」?「文化財団」は、それぞれ広島大学、広島市病院事業局、広島市文化財団に関わる内部資料が多く含まれており、当面は非公开とする。
(7)书翰
书翰は、原田氏宛の叶书?封书が主である。差出人?时期ともに多岐にわたり、原田氏の活动の幅広さがうかがえる。寄赠前の段阶でファイルにまとめられていたものと、バラの状态のままで置かれていたものに分かれる。
前者については、ファイルでの整理を原秩序と见なしてファイルごとに採録した。一方。后者については差出人别に50音顺(海外からの书翰はアルファベット顺)に并べ替えて目録を作成した。
なお、書翰についても上述の理由により、当面の間は非公开とする。
おわりに―今后の见通し―
以上、原田康夫関係文書の整理の経緯、その概要について述べてきた。現時点で16,157点の資料が確認されている。そのうち本目録には書類の一部と書翰をのぞく2,402点の資料を掲載した。今回公开する資料には、原田氏の医学研究や多彩な活動に関する貴重な資料が多く収められている。これらの資料が大いに活用され、それぞれの分野において学術研究の進展に寄与することを期待したい。