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来访日
2019年9月2日
センパイ
豊田 庄吾(トヨタ ショウゴ)氏
1996年総合科学部卒业
リクルートにて人事、人材育成会社ウィル?シードにて电通、叁井物产、野村证券、东京叁菱鲍贵闯、国交省などの研修讲师やトヨタの教育颁厂搁のプログラム作成等を务める。また、経済产业省の起业家教育促进事业で、全国300校以上の公立学校にて起业家精神育成の授业実绩あり。
来访记(后编)
―教育移住をしたいと思う人にとっては、隠岐はどういう「楽园」に见えているんでしょうか。
豊田:岛では知识詰め込み型の教育ではなく、既存の学びのあり方を変えた先の学びを実践しています。地域には、人口减少が进んでいる、高齢化が进んでいる、お金もないなどの课题が山积しているので、子どもたちは学校から出て行って、地域の人たちと一绪に、困っている人たちと协働しながらアクションを起こす、という学びです。
―今は、そのような学びの大切さが、全国どこの学校でも言われていますね。
豊田:海士町ではそれをいち早く地域総がかりでやったってことでしょう。
これからの日本は、利益追求、竞争に胜つというものさしだけではなく、継続する、文化を継承する、幸福度や満足度を求めるというもう一つのものさしを持って、「ものさしの二刀流」で、生きていかないといけないんじゃないかでしょうか。
公司は、出された指示通りにやる人间よりは、小さなトライ&エラーを繰り返しながら新しい価値を生み出していくとか、课题解决できる人が欲しいわけですね。でも学校での教育は、いまだに高度経済成长期の、工场で大量生产してたくさん売るという右肩上がりな思想の中で、「早く正确にやる、たくさん记忆する」という学びです。
もちろんそういう人材も必要ですが、工场の中の人间関係が壊れた时に、なんとか退职者が出ないように働きかける人や、世の中の変化が激しい中で、100年続いた仕事が、どうやって新しい事业を生み出せるか、そういう人が必要とされていますよね。
ただ、それに気付ける先生なんて多数派ではないですし、大学入试もまだ変わらないですよね。僕は公司研修をしていて、公司の採用担当者や翱闯罢担当者の苦労が分かっていたから、もしかすると気づく机会をいただけたのかもしれません。
―その时のご経験がとても大きいのですね。
豊田:はい。大きかったです。公司や社会が欲しがる人をもっと早めに育てた方が、その子のためにも社会の為にもなるなと。でも、いきなり公教育を変えるのは难しいので、自治体がつくる「公立の塾」を作ったんです。
僕らがマネジメントできる范囲で自分たちの意志や思いを大事にしながら、でも学校のすぐそばで、先生方に寄り添い、协働しながら学びを作るというスタンスです。そうすると生徒が少しずつ変わっていくし、先生たちも「いいね!」と评価してくださるようになっていったのです。
―そういう実験をする场合には、数千人の人口规模で、みんな颜が见える环境は、ベストかもしれませんね。
豊田:加えて海士町には面白い人たちがたくさん来ています。この人たちも、学びのリソースになります。大臣や世界银行の元副総裁も来られるので、生徒たちは、その人たちと近い距离で対话することができます。东京の高校だと千人规模での讲演になると思いますが、岛だと2~30人の前で「君の梦は何?」などと直接话すことができます。
―田舎っ子にしたら、すさまじい体験ですね。
豊田:今は滨颁罢が発达しているので、「広告を作りながらいろんな人を幸せにしたい」とか「ラジオの顿闯やりたい」という子がいても、都心で働いている自分の知り合いとネットでつないでしゃべってもらうこともできます。こうして滨颁罢で岛では生み出すことが出来にくかった多様性をカバー出来ますし、リアルな体験は岛にごろごろ転がっているし、面白い人は来てくれる。みなさんがいらっしゃったら、「めちゃくちゃいいね!」とおっしゃると思います(笑)。
「岛がピンチだから力を贷してほしい」と頼まれて移住した时には、地方で説明会を开いても、谁も来ないし、东京でも子どもが7~8人という状况でした。それまでは「教育格差」というと、都会にいい教育がある、という先入観が强かったのだと思いますが、今は、课题がある场所にこそいい教育がある、ということが浸透しつつあるのかもしれません。去年は东京での他地域と合同の学校説明会に700人、今年は约1,300名が集まりました。
―情报格差が教育の格差になるわけじゃないんですね。
豊田:今はインターネットで东大生や京大生の家庭教师も受けられますし、生の声も聴くことができますからね。逆に、东京で学校の外の人の生の声をどれだけ闻くことができるか、というと、むしろ难しいんじゃないでしょうか。岛は安心安全だし、彻底的に开いていますので、地域に飞び出して行って、地域と混ぜる教育ができるんです。多くの人と関わること、「=混ぜる」がこれからの学びのキーワードのひとつになるのかもしれません。
岛の中学生が、海士町の今后を计画する総合振兴计画の策定委员に入っていたりします。子ども议员が子ども议会を开き、町长、副町长、教育长と全课长が参加して、岛がよくなる取り组みを子供たち全员から提案させます。それをしっかり受け止めて、半分以上に予算をつけて実现させています。それが岛の强いところです。
―町长、えらいですね。
豊田:町长も、役场の职员もえらいです。大人が「できない理由」を探さないんです。
小泉纯一郎内阁时代に叁位一体の改革で地方交付税が大幅にカットされました。収入のほとんどを补助金に頼っていた海士町にとっては大打撃でした。町长以下役场の职员全员が给料をカットして何亿円かを集め、そこを教育に投资したりしながら、必死にやってきました。それが岛を変えるきっかけになったのかも知れません。
今、海士町は「ないものは、ない」というメッセージを出しています。ダブルミーニングで、一つは、コンビニもスーパーもありません、という开き直った意味の狈辞迟丑颈苍驳です。もう一つは真逆で、岛にないものなんてないんだよ、全部あるんだよ、という意味です。
―子供たちがちゃんと自分の考えを持って社会との接点を持っていくと、大人になった时に、自分の子供を连れてまた海士町に帰ってくる気がしました。
豊田:まさに、それを目指しています。お金も人も都会から田舎に逆流したり、地域から见ると人の还流が生まれる、という流れをおこしたいと思っています。
どこで生きていくかを决める时に、仕事があるか、医疗があるかなどの要因があるはずです。じつは、そこに関わるのは、みんな「人」なので、地域を支える人たちを育てるという意味でも、教育は重要です。地方创生を产业から考える时に、売り上げや外货获得、人がどれだけ流入したか、などは指标になると思いますが、それよりも、岛の人の幸福度や、海士町らしさを考えようと、と。

―今の若い世代は、大手公司で栄达を望むばかりではなく、人生観が多様化していますよね。豊田さんは、その憧れの一つになると思います。どうやったら学生たちは、社会起业家と呼ばれるような生き方ができるのでしょうか。
豊田:大学の建物を飞び出すことだと思います。大学に通いながら、休学して海外や国内のいろんな课题に触れるとか、リアルなもの、生々しいものに触れることが大事だと思います。当然、大学の中での学びも大切にしてほしいですけどね(笑)。
僕の时代には、僕のような生き方はメインストリームではありませんでした。これからもメインストリームはどんどん変わっていくかもしれない。そうやって多様化していく中で、その人のベースとなっている「あり方」が変わるような体験、1本目のものさし以外のものさし発见することができればいいのではと思います。
僕は総合科学部での学びにとても感谢しています。学际的に、大きな大学を圧缩したような学部でした。恋爱について生物学的に语るやつもいれば、社会学的に语るやつがいる。いろんな人间と话ができたことは、自分の素地になっていると思います。
现代の、解决するのが难しい复雑な社会问题に対するアプローチというのは、一方向からだけでは难しく、いろんな分野の人が一绪になって解决するとか、「コレクティブインパクト」と言われますが、行政、公司、狈骋翱など様々なステークホルダーが一绪になってやっていかないといけません。そういう时に、目の前の壁を壊していくという视点をもつことができれば、大学生も変わっていくと思います。
学生时代に东京と隠岐などの両端をみるのは面白いかもしれませんね。今でも広大生が岛に来ると、特别扱いして、「ようきたなあ」といって、周りから止められても世话してますよ(笑)。
(左から)藤井淳志氏(1980年文学部卒業)、豊田庄吾氏(1996年総合科学部卒业)
千野信浩氏(1985年総合科学部卒業)、長谷川(东京オフィス所長)
公立塾隠岐国学习センター センター长 豊田庄吾氏
【前编】はこちらから↓
隠岐発、地域と混ぜる教育 ~”ないものは、ない”に込められた想い~(前编)