麻豆AV

株式会社フージャースアセットマネジメント代表取缔役社长 藤井幸雄様

访问日

2018年7月6日

センパイ

藤井 幸雄(フジイ ユキオ)氏
1990年法学部卒业。同年、株式会社西洋环境开発に入社。その后オリックスを経て、2003年に株式会社フージャースホールディングスに入社。2010年には常务执行役员、2013年には社长に就任。现在は株式会社フージャースホールディングスの伞下、株式会社フージャースアセットマネジメントの代表取缔役社长を务める。

株式会社フージャースアセットマネジメント?

访问记

株式会社フージャースアセットマネジメント代表取缔役社长 藤井幸雄氏(1990年法学部卒业)

 

―学生时代に打ち込んでいたことは何ですか?

 

藤井「たまたま寮が広大生のみで新筑で、同じ学年の人间が多かったんです。
その寮の友达と游びに行くことが多くって、工学部や経済学部の友达と游ぶ方が多かったですね。
车で、夜中に広岛を出発して明け方にどこまで行けるのか、试してみたりしました。冈山とか鸟取とか、あと山口。大体决まったルートがありましたね。
アルバイトは塾でした。広岛の驰惭颁础っていうところで、教师じゃないんですけど、生徒にアドバイスをするような役回りをしていましたね。
あと面白かったのは、広岛港の案内係ですね。船が来たらタラップをかける係です。
でも、潮の満ち引きによって长いタラップをかけたり、短いタラップをかけたりしないといけないんです。
それは僕の判断なのですが、长さを间违えてしまうと船长さんに怒られたりしました。」

 

―学生时代の一番の思い出は何ですか?

 

藤井「文化祭の时に、広大に歌手を呼んでイベントを行ったことがあるんです。」

 

―それは実行委员会ですか?

 

藤井「実委ではないです。
先ほど言った同じ寮に住んでいる友达と『広大って歌手来ないね。』っていう话になったのです。
そこから歌手を呼ぼうと、私费で呼びました。
イベント自体は盛り上がったのですが、见事に大赤字でした(笑)」

 

 

―不动产业界に就职した动机は何ですか?

 

藤井「僕は法学部で文系ですが、モノづくりに兴味がありました。
文系でもモノづくりに携わることが出来る道を探す中で、不动产となりました。
初めは株式会社西洋环境开発に入社して、そこからオリックス、フージャース?ホールディングスと経ていきましたが、结局一贯して不动产业でしたね。
不况や会社の倒产など厳しい状况に直面したことはありましたが、その中でいい出会いがあったからこそ、ここまでやれたのだと思います。」

 

―现役の広大生に対して一言

 

藤井「先ほど言った通り、一生悬命、与えられたチャンスの中で顽张ってきたからこそ今の自分があると思います。
今の若い人は、昔の僕らよりも真剣に考えているし、勉强していると思う。だからこそ、机会があれば若い人も、もっと顽张れると思うのです。
広大生にとって东京には最初、つながりが无いのです。でも、つながりが无い中で自分は揉まれて自立していったと思う。
积极的に外に出て行った方がいいと思います。
未知の领域に飞び込んでいくのは难しいかもしれませんが、実际はそう怖くないと思います。」

 

 

(左から)藤井幸雄氏(1990年法学部卒業)、長谷川(东京オフィス所長)、松永州央氏(1990年法学部卒業)

研修生の感想

これまで色々な方を取材した中で共通しているのが、「自分は恵まれていた」「その时の状况に流されて生き残った」という言叶や姿势だったと思います。
藤井さんも、「いい出会いがあった」と、谦虚に语られていて、そういった姿势は见习わないといけないと思いました。
一方で、「积极的に外に出て行った方がいい」「与えられたチャンスの中で顽张ってきた」という言叶があったように、今ある环境や、自分から飞び込んだ环境でも、その场で必死にやっていくからこそ胜ち得るものがあるのだと、考えさせられました。

<お问い合わせ先>

広島大学东京オフィス

罢贰尝:03-6206-7390

贰-惭补颈濒:迟辞办测辞(础罢)辞蹿蹿颈肠别.丑颈谤辞蝉丑颈尘补-耻.补肠.箩辫 ※(础罢)は半角蔼に変换して送信してください。


up