<お问い合わせ先>
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访问日
2020年2月12日
センパイ
木水 朋也(キミズ トモヤ)氏
2012年理学研究科修了。
ライナ株式会社 ベクターブルーイング ヘッドブルワー
※ブルワー(ビール职人)の责任者
酒屋の営业职→サンクトガーレン有限会社醸造担当→现职
ライナ株式会社
木水 朋也(キミズ トモヤ)氏
2012年理学研究科修了
访问记
―どうしてビール作りの分野に飞び込んだのでしょうか。
木水:大学ではホヤの研究をしていましたが、研究内容を生かした就职先は、研究者として大学に残るか食品开発に携わることしか思い付きませんでした。でも、それは希望する道ではありませんでしたので、好きなことを仕事にしようと思い、お酒づくりの道に进むことを选びました。
―学生时代はお酒が好きだったのですか。
木水:大学ではアメフト部に入っていましたが、その仲间と西条のお祭りに出ては神舆を担ぎ、お祭りが终わると地元の方たちとお酒を饮む机会が多くありました。西条は酒造りが盛んですよね。気づいたらお酒が身近にある大学生活でした。ですが、その时はワインの香りに兴味を持っていました。原料はブドウだけなのに、カカオやイチゴといったいろいろな香りがすることが不思议でした。调べていくと発酵が香りに影响していると知り、そこから発酵に兴味を持ち、お酒に関わる公司に绞って就职活动をしました。
最初は酒屋の営业职として就职しましたが、働く中でクラフトビールのことを知り、「作り手」になりたいという気持ちが大きくなりました。クラフトビールが脚光を浴び始めた时期でしたので、各地でビールの醸造家を募集していたのも后押しとなり、1年程勤めた后、业界の中でも长い歴史を持っているクラフトビール会社に転职しました。
―当然、ビール作りの経験はなかったわけですよね。
木水:素人でもビール作りを始めることができます。というのも、ビール作りの勉强ができる场所は大学の、例えば発酵学を学ぶ研究室ぐらいしかないので、未経験者は実际に工场に入って学ぶしかありません。ビール作りは、职人的なテクニックというよりは、正确に作业ができるかどうかを问われる仕事です。僕の场合は3カ月ほどで仕込みを任せて貰えたので、働きながら経験を蓄えつつ、知识も吸収しました。しかし、2年程で再び転职してしまいます。
―気持ちに変化があったのでしょうか。
木水:自分が美味しいと思うビールを作りたくなったのです。ビール作りに携わる中で、「これとこれを调合したら、こういう香りや味がだせるな」という、自分なりのレシピがたくさん思い浮かんでくるのですが、ビール作りの歴史が长い会社でしたので、定番のビールのレシピがすでに固定されていました。僕が新しいレシピを差し込む隙间が无かったのです。そのような时に、今働いている会社が、ビール作りを始めるために醸造家を募集していたのです。
―実际にゼロからレシピ作りを体験されたのですね。いかがでしたか。
木水:前职で培った経験とセンスが问われました。自分で考えたレシピを形にすることは初めてのことだったので、1年ぐらいは试行错误の连続で、苦労しました。分からない部分は同业者に电话で闻いたりして、ヒントを貰っていました。クラフトビールの生产量は、ビール业界全体の生产量の1%しか占めていないので、竞合するより、みんなで助け合おうという意识の方が强いように感じますね。
―木水さんがイメージする理想のビールがあるとして、それをどうやって製品にしていくのですか。
木水:饮みたいビールのイメージを言语化して、それに合う麦やホップ、発酵温度を决めていきます。例えば、当社で売れ行きのよい「ねこぱんち」だと、「柑橘の香りを立たせながらも滨笔础ほど苦くない、すっきりとしたビール」を目指しました。そこから逆算して、残糖度やアルコール度数、色味を决めて、色の薄い麦芽を使うことを决めました。このような流れで作ります。
―「ねこぱんち」。とてもインパクトがありますが、どういう発想で名前が出てきたのでしょうか。
ねこぱんちの名付け亲:初めて饮んだ时に、「この苦さはちょうど“ねこぱんち”くらいだね。」と言ったのがきっかけです。ビールの柔らかい苦みが特徴的で、そこから连想するものが猫でした。いくつかある候补の中から选ばれたのが、「ねこぱんち」です。当时は猫という名の付くビールが流行っていたので、名前で兴味を持って下さる方もいらっしゃいます。
木水:大きい会社だと、个人の仕事全体への関わり度合いが少なくなりますが、当社の场合、人数が少ないのでビール作りから贩売までの幅広い分野を担当することになります。担当范囲が広いがゆえに、新商品リリースで切羽詰まり大変な时もありますが、面白みを感じながら仕事ができています。
―目标としているメーカーやビールがあるのでしょうか。
木水:フルーツに例えられるビールを作りたいです。例えば、ベルギーのドゥシャス?デ?ブルゴーニュはチェリー、ポートランドのグレートノーションはトロピカルフルーツの香りがします。特に、ベルギーのビールについてはどうやって香りを出しているのか全く想像ができないので、作り方を追究したいと思っています。
―ビールの味は、どのようにして违いが生まれるのでしょうか。
木水:発酵や糖化など、それぞれの製造段阶の温度设定を変えることで、酵母の出す香りも変わってきます。もちろん、使用するホップや麦の种类によっても変わりますね。ちなみに、ホップは1年に50种类近く新种が生产されているので、ビールの味の可能性は无限大です。それに加えて、麦も乾燥温度によって色が変わるので、味にも影响があります。
―醸造家の1日が知りたいです。
木水:仕込みの日は仕込みに専念、それら以外の日はビールの运搬や樽詰め、タンク洗いをしています。
ビールは1日の仕込みと3週间の発酵で醸造されるので、この工程を繰り返しています。今は3人で运営しています。前期は初めて、工场にある设备で生产することができる限界値まで醸造することができました。今年1年は限界値で生产を続け、约10万Lのビールを売りたいと思います。もし全て売りきることができるのであれば、それ以上に需要があることが见込めるので、工场の拡大をしたいですね。
―こちらの工场は、クラフトビール业界の中ではどのくらいの规模なのでしょうか。
木水:大手ビール会社の工场だと60万尝を1回で仕込みます。大手クラフトビールの场合は5000L~1万Lを仕込みます。ここでは1回で1000L仕込むので、クラフトビール工场の中では小さい规模です。発酵用と贮酒用のタンクが合计8本あるので8000Lを常に醸造している计算になります。
―ところでご出身はどちらでしょうか。
木水:宫城県の仙台です。叁陆地方はホヤが有名なので、ホヤの研究をしていた学生时代は、サンプリングのために帰省をしたこともあります(笑)。ただ、亲が転勤族だったので、幼い顷は全国各地を飞び回っていました。小学校は3校、中学校も3校も経験していて、中学1年生の时なんかは夏休みに入ってすぐに転校でした。転勤といった亲の影响もってあってか変わることには惯れているかもしれません。
―宫城県から広岛大学へ进学された理由はなんでしょう。
木水:高校の先生が荐めて下さいました。高校生の时には生物が好きだったので、大学で生物に関して学べたら良いと漠然と思っていました。広岛大学には有名な両生类研究所もあるので、そういった点で先生は荐めて下さったと思います。
―どのような大学生活を送っていましたか。
木水:最初に仲良くなった友人に连れられてアメフト部に入りました。アメフトに大半の时间を使いましたが、理学部の友达とオリキャンに参加したり、旅行にもよく行きました。记忆に残っている游びは、スペイン広场の片隅でアイスの盖を使ってフリスビーごっこをしたことや、夜中に大学一周ラジコン大会をしたことですね。「教育学部の坂がきつい!」って言いながら(笑)。アルバイトは深夜のガソリンスタンドとスーパーのレジ打ちでしたので、生活のほとんどが东広岛?西条で完结していました。
―広大生らしいですね。今の生活に活きていることは何かありますか。
木水:ホヤという狭い分野を研究していましたので、直接仕事に生かすことはできなかったけれど、化学の基础的な知识(実験道具の使い方や化学用语)を持ち合わせていたのは役に立ちました。仕事でも顕微镜を使うことがありましたので。ただし、后悔しているのは、酒类に関する研究机関である「酒类総合研究所」の存在を学生时代に知らなかったことです。日本で唯一のお酒の研究所が大学の近くにあったなんて、今思うと惜しいことをしたなあと思います。
―目の前にあるものの価値には、なかなか気づきにくいですからね。
木水:勉强もですが、勉强以外のことにも兴味を持って行动していれば、现在の选択肢が広がっていただろうと思います。お酒に兴味があれば、酒蔵や酒类総合研究所を访れるなど、兴味を持ったことを突き詰めていく心がけは大切だと思います。僕も最初は売り手の酒屋さんに就职しましたが、作り手に回りたいという気持ちを持ち、行动できたのは僕の人生の転机でした。学生时代にはできていませんでしたが、「しっかり考えて、その时すべきことを行动する」、そのように过ごせれば良かったと思います。
(左から)長谷川(东京オフィス所長)、千野信浩氏(1985年総合科学部卒業)、木水朋也氏(2012年理学研究科修了) 、岡本(东京オフィス)、松永州央氏(1990年法学部卒業)