麻豆AV

自由になるために

访问日

2019年10月24日

センパイ

葛原 孝司(クズハラ タカシ)氏
1988年経済学部卒业

株式会社リクルートジョブズ

株式会社リクルートジョブズ 代表取缔役社长

葛原 孝司氏

(1988年経済学部卒业)

访问记

―新闻记事でお见かけしたのですが、カレーハウス颁辞颁辞壱番屋の社长さん、名字が同じで広岛出身、もしかしてご亲族ではないですか?

葛原:私の弟です。高校卒业后、料理人になりたいと调理师学校に入学して、広岛市内のホテルでイタリアンのコックを3年ほど経験した后、颁辞颁辞壱番屋に転职しました。各店舗の品质管理からスタートして、海外事业なども経験した后、社长に就任しました。

―ご兄弟ですごいですね。ご両亲にインタビューしたい気がします。

葛原:うちの両亲に闻いていただいたら、「胜手に育った」というと思いますよ(笑)。父はマツダ、母は农协に勤めていましたので、自分は键っ子でした。両亲には、しつけとして以外叱られた记忆がありません。弟と比较されたこともありませんでした。僕は勉强やスポーツもまあまあできて、优等生タイプでした。僕が児童会长の时に、「全校生徒の前に、自分の弟を何とかしなさい」と言われちゃってました(笑)。

母亲は、「この子は勉强が嫌いだけど、学校で60分席に座っているというだけでも努力なんだ。ただ、人间は一生のうちのどこかで勉强をしないといけない。おにいちゃんはいま苦労しているから后で楽ができるけど、この子はいま楽をしているから、先で苦しい思いをする。それをわかって勉强しないんだから、ほっておけばいいのよ。」と言っていました。なのに、こんなことになって両亲が一番びっくりしているはずです。

―ところで、リクルートには広大出身者が多いですよね。リクルートと広大は、相性がいいんでしょうか。

葛原:僕の代で21人、翌年に20人入社しています。当时はまだ学歴志向が根强く残っている公司も多くありました。学阀や性别関係なく実力で评価してもらえる、というところが响く面があったのではないでしょうか。

―葛原さんの世代ぐらいまでは、指定校制度(※)があって、広大卒だと全国的な公司への入社はかなり穷屈だったと思いますが、リクルートは门戸が大きく开かれていましたね。
(※)指定校制度:公司が求人を指定し、指定校以外の大学は採用活动の対象としない、という制度。

葛原:その代わり、何をやっている会社かわからない面がありましたので、翱叠から诱われるまでは就职の対象にしていませんでした。リクルートが発行する就职情报誌が学校に山积みになっていて社名は知っていましたけど、そこに就职することは全く考えていませんでしたね。

―元々は、どういう社会人になろうと思われていたのですか。

葛原:従兄弟が东大に通っていたのですが、内定先の入社式で、他の人とは别の会议室に通され、「君たちは会社の干部候补だ。それ以外の人间とは违う」と言われた话を闻きました。公司にはそういう区别があるなら県庁を目指そうと思い、3年生の时に公共経済を研究するゼミに入り、秋ごろから公务员试験のための勉强をしていました。

広岛育ちで広岛から出たことがなく、そんな人间がいまさら东京や他の地域に出ていったとしても、1人でどれだけできるか、自信がありませんでした。当时话题になっていた「不揃いの林檎たち」というテレビドラマで、新入社员がルート営业でペコペコ头ばかりをさげる役柄がありました。それを见て、「こんなに头ばかり下げる仕事はしたくない。県庁なら头を下げてもらえる侧だな」と思ったのです。

そんな时期に、母亲が「あなたみたいな考え方をしていたらダメだから、これを见なさい」と、母が职场の研修で见た「てんびんの歌」というビデオを自宅に持って帰ってきました。近江商人の老人の回顾録で、商売の心得を勉强するビデオでした。しばらく放っておいたのですが、すごく暇な时にそれを観たところ、とても泣けたんです。

「一生に一度しかないチャンスなので、胜负してみよう。ダメならダメで27歳まで公务员试験は受けられるし。」と思ったのです。

じゃあどこで通用したらすごいか、という话を友人たちとしていると、大手の証券会社や都银の名前がでてきました。どうせチャレンジするならそこを目指そうと思っていました。

そんな时に、リクルートに入社した体育会野球部の先辈から电话がかかってきて、お会いしたことが、入社したきっかけです。

―どう思われたのですか。

葛原:受けようとしていた大手の金融机関では、20代でがんばって係长、30代で课长、40代で部长というのが普通のステップ。自分が通用するかどうか、20代ではわからない。

かたやリクルートは、正社员が1,000人、前の代が800人入社して、社员1,800人中の二人に一人が新人。会社は成长していて、新人にもどんどん仕事を任さないといけない状况でしたので、「すぐに、自分が通用するかどうか分かるじゃん」と思いました。

―そして入社して、いきなりリクルート事件が起きたわけですよね。

葛原:不谨慎な言い方になりますが、実はいいチャンスだと思っていました。元々自分が通用するかどうかを知りたかったので、世间的に厳しさが増す状况に置かれることで余计に自分が试されるわけで、「この状况でこういう会社は生き残っていくものだろうか、社内の人は一生悬命やっているけど、それはどこまで通用するんだろうか」と冷静に考えていました。

元々安定志向なら选んでいない会社ですし、つぶれた会社で働く経験というのはそうそうできません。どういう风につぶれていくのかを见ることができるのは、自分の経験になる。27歳までは公务员に転职できる思っていましたし。

―実际に、お仕事でのご苦労は多かったのでしょうか。

葛原:営业をやりたくて入社したのですが、関西担当の人事として広岛支社に配属され、中四国地区の採用を担当することになります。1つ上の先辈がリーダー、次が自分、それからスタッフとして地元採用の方が10名という阵容です。事件が発覚したのが7月で、10月1日付で先辈が东京に异动したので、新人なのにいきなり中四国地区の総务课长代理です。私の上司は福冈在住で常驻していませんでしたので、支社长付の责任者として自分が责任をとらないといけない日常でした。

当时のリクルートは3人に2人が駆け出しでしたので、先辈たちがどうにかしてくれるのではなく、自分たちが何とかしなければいけない状况でした。

営业マンが社外で人身事故を起こした时も自分が対処せねばなりません。休日に一人で出社して、过去の书类をめくって勉强もしました。そういう経験ができたので、自分を试す环境としてはよかったと思います。

―水が合ったのですかね。

葛原:大学の同级生は、名だたる大手公司に就职しているのですが、彼らにはリクルートで働くのだとというと、「なんで?どういう意味があるの?」という反応でした。「お前たちは选ばれていく。リクルートは自分が「いい」と思っていかないといけない、选ばないといけない会社なんだ」と返すと、「あいつ、変わってるなあ」という目で见られました。

―大手公司に就职した人が30~40歳ぐらいで経験することを、入社してすぐに経験したことになりますね。

葛原:事件后ですので、クレーム电话の対応もしました。高校の校长先生から説教されたこともありますし、街宣车もやってきました。僕の后に控えているのは支社长だけですから、すべて自分が対応しなければなりません。そういう経験をしたことは、とても大きいです。

当时、同级生たちと酒を饮むと、彼らは上司の愚痴を言ったりするのですが、自分にはすでに部下がいましたので、「お前の上司がどういう気持ちで言ってくれているか、分かるか?」と、すでに上司の侧の目线です。同级生とは仕事に対するスタンスに差がついたな、と感じました。

―27歳までに白黒つけようと思われていたとのことですが、何歳ぐらいに白黒つきましたか?

葛原:白黒つかずに今に至るというのが正しいでしょう(笑)。忙しかったし精一杯でしたので、忘れていたのです。25歳で结婚、26歳で子供が生まれましたので、家も仕事も忙しくて、公务员试験を受け直すこと自体を忘れていました。

―念愿の営业の现场に出たのはいつだったのですか。

葛原:5年目、27歳の时です。人事が面白くなっていたころなので、このままずっと人事でもいいと思っていましたが、バブルがはじけて関连会社の借金を返済せねばならなくなり、採用がストップ、人事は解散したので、営业に出ることになったのです。

同期はその时点で営业を5年経験しているので、「またここからスタートか」という気持ちもありましたが、现业职の就职を支援するサービスの立上げに関わり、その后、住宅関连の业务に10年以上携わりました。首都圏や関西、赁贷や中古の売买、マンションなどを経験して、厂鲍鲍惭翱(住宅?不动产购入や売买をサポートする情报サイト)の立上げもやりました。40代后半で海外のヘッドハンティング会社买収などを経て、昨年帰国しました。中国からインドまで拠点がありましたので、単身赴任で海外を飞び回っていました。

―社长就任の要请があったのはいつですか。

葛原:2017年の年末です。リクルート入社の同期で役员に就任しているのは7人いますが、自分が一番遅かったですね。

―同期が7人しかいないのですか?

葛原:役员として今时点で残っているのは3人だけになっています。みんな“卒业”して自分で会社を経営しています。1,000人いた同期で、会社に残っているのは2~30人ではないかと思います。リクルートはそういう会社ですからね。

―现在の社长としてのお仕事はお忙しいですか?

葛原:事业の方向性を决めることや、国内の拠点営业所の営业同行が主な仕事です。忙しいですね。でも、入社以来ずっと忙しいです。こういう人が定年になると、燃え尽き症候群になるのかなと覚悟しています(笑)。趣味もないんですよ。

―経営に携わる立场として、日本と海外での违いはありますか。

葛原:これまで11か国、35国籍の方とお付き合いしてきました。文化や宗教、性别の违いは、过剰に意识するぐらいでちょうどいいと感じます。逆にそれ以外は、同じ人间ですので全部同じだと思います。嫌なことは嫌、嬉しいことは嬉しい、腹が立つことは立つ、という本质的なことをわかっていれば、どのような场面でも相手に対して尊厳を持って接することができると思います。叱る时にもきちんと叱るのですが、文化によっては相手のメンツを重んじるなど、マナーを守ればよいのです。

―首都圏の大学生とくらべて広岛大学の特徴はどういうところだと思われますか。

葛原:内弁庆というか、自分の见えている世界では力が発挥できているけど、未知の世界に飞び出そうとしない面があるかもしれませんね。今いる场所でも十分生きていけるのに、なぜあえて苦労をする必要があるのか、と。自分にはたまたまそれを超えて飞び出すきっかけがあっただけです。

― 一度、一线を超えてみることは、人生にとって大切だと。

葛原:そう思います。友だちも増えるし、超えた时にだけ见える人生があります。どちらがいいのかは一概に言えないかもしれませんけど、チャンスがあるなら、超えてみるといいと思います。そのためには、超えた人间の话を闻くことがいいきっかけになるはずです。

―田舎育ちのよさはなんだと思いますか?

葛原:失うものがないところじゃないでしょうか(笑)。ダメなら、戻る场所がありますからね。首都圏出身者だと、环境的に変えづらい面がありますよね。例えば広岛出身だと、「东京じゃうまくいかなかったけど、広岛に戻ってやり直すか!」と选択肢がある。受け入れてくれるふるさとがある、というのはいいですね。

―公司の侧から学生に求めることはなんでしょうか。

葛原:一言でいえば、「健康」です。いいものを持っていても、体力が落ちてくると精神力も落ち、精神力が落ちると気力も落ちる。精神面も含めて健康でいて、卑下も过信もせず、素直な気持ちでいる。心身ともに自然体でいれば、いくらでもチャンスはあります。

―リクルートを“卒业”されて各方面で活跃されている方が多い印象ですが、在籍中に学ぶ内容が浓いのでしょうか。

葛原:失败したり成功したりする机会を与えられることが大きいと思います。失败の経験は応用ができますし、败者復活がいくらでもできる仕组みがあります。「何ができなかったのかをきちんと受け止めて、もう一度やってみろ」というスタンスですね。

なぜそれができるかというと、物を作っていないからじゃないでしょうか。商品がヒットするというのは、人ではなくて商品の力によるところがありますね。でもリクルートには商品がないので、人の力がすべてです。人の力が100%発挥できているか、どう発挥させるかを常に考えているのです。

―人を育てるためにはどうすればいいのでしょう。

葛原:一番の鉄则は、邪魔しない、です。意思のある人间は、胜手に动き始めます。一方で、放っておいたら何もしない人间をどうマネジメントするか。「さんざん苦労してまで、なぜ成长しなければならないのか」と迷う人间も少なからずいます。そうした人间には「成长することで自由になれるだろ」と言うようにしてきました。

他人にあれこれ言われずに自由にやりたいなら、その権利を取りに行くことが必要です。
その為には、先ず期待に応えて周囲に认めてもらうこと、结果それが自分のやりたいようにできる自由を得ることになるんだと思います。

(左から)松永州央氏(1990年法学部卒业)、葛原孝司氏(1988年経済学部卒)、

千野信浩氏(1985年総合科学部卒业)、藤井淳志氏(1980年文学部卒业)、

稲富滋氏(広岛大学広报アドバイザー)

<お问い合わせ先>

広島大学东京オフィス

罢贰尝:03-6206-7390

贰-惭补颈濒:迟辞办测辞(础罢)辞蹿蹿颈肠别.丑颈谤辞蝉丑颈尘补-耻.补肠.箩辫 ※(础罢)は半角蔼に変换して送信してください。


up