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访问日
2024年4月26日
センパイ
猪俣 礼治(イノマタ レイジ)氏
1988年法学部卒业
代表取缔役社长
-ご出身はどちらですか。
猪俣:大分県国东市出身で、国东高等学校を卒业しました。
-学生时代はどんな生活でしたか。
猪俣:今はなくなってしまいましたが、スケート部のアイスホッケー部门に所属していました。スケート部の中には他に、フィギュア部门とスピードスケート部门もありまして、当时、西白岛にあったヒロシマアリーナを拠点にして、氷上の练习を週3日、陆上トレーニングを週2日、そんな活动でしたね。
学生生活はクラブ活动中心でした。
法学部に150人程度が在籍、その约半数が広岛出身者。勉强に励む学生は地方上级试験に合格して公务员になり、勉强より他のことを优先していた僕らの仲间は民间に就职、そういう时代でした。
大学时代の仲间とも贺状のやり取りが続いています。学生时代は、楽しかったことも、苦しかったことも、アイスホッケーと共にありました。
-アイスホッケーでの戦绩は。
猪俣:残念ながらインカレには出场できませんでした。3年生の时、中四国リーグの最后の试合で香川大学に负けました。僕はキャプテンでしたが、合宿の练习调整ミスで、本当に悔しくて仕方なかったです。中四国リーグには7大学が所属していて、岛根大学、冈山大学、広岛大学、修道大学、広岛工业大学、爱媛大学、香川大学にチームがありました。
ちなみに妻も広岛大学出身、医学部薬学科でした。フィギュアスケートの1つ上の先辈で、スケート部つながりです。
-ところでその后もアイスホッケーはされていますか。
猪俣:社长室に饰っているのが2000年、香港に驻在した34歳の顷に所属していた、クラブチームのユニフォームです。
猪俣:香港にはスケートリンクがあって、少し规模が小さいので人数を一人减らしてプレイします。アメリカ人とカナダ人が多く、1部リーグと2部リーグがありましたが、「ジェッツ」という1部のクラブチームでフォワードとしてプレイしていました。
また、アジアトーナメントでは、日本人チームを作って参加していました。そのチームで一绪にプレイしていた仲间が、现在は大手银行の头取です。アイスホッケーは狭い世界なので、结构横のつながりがあります。
-なぜ商社を目指されたのですか。
猪俣:海外プラント、海外建设に携わりたいという思いがあり、ずっと新兴国で仕事をしたかったからです。もし自分が理系だったら、间违いなく桥梁、桥をかける仕事をやってみたかったでしょうね。
当时、トルコのボスポラス海峡に桥をかける事业がありましたが、伊藤忠商事が手掛けており、「商社でもこういう仕事ができるんだな」と惊きました。
梦がありますよね、自分が手掛けたことが重要なインフラになって、新兴国に贡献できるという。「フロンティア」という言叶がもてはやされていた时代でもあり、未开拓の分野を开拓する、というところに魅力を感じました。
-1988年に伊藤忠商事に入社して、希望していた部署に配属されたのでしょうか。
猪俣:されていません(笑)。海外プラントは当时、中东ビジネスが不调で、新入社员の配属がなく「えっ」と思いました。それで「保険部」に配属されたのですが、「保険って、なんの仕事をするところなの」と结构ショックを受けました。それから今までずっと保険の仕事です。
保険部に配属されて「しまった」と思ったわけですが、何がしまったのかというと、ゼミが保険法だったのと数学が得意だったので、履歴书にそれを书いてしまったんですね。
-それなら、间违いなく「保険部」配属ですね(笑)。
猪俣:当时保険部は、管理部门から営业部门になったばかりでした。リスクマネジメントや社内の管理をやるという立ち位置から、自分たちでしっかり稼ぐ、ということに方向転换したわけです。そんな経纬で営业部门として転换后3年目の新しい部署でした。
最初の2~3か月は「いつかこの部を出てやろう」ということばかり思っていました。
-「保険部」ではどういうお仕事をされていたのですか。
猪俣:商社は输出入が大きな仕事ですので、货物海上保険のボリュームが一番大きく、保険部の中に货物海上保険を扱う课がありました。それ以外の保険、具体的には工场の火灾保険や社员の団体保険を取り扱う课があり、僕はそちらに配属されました。
最初に担当したのは、伊藤忠商事の约6,000人の社员が加入する自动车保険です。保険の新规申し込み受け付け、自动车を购入した场合の车両入れ替え、保険金请求のサポート、更改など。それから事故があるとまず一报が入ってくるので、保険会社に事故报告を作成する、过失割合の调整対応などの、いわゆる事故対応です。
つまり、社内の人たちがお客様でした。
-そうやって仕事を进めていく中で、猪俣さんの中で何かが変わっていったのではないかと想像します。
猪俣:最初の3か月间は「俺は何をやっているんだろう」と思っていました。1年目ですから、同期以外は全员先辈なので、上から目线でいろいろ言われるわけです。プラントで顽张ろうと思って入社したのに、保険会社に行く以外は外にも出ない。
2年目に大阪に転勤になり、货物海上保険を担当することになりました。大阪の保険部には若手がおらず、东京の新入社员で初めて転勤したのが私でした。后になって分かったのは、「猪俣は大分出身、広岛大学卒业だから、大阪に送り出しても大丈夫じゃないか」ということになったらしい。
-普通、そう考えますね(笑)
猪俣:当初は本当に闷々としましたが、仕事はきちんとやりました。手を抜いたことはありません。そして、やっているうちに、社员の先辈方から感谢されるようになったんです。
自动车事故の処理が仕事の半分ぐらい、月に30件ぐらい対応していました。そのうちに保険の周辺知识がついてきて、「よくそんなことを知っているね」「あの时は助かったよ、ありがとう」と言われることが増えてきて、それが嬉しく感じるようになったんです。スキルアップしようという気持ちにつながっていって、自分は人に喜んでもらうのが性に合っているかも、と再认识するようになりました。それを社会人1年目で経験できたことが、非常に大きかったです。
现在、ほけんの窓口の社长として、入社式やセミナー、内定者の集まりなどで挨拶する机会には「あの1年があったから今の自分がある」と、経験谈を话しています。
-他の部署だと、1年目から「ありがとう」と言われる机会はなかったかもしれません。
猪俣:我々の会社は来店型のショップで、1店舗目が2000年にオープンしていますが、当时の保険业界は、営业所の贩売员が职域を访问して保険を贩売する、访问贩売が主流でした。
来店型ですと、访问贩売とは违ってお客様自らの意思でご来店いただけます。来店された方には、まずは1时间ぐらい倾聴します。しっかりお闻きすることによって、お客様自身が、自分が何に不安を覚えているのか、悩んでいるのか、何をしたいのかに気づかれます。この気づきが感动体験につながっていきます。
保険商品をお届けする时、お客様に「ありがとう」と言っていただけること、それはこの业界ではあまりないことなんです。
访问贩売では、お客様が入ってくださると贩売员が「ありがとうございます」とお礼を言う立场です。来店型の我々のサービスでは、逆のお礼が多いんです。
こうした感谢の言叶が、自分たちの仕事の意义を知る机会になり、それがお客様に寄り添うマインドやスキルアップを目指す気持ちにつながっている。さらにモチベーションアップにつながる、という好循环を生みだしています。

-伊藤忠商事からほけんの窓口に移ったとき、どんな风に感じられましたか。
猪俣:2014年7月、伊藤忠商事がほけんの窓口へ出资を行って関连会社となりましたが、その时、僕は伊藤忠商事侧の担当责任者でした。その后2017年4月に伊藤忠商事から出向、2019年に転籍し、2022年4月に社长に就任しました。
出资したいと思った会社に出资できて、自分の意志で出向、転籍しましたので、ずっと関わりが深かったのです。新しいところにきた、というよりは、自分が手がけたところにきた、という感じです。
-営业成绩を上げようとすると売る侧が自分本位になる、お客様とのバランスをとるのが难しい业界だと闻くこともあります。
猪俣:仕组み作りが重要ですね。当社は歩合制ではなく、固定给制で、个人の业绩は赏与に反映させます。この业界は、歩合制の方がマネジメントしやすいので、歩合制をとらないのはチャレンジだと思っています。
当社は来店型店舗ですので、従业员の入れ替わりがない方がよいのです。そのことがお客様からの感谢、それによるモチベーションアップが、従业员の定着にもつながっていきます。従业员が定着すれば、それだけ新しい店舗を出店することもできるという、プラスのスパイラルです。
この仕组みは大したものだと思っています。
-保険业界を取り巻く环境は変わったでしょうか。
猪俣:そうですね。个人情报保护法が施行されて、従来のように保険会社の営业员がお客様の职域に入ることができなくなりました。それにより、保険に入りたくても入れない人たちが発生したのです。
押し売りはされなくなったけど、保険を买う场所がわからなくなってしまった。そこで、来店型店舗に足を运んでみると、押しつけもされないし、复数社の商品を比较推奨してくれる。それが评判になってお客様が増え、结果として社员の満足度が高まる、という好スパイラルが生まれたところで、タイミングもよかったのです。
保険业法が改正されて、代理店として复数保険会社の商品を扱えるようになったことや、平均寿命が延びて、长生きリスク対策のための医疗保険や収入保障保険など、様々な商品が登场したことも后押しとなりました。
ユーザー调査をしてみると、保険は商品が多くて比较検讨が大変だけど、コンプライアンスがしっかりしているのであれば、プロに任せようという心理状况が生まれているようです。身近にある保険相谈场所として当社は存在感を増していったということかと思います。
だからこそ、お客様本意の业务运営をしないと、「贩売员の都合でしょ」と捉えられてしまいます。
保険业法が改正される前から、我々はきちんと复数社商品を比较推奨する形をとっていました。ちゃんと理解していただき、纳得できる商品を选んでいただく。结果的に解约率も下がって、会社も成长していきました。
-猪俣さんにとっては、(商社の中核的な業務であるB To Bではなく)B To Cの仕事を選んだ方がよかったといえるのかもしれませんね。
猪俣:そうですね。大きな企業相手に世界観やストーリーを語ってもピンとこないことも少なくないでしょうが、個人のお客様と相対する仕事は反応がストレートで、感謝の言葉もいただけます。それに気がつくきっかけになった、伊藤忠商事での最初の1年は、僕にとって財産であり、あの时があったから今があると思います。