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访问日
2020年1月28日
センパイ
江口 英则(エグチ ヒデノリ)氏
ウチダエスコ株式会社
1979年総合科学部卒业。広岛県出身。
79年株式会社内田洋行入社。
13年ウチダエスコ株式会社代表取缔役社长。
※ウチダエスコ株式会社は株式会社内田洋行の国内グループ公司。

ウチダエスコ株式会社 代表取缔役社长
江口 英则氏
(1979年総合科学部卒)
訪問記
―総合科学部のご出身ですね。
江口:昭和50年(1975年)に入学し、昭和54年に卒业しました。政経学部(现在の、法学部?経済学部)か総合科学部のどちらかで入学を迷っていましたが、政治や法律より学际领域に兴味を持ち総合科学部を志愿しました。当时、総合科学部は教养部が改组されてできた新设学部で、私はその2期生でしたね。
―前回取材させていただいた内藤さんと同じテニス部だったと伺っています。
江口:そうですね。体育会テニス部でした。入学した年、ちょうどカープが初优胜した昭和50年を记念して、50(ごーまる)会という名前で、テニス部の同期会があるのですが、内藤さんとはその会で时折お会いしています。运动をしたかったので、中学?高校と続けていたテニス部に入ったのですが、部活だけに时间を割いている场合ではないと危机感を感じ、2年生の时にやめました。
―それでは何をはじめたのですか。
江口:社会につながることをしたいと思うようになり、一番力を入れたのは、地元のテレビ局の报道番组を作るアルバイトですね。
具体的には夕方6时から放映される报道番组作成の手伝いです。学生アルバイトでしかないのですが、贵重な経験を色々させていただきました。大変兴味深い报道现场に同行したり、県内で古坟が见つかったからと、カメラマンがヘリコプターから身を乗り出して撮影するスリルのある现场での助手のお手伝いなども(笑)
―ずいぶん楽しそうですね。
江口:本当にいい経験をしました。始めた当初はマスコミ业界への就职にも兴味があったのですが、3年间のアルバイトで仕事内容を垣间见て、気持ちが変わりました。
―実际に仕事をして「気持ちが强まるタイプ」と「まあいいやタイプ」に分かれると思いますが、「まあいいや」となったわけですね。
江口:报道では取材される侧が主役で、报道する侧は里方ですよね。マスコミ业界では主役になれないと気づき、総合商社を志望して就职活动をしていました。じつは「いいな」と思う会社に手ごたえを感じていたので、他の会社を受けないでいたら10月中旬顷に不採用の通知を貰ってしまいます。慌てて大学の就职事务局に、今からどこか商社で受けられる会社があるか探してもらうと「内田洋行という専门商社がまだある」と。それが入社のきっかけでした。
―仕事ではどのようなことをされていたのですか。
江口:オフィスコンピューター(以下、オフコン)の営业です。入社して半年间は、公司への飞び込み営业の研修を受けていました。大阪の中心部の船场センター街ビル周辺の公司に手当たり次第飞び込み営业をしていましたが、なかなか相手にしていただけなく、肝试しをしている感覚でした。
―そのような研修で、一人前になれるのでしょうか。
江口:なれないですね。新人だと営业力がまだ足りないので、「今日は名刺交换を50枚する」「ショールーム来场の约束を1つ取る」といったプロセスの目标が大事でした。必死でがんばって、1日100件以上の飞び込み営业や、60枚名刺を交换したこともあります。
―飞び込み営业のコツって何なのでしょうか。
江口:「一瞬で见て空気を感じる力」ですね。飞び込み営业では、访问した会社に入り「こんにちは~」と言った瞬间にひととおり见渡して、社内にあるコンピューターのメーカーや会社の雰囲気などを読み取るのです。惯れてくると、どの人が社长の息子さん、どの人が奥さんなのかといった家族构成も见えるようになってきます。
ただし、大阪にいた最初の1年半は提案书や见积书をたくさんお出ししても1台も売れませんでした。商谈は决着しても他社に决まるという商谈の败戦をたくさん経験しました。こういう状况で最初の1台の受注は同期の中で一番遅かったのですが、入社2年目の最后の半年でなんとか6台受注することができました。
当时は月に1台受注すれば、トップセールスと言われていましたので、この结果は自信になりましたね。そのせいかどうかわかりませんが、入社3年目で四国に転勤になり、1人で驻在する地域担当の仕事をさせて貰えるようになりました。
―コンピューターは学部时代とは异分野ですね。専门知识は当初持ち合わせていなかったのではないでしょうか。
江口:図书馆に通ったり、本を购入したり、通信教育を受けて知识を身につけました。コンピューターの知识というよりは各业种特性の勉强ですね。例えば四国に有力公司が多い鉄钢业、造船业やタオル业の产业构造や业务内容などです。コンピューターは业务改善のために导入するのですが、业种のことを理解していなければ、的を射た质问や提案もできないですからね。
―数字につなげられた、その「差」とは何でしょうか。
江口:対话を通してお客様に気づきを促せたことだと思います。コンピューター导入の话だけでなく、お客様の课题を捉える努力をしていました。そうすることで、お客様も気づいていない现场の困りごとや事务処理の流れが把握できるので、ある意味お医者さんのように课题を解决する提案书を书くことができるのです。
―そういったことは谁かから教わったのでしょうか。
江口:大阪时代の商谈の连败経験が大きかったと思います。结果につながらなくても、お客様の课题を分析し、提案书をたくさん书く経験ができていましたからね。四国では1人驻在だったので、职场の上司はいなかったけれど、お客様である社长や社长の息子さん、専务さん(社长の奥さん)などが人生の教师となって、良い経験をさせて貰いました。「人间はあなたを买うけれど、机械は他社を买う」と言われたこともありますけれど(笑)
―その后は、どんなキャリアになるのですか。
江口:5年程四国にいた后、30歳手前で広岛に転勤になり、东京に転勤する37歳までは出身地でもある広岛営业所勤务でした。広岛でもお客様公司の问题解决の提案営业をしており、コンサルタント志向が强まっていました。东京本社では当时社内でコンサル部门を作ろうという検讨もあり、月に一度は东京に出张してコンサルタントの研修を受けた时期もありました。また、中小公司诊断士の资格勉强のために週末は学校にも通っていました。&苍产蝉辫;
そんな中、37歳の时に东京本社の企画部门の管理职という立场で内示を貰います。现场を离れることになるのですが、お客様ではなく自社の问题解决に取り组むのもおもしろいのではないかと気持ちを切り换えて、东京に転勤しました。
―30半ば过ぎで初めての东京、初めての管理职というのはいかがでしたか?
江口:マーケティング戦略を中心に幅広い视点で仕事をすることになりますので最初は戸惑いました。市场がオフコンからパソコンに切り替わる时代で、ハードからソフトへの流れの中で従来の主要商品であるオフコンの贩売実绩が下降していく时期でもありました。会社としてどのようにして生き抜いていくかを考えることがミッションでした。
―その后、上场公司の社长に就任されるわけですね。立场上、気を付けていることはありますか。
江口:2013年に内田洋行の事业部长を退职してウチダエスコ株式会社の社长に就任しました。中长期的にお客様や社会に贡献しなければならない、ということを常に意识しています。公司は、売上や利益といった収益性の向上に视野を向けがちですが、会社の根干は人です。すべての社员が自ら吸収してどんどん伸びていくわけではありません。私は、伸び悩んでいる社员がいても、その人の成长を諦めたくないのです。
―人材育成で力を入れていることは具体的にどういうことですか。
江口:「人を育てる人」を育てるということになるのでしょうか。人を育てる管理职の日顷のふるまいが大切です。大手コンサル会社の言叶を借りると「空(ソラ)が曇っているから雨(アメ)が降りそうだ。伞(カサ)を持っていこう。」の「アメ」と「カサ」の部分、これが提案力です。空が曇っている事実(ソラ)を伝えるだけでなく、これから何が起きるかという解釈(アメ)やどうしたらよいかという解决策(カサ)を加えて、部下にもお客様にも情报発信をせねばなりません。お客様が常に正しい判断ができているとも限りませんので。
ただし、人材育成には时间がかかります。一人の力にも限界があります。限られた资源を有効に使うためには、いま自分が考えていることをありのままに伝える自己开示力が重要になります。そのためにも、社内ではグループウェアを活用した情报発信に取り组んでいます。管理职の人には各自が把握した情报や考え(ソラ?アメ?カサ)の共有をお愿いしていますし、私自身も週に1度は、自身の想いや考えを情报発信しています。
自己开示力を発挥しあう人同士が议论し合うことで人として成长します。自分と违う意见であっても、まずは素直に受け止めることがお互いの成长のカギだと思います。
―最近は自分の本音を表に出さない人をよく见かけます。どのようにしたら変われるのでしょうか。
江口:话しやすい雰囲気を上司や先辈から作っていくことが大切でしょうね。「よし、やろう」と思っても、若い人は最初の一歩が踏み出せないことは多くあります。だからこそ、一歩を踏み出しやすい空気を作っていき、お互い本音で言い合える习惯を生み出す。习惯になればあとは苦ではなくなりますから。例えば、上司や先辈が、部下や后辈に、名前の呼び捨てや、「〇〇君」ではなく、「〇〇さん」と声をかけて会话を始めるだけでも空気が変わると思います。
―ところで健康のために何かされていますか。
江口:食事や运动等、体调管理ですね。
自宅から会社までの徒歩出勤や休日に隅田川沿いを歩く等して、一日1万歩以上を目指しています。また、健全な睡眠时间をできるだけ确保するようにもしています。社长业はいろいろ考えることが多いので、寝付きにくいこともしばしばあります。睡眠前は数ページで眠くなるような小説を読んだりして(笑)质の良い睡眠をとることを心がけています。
(左から)松永州央氏(1990年法学部卒業)、岡本(东京オフィス)、
江口英则氏(ウチダエスコ株式会社)、千野信浩氏(1985年総合科学部卒业)、
藤井淳志氏(1980年文学部卒业)