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访问日
2018年8月7日
センパイ
二宫 俊一郎(ニノミヤ シュンイチロウ)氏
1995年教育学研究科博士课程前期(幼児学専攻)修了后、翻訳センターに入社。2004年同社取缔役に就任。2012年株式会社アイ?エス?エス代表取缔役社长に就任。2018年6月より现职。
株式会社翻訳センター
访问记

株式会社翻訳センター 代表取缔役社长 二宫俊一郎様(1995年教育学研究科博士課程前期(幼児学専攻)修了)
二宫「教育学部だったのですが、正直、教师になりたいわけではなかったんです。
高校が鸟取県の米子北高校だったのですが、クラスに男しかいなかったんですね。それが嫌で(笑)
大学进学の时に、男女比率のバランス、というのが重要な进学の要因になっていたんです。教育学部は男女比率が5対5だったんですね。
だから広大の教育学部に入学したところはあります。
入学が平成元年で、学部卒が平成5年ですね。平成5年はギリギリバブルで、就职はいくらでも行ける雰囲気がありました。
学部时代は青云寮にいました。サークルはジャズ研に所属していて、トランペットを吹いていました。
当时演奏していたのは、ジャコ?パストリアスの『ザ?チキン』、セロニアス?モンクの『ストレートノーチェイサー』、カウント?ベイシーの楽曲などですね。
経済的には余裕があったのでバイトはしていなくて、ジャズ研の活动に没头していました。」
―今もトランペットで演奏はされますか?
二宫「今はしないですね(笑)家に楽器はあるんですけど。
子供が今中1と小5で、『トランペットおもちゃにしていいよ』って言うんですけど、興味を持たないんですよね(笑) 」

―现在は翻訳の仕事ですが、学生时代に留学はされていたんですか?
二宫「してませんでした。英语は全然话せなかったので(笑)
学生当时の自分を振り返ってみて思うのは、日本人は必要に迫られないと英语は覚えないということですね。
いざ必要に迫られたら、多分2,3カ月で话せるようになると思います。
その后、大学院に入ると学习塾のバイトをしていました。
また、大学院を辞めた后に何かしら能力を身に付けないと、と思って英语の翻訳の勉强をしていたんです。」
―大学院に进んだ理由は何ですか?
二宫「一言で言えば、モラトリアムです。大学院に进むことが当たり前だったんです。
教育学部教育学科というのは、教员免许を取らなくても良かったんです。実际に私も教员免许を取ってないんです。
英语の教员免许を取ろうとは思ったんですけど、挫折したんです。」

二宫さんが大学院博士課程前期を修了した頃は、就職氷河期の真っただ中。その中でも、就職活動で印象的だった会社があったそうなんです。
二宫「大学院から学习塾のバイトをしていた関係で、就职活动で、ある学习塾を受けたんですが、そこの社长がたまたま呉の出身で、『広岛に帰るのは大変だろ』と言われて、一次试験终わってすぐに、二次试験を受けさせてもらったんです。
结局、そこで合格通知を顶いて、1日で试験が终わっちゃったんですね(笑)
翻訳会社も何社か受けたのですが、そのうちの一つが今自分のいる、翻訳センターだったんです。
创业者が面白い方で、面接のときに『俺はお前を採用するけど、来るかどうかはお前が决めろ』と言われたんです(笑)
それで受かって、翻訳センターに入ったのですが、最初は中々难しかったですね。
英语は、読むことは多少できましたけど、话すことが出来ませんでしたし、あと他の言语は何も出来なかったので。」

翻訳センターに入社后间もない顷は、翻訳に関する営业?コーディネーターの役回りを行っていたそうです。
二宫「入社したころは既に、会社が上场を目论んでいたんですね。
入社して一年ぐらいで金融ビッグバンが起きて、金融に络んだ新规事业をやることになったんです。
そこから僕は名刺一枚渡されて、何も縁が无いところから飞び込みで、お客さんを开拓しました。
具体的には翻訳を行う机会のセッティングを行っていて、主に外资系の金融関係の会社との翻訳仕事をセッティングしてましたね。和訳に関する仕事が多かったです。
その后调子が出てきたところに、2001年9月11日の世界贸易センタービルも被害を受けたアメリカ同时多発テロ事件が起きました。
当时贸易センタービルに入居している外资系の金融会社はたくさんあったので、事件后にぱったりと、仕事が来なくなったんです。
その时は会社としても、大変な时期でしたね。」
―その后、翻訳センターの社长になって、プレッシャーは感じられていますか?
二宫「いや、気付いてないだけだと思いますけど、特にプレッシャーや変化は感じないですね。
逆にその前に、一度アイ?エス?エスの代表取缔役社长に就任した时にはプレッシャーを感じましたね。异业种のマネジメントを行わなければいけなかったので。
别の会社の社长で、仕事の质も社员も违うし、ここでそっぽ向かれたら案件1つ回されない、と思ったら紧张感ありましたね。
とにかく、嫌われないように、おとなしくしつつ、でも譲れないものは少しずつ、少しずつ打ち出していくような感じでしたね。」
―外様だと中々难しいんですね。状况としてはズムスタの中のヤクルトファンみたいなことですね(笑)
二宫「そうですそうです(笑)まあ、无理やりにはしない。あとは闻き役に彻する。
トラブルに対する対処をしっかりとやる。
そうやって少しずつ认めてもらえるようになりましたね。」

最后に、社长としてのお仕事について。
二宫「社长としての仕事で特に気にかけているのは、人间関係ですね。
会社は常に人间関係のトラブルが出てくると思うんですよ。
トラブルが表面化したら、见つけて、溃して解决をしていくようにはしています。
人事でも、できるだけ风通しを良くしてきました。
社员と接する时も、しゃべる时は甘くしゃべりますけど、やることは结构ドラスティックにやっていますね。
僕も、ここまでの人生を振り返ってみて、学生时代も、社会に出てからも、今いる场所の社会力学をうまく利用してしまった方が上手くいくと思うんです。
今思えば学生时代も、この先生のところに身を置けばよかったな、ということもありますからね。政治力を持った人が近くにいれば、存分に利用してしまっていいと思うんです。」

(写真左から)千野信浩様(1985年総合科学部卒業)、長谷川(东京オフィス所長)、二宫俊一郎様(1995年教育学研究科博士課程前期(幼児学専攻)修了)、松永州央様(1990年法学部卒業)、矢野良二様(1992年工学部第一類卒業)
研修生の感想
二宫様は、終始優しい笑顔で語りかけて下さったのですが、仕事や経営に対してとてもシビアに考えておられる印象を受けました。
お话を闻く中で、経営者としての居方、振る舞い方がとても参考になりました。特に、社员との接し方を柔和に、でも行う仕事はドラスティックに、というところは兴味深く、仕事の中での人间関係の筑き方に、会社の経営者としての诚実さを感じました。
ジャズ研出身というお话もありましたが、闻く限りでは、ジャズにとても深い嗜好がおありなのだと感じました。またジャズの腕前を拝见できたらな、と思います。
「実は、広大です」过去の记事は以下のURLから↓
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