大学院统合生命科学研究科 教授 山田俊弘
罢别濒:082-424-6508
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(注: *は半角@に置き換えてください)
図1 ハチクの花
図2 开花中のハチクの竹林
図3 竹林を见上げた写真
左侧は非开花の部分で、叶をうっそうと蓄え、生存していることがわかる。右侧が开花后の竹林で、枯死している(叶が落ちている)。
竹は一般にあまり花を咲かせませんが、开花する际はそのタイミングが広域にわたり同调します。开花の周期は竹の种类によって异なり、48年周期や60年周期、120年周期等があり、さらに、开花后には枯死するとも言われています。
今回开花したハチクの开花の周期について正确な记録は残っていませんが、古文书などをたどると、120年と推定されます。前回の大规模な开花の记録は1902年から1908年だったので、その予定周期に数年先んじて、东広岛市でハチクの开花が起こりました。
120年前のハチクの开花を知る者は现世代には谁もおらず、またその当时の开花の记録もあまり残っていません。この时代は?日本の植物学の父?と言われる牧野富太郎先生が活跃した时代ですが、自然誌研究が今ほど盛んではありませんでした。
いまだ神秘のベールに包まれたままのハチクの开花生态を解明するため、そして、もうすぐ访れるだろう大规模开花の际によりよい研究成果を得るべく、ハチクの开花を细かく记録することにしました。
2020年にハチクの开花を确认してから2022年までの3年间に、调査対象とした秆の80%が咲きました。そして、开花した秆は、开花后すぐに枯死しました。残りの20%も、2022年夏までにすべて枯死しました。つまり、开花后3年のうちに、开花の有无と関係なく、すべての秆が枯れてしまったことを确认しました。
花が咲いたにもかかわらず、种子は全くできませんでした。タケノコの生产も、开花后に止まりました。一方で、开花前にはなかった小さな竹がたくさん出现しましたが、これらも短命でした。つまり、开花后3年の间には、竹林再生の兆しさえありませんでした。
调査をすればするほど、谜が深まるばかりのハチクの开花です。120年ぶりの开花は、自己破灭へ向かう片道切符のようにさえ思えます。しかし、ハチクが开花后に本当に絶灭してしまうのならば、ハチクが日本に生存し続けている事実と矛盾します。ハチクは奈良时代には中国から日本に伝えられたと考えられています。120年は、気の远くなるほどの时间ですが、奈良时代にあった日本伝来以来、ハチクは数回の开花を乗り越えていることになりますが、その生态は明らかになっていません。
3年间の调査では、合理的でないように见えるハチクの开花も、もっと长い目で见ると、纳得の理由があるかもしれません。そもそも、开花后に种子ができない理由も谜のままです。谜だらけのハチクの再生を调査し続けることで、竹林管理やタケノコ生产管理、开花后に现れる枯死竹林の管理に繋がると期待されます。
本研究の概要は、広岛大学大学院统合生命科学研究科?统合生命科学研究科シンポジウム2022?(以下リンク)から见ることができます。
大学院统合生命科学研究科 教授 山田俊弘
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掲載日 : 2023年06月29日
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