麻豆AV

解题:小野増平関係文书目録

执笔者

恩田怜

はじめに―小野増平氏の略歴―

 小野増平氏(1947~2011)は、中国新闻の记者として核?被爆问题などの报道にたずさわったジャーナリストである。小野氏は、昭和22(1947)年1月6日に冈山県笠冈市に生まれ、広岛大学教育学部附属福山高等学校、东京教育大学文学部仏语仏文科を経て、昭和45年に中国新闻社に入社した。
 呉支社、东京支社、编集局第一整理部などに勤务した后、昭和56年から1年间、研修のためフランスへ留学することとなった。フランスでは世界30カ国の若手ジャーナリストらとともに、难民、平和运动、ラジオ放送等の取材に取り组んだ。帰国后は、编集局报道部に配属され、昭和60年の被爆40周年连载企画「段原の700人」に参加した。
 また、平成2(1990)年から平成5年にかけてニューヨーク支局に勤务し、核兵器や在米被爆者の取材を行った。この间、平成4年の中国新闻100周年连载企画「移民」では、ペルー、パラグアイ、アルゼンチンの南米3カ国を担当し、记事を执笔した。
 帰国后は、编集局报道部に戻り、编集委员などを务めた。そして平成7年の被爆50周年连载企画「検証ヒロシマ」?「年表ヒロシマ」においては、取材キャップとして参加した。平成8年には呉支社编集部长となり、平成9年に连载企画「呉と海上自卫队」を执笔した。平成12年から平成14年の论説委员会副主干时代には、中国新闻一面コラム「天风録」および社説を担当した。そして平成15年から平成17年にかけて编集局长を务め、イラク戦争や被爆60周年报道に携わった。
 平成18年に中国新闻社を退职した后は、広岛経済大学メディアビジネス学科の教授に就任し、记者としての経験を生かした授业を开讲した。しかし平成23年9月18日、肝不全のため享年64歳で逝去した。
 小野氏が记者として関係した连载企画「段原の700人」(昭和60年)や「検証ヒロシマ」?「年表ヒロシマ」(平成7年)は、日本新闻协会赏の栄に浴した。また、この3つの连载企画をはじめ、「移民」(平成4年)や「呉と海上自卫队」(平成9年)は、连载后、书籍として出版されている。他にも、小野氏は、平成18年に论説委员、编集局长时代を総括する『新闻记者っていいもんだ』を自费出版している。
&苍产蝉辫; 本目録に所収する资料は、こうした小野増平氏の生涯にわたる新闻记者としての仕事の记録である。その中心は、昭和56年のフランス研修から、平成14年の论説委员会副主干时代にかけてのものである。以下、それら文书の整理経过と概要について述べる。

Ⅰ.&苍产蝉辫;受赠経纬および资料の原秩序

 小野増平氏の逝去の後、妻の小野由紀子氏は中国新聞の西本雅実記者に遺品の整理について相談した。こうした遺品の中には貴重な文書類が多く含まれていたため、資料の散逸を心配した西本記者の助言により、広島大学文书馆へ寄贈されることとなった。
 小野氏の自宅にあった資料は、小野由紀子氏と西本記者らによって整理が行われ、ブルーケース8箱、段ボール10箱が3回に分けて広島大学文书馆に搬入された。このうち8箱には、「移民資料」、「戦後50年」、「市政時代」、「仏資料」、「NYスクラップ資料」、「核?マツダ?NY SCRAP」、「NY?雑」、「写真?領収書」というように名称が付与されていた。

Ⅱ.&苍产蝉辫;整理の経纬

1.&苍产蝉辫;荒仕分けの実施

 寄赠された状态を记録するために、箱とその中身の写真撮影を行った。それぞれ1箱を1つの文书群として考え、荒仕分けを行うことにした。「原秩序尊重の原则」を踏まえたうえで、文书群を形态别に分类することにしたが、寄赠された段阶で、ほぼ形态别に文书が并んでいたため、ほとんど手を入れなかった。次に、1つの文书群(1つの箱)ごとに、大まかな文书の形态や内容を确认し、1つ1つの文书の内容を包含し得る名称を考えた。その名称を付笺に记载し、箱に贴り付けた。「企画1」、「企画2」、「取材1」、「取材2」、「スクラップ1」、「スクラップ2」、「雑1」、「雑2」、「雑3」、「参考书籍」という名称を付与した。寄赠された时点ですでに付与されていた名称については、そのまま残し、仮目録を作成する际に用いることにした。

2.&苍产蝉辫;仮目録の作成

 荒仕分けが終わった1つの箱ごとに、コンピュータ上でExcelソフトを用いて、原秩序に沿った仮目録を作成した。広島大学文书馆の目録作成マニュアルに従って、作業を行った。基本的に1点の資料ごとに目録をとっていった。ただし、文書のまとまり(ファイル、封筒、紐による括りなど)の中身については、1点1点の目録をとらず、そのまとまりを1点として採録した。

3.&苍产蝉辫;细目録の作成

 细目録では、袋やケースによってまとめられていたフロッピーや叶书などに対して、1点ずつ目録をとっていった。史料価値を考虑し、年贺状や名刺については、细目録はとらず、それらが袋でまとめられていた场合は、备考栏に枚数を表记するにとどめた。
 细目録作业と并行して、仮目録データの确认作业も行った。データを见て、分かりにくい部分や不明箇所があった场合、现物资料を确认し、情报を付与、あるいは削除した。

4.&苍产蝉辫;本目録の作成

 細目録をとった仮目録を「仏資料」、「移民資料」、「市政時代」、「核?マツダ」、「NY」、「書類」、「書簡」、「スクラップ」、「フロッピー」、「写真」、「書籍」、「その他領収書」の項目に分類した。資料が寄贈された際に付与されていた「仏資料」、「移民資料」、「市政時代」、「戦後50年」は、そのまま分類項目として採用した。これは、4項目ともに資料の内容としてのまとまりがあり、もとの項目名と合致していると考えたからである。その一方で資料の内容と項目名にズレがあったため、「核?マツダ?NY SCRAP」を「核?マツダ」に改めるとともに、「NYスクラップ資料」と「NY?雑」を「NY」に統合した。
 また仮目録作成の际に、便宜上つけた名称の资料群については、「书类」、「书简」、「スクラップ」、「フロッピー」、「写真」、「书籍」、「その他领収书」の7つの新分类项目に再分类した。これらの项目は、仮目録から抽出した目録データの内容や形态のまとまりを参考にして、设定した。
 书类は、履歴に沿って资料を并びかえた。ファイルや袋などでまとめられているものは、その中身の资料をできる限り备考栏に记述した。またそのような书类が様々な形态のものとまとめられている资料は、「书类」のなかの「その他」に分类した。形态に関しては、基本的に、ファイル→フォルダ→仮缀→册子→リーフレット→洋纸→袋→新闻の顺に并べた。小野氏の履歴を参考に推定可能な年代は、できるだけ记载した。
 书简は、叶书(封书も含む)、年贺状、グリーディングカードに分け、発信者名の50音顺に并び替えた。その他の项目については、古いものから年代顺に并び替えた。年代が不明なものは、最后にまとめて付け加えた。书类と书简が同封されている场合は、そのどちらに重きが置かれているかを判断し分类をした。
 スクラップ、フロッピー、书籍などは年代顺に并びかえた。写真は、写真とネガを区别したが、それ以外について基本的に原秩序を维持した。撮影者は基本的に小野氏と推定した。
 最后に、上述の新たな项目に并び替えた目録データを参考にして、最终的な分类项目を作成した。加えて、资料全体を通して番号を付与した。
 目録データの并びに関して言えば、全体として年代の古いものから新しいものへと并んでいる。ただし、まとまりがある复数の资料には、その间に年代顺で见ると割り込む资料があっても、そのまとまりを残し、割り込む资料をそのまとまりの后に置いた。

Ⅲ.&苍产蝉辫;资料の概要

 次に小野文书全体の概要について绍介する。上述のような整理过程を経て、现在では小野文书は次表のように分类?整理されている。以下、大分类の项目に沿って説明する。

表 小野増平関係文书分类一覧 

大分类 小分类 点 数
1. 書類 1.1. 仏資料

1.2. 市政関係

1.3. 移民資料

1.4. 核?マツダ関係

1.5. ニューヨーク関係

1.6. 戦後50年

1.7. その他
28点

22点

68点

44点

245点

8点

145点
2. ノート?メモ等 2.1. ノート

2.2. メモ

2.3. その他(手帳、名刺、名簿等)
7点

5点

78点
3. スクラップ  ― 62点
4. 書簡 4.1. 書簡(含む葉書)

4.2. 年賀状

4.3. グリーティングカード
46点

9点

6点
5. 電磁的記録等 5.1. フロッピー

5.2. カセット

5.3. ビデオテープ?DVD
202点

17点

42点
6. 写真  ― 131点
7. 書籍 7.1. 刊本

7.2. 雑誌
79点

27点
8. 雑(物品等)  ― 27点

计1,298点

1. 書類

 书类は、7项目に分类し、採録した。原爆、移民、被爆者、平和、海上自卫队に関连する幅広い资料のほか、フランス研修时や狈驰支社勤务时の仏文、英文资料などがある。スクラップ、书简、ノート、写真なども一部混在している。
 「移民资料」が最も主题?形态的にまとまりがあり、「移民」において连载された1つの记事ごとに、取材メモ、写真、参考资料がまとめられている。「戦后50年」は、资料点数は少ないが、1つのファイルにたくさんの书类がまとめられており、连载における取材キャップとしてのかかわり方を検証できる资料群である。

2. ノート?メモ等

 ノート?メモ等は、3项目に分类し採録した。ノートには、取材で使われたものと、中国新闻社内で使われたものとが残されている。メモには、平和や核についての记述のほか、名刺とともに住所や电话番号などが记されている。ノートとメモの年代は、特定できないものが多い。手帐は同年のものが复数残っており、私用、仕事用、电话帐などと使い分けがなされている。
 ノートやメモのなかで、最后まで使い切っているものはごくまれである。1つの内容ごとに1つのノートを用いている场合がほとんどで、ノートやメモの半分以上が未使用のまま残されているものも多い。取材に用いられたものには、走り书きのため、判読しづらい文字もある。

3. スクラップ

 スクラップの中身のほとんどが、中国新聞の切り抜きである。年代と形態を見ると、NY支局へ行くまでは、スクラップブックを使用しており、帰国後は、クリアファイルを使用していることがわかる。内容としてまとまりがあるものは、呉市、編集部出稿、自筆記事、海上自衛隊、interesting articles、社説等である。原稿執筆のために収集したもの、または、自身が執筆したものがほとんどである。

4. 書簡

 书简は、3项目に分类し採録した。差出人は、同僚や取材関係者等が多かったが、取材関连のやりとりを记したものは少ない。书简のなかには、児童文学者の那须正干が「検証ヒロシマ」の感想を缀ったものもある。グリーディングカードは、ほとんど封筒が欠けているため、年代が特定できないものも多かったが、その性质上狈驰支局时代に送られたものと推定される。

5. 電磁的記録等

 电磁的记録等は、3项目に分类し採録した。ほとんどの资料に件名が书かれている。フロッピーは、狈驰时代、ヒロシマ50年报道、呉支社时代のものが残っている。特にヒロシマ50年特集の「年表ヒロシマ」にかかわるものが、「年表直し叠辞虫20年代」と记された箱によってまとめられ、大量に残されている。「年表ヒロシマ」が作成されるまでの过程をたどることのできる资料群である。カセットは、フランス留学中に记録された仏文のものが多い。

6. 写真

 写真に関しては、年代、被写体は特定できるものが少なく、形态はプリントの际に渡される袋のまま残されているものが多い。狈驰支局时代に撮ったものが多く残っていると推定され、平和运动、マツダ工场などが被写体として确认できる。他にも海上自卫队関连の写真もまとまって残っている。自身の写真は、「増平写真」と书かれた纸袋によってまとめられ、残されている。

7. 書籍

 书籍は、2项目に分类し採録した。両者とも、小野が自発的に収集したものだけではなく、取材関係者や知人から送付されたものを含んでいる。书籍は移民、平和、原爆、米军などのほかに、新闻记者全般の仕事にかかわる、メディア、言叶、文章の书き方に関连するものが収集されている。自身が执笔にかかわり、中国新闻が発行した、「段原の700人 アキバ记者」、「移民」、「呉と海上自卫队」もある。最后の着书となった、自伝「新闻记者っていいもんだ」も含まれている。

8. 雑(物品等)

 雑として採録したのは、狈驰支局时代の领収书や辞令、他にも新闻协会赏メダルや絵画作品などである。

おわりに―今后の见通し―

 以上、小野増平氏の略歴に始まり、小野増平関係文书の整理経纬とその概要について述べてきた。现时点で1,298点の资料が确认されている。本资料の公开によって、ヒロシマをめぐる报道やマスコミに関する研究がさらに発展することを期待したい。


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