「広大东京リアル部」のページには、「広島大学公式ウェブサイト管理?運用指針」に基づき、东京オフィスが以下の基準を満たしていると判断した記事を掲載しております。
<投稿记事のルール(掲载できないもの)>
?个人や大学の诽谤中伤记事
?人権侵害や名誉弃损にかかわるもの
?贬补迟别スピーチ
?品位の劣るもの
?その他常识的に不适切と思われるもの
(2018.1制定)
広岛出身の私は、东京にでてきて14年目を迎えた。
14年の间に、结婚して二人の子供に恵まれた。家族の形がかわるごとに、住まいを见直し、4回の引っ越しを重ねてきた変迁を振り返ってみる。
当时広岛に住んでいた私は、东京在住の彼氏と4年间の远距离恋爱を経て、憧れと期待に胸を膨らませ、结婚と同时に东京に出てきた。
最初に住んだのは、住みたい街ランキング上位常连の吉祥寺。「自分达がときめく街に住もう」をテーマに选んだ、大好きな街だった。
住まいは、リビングが広めの1尝顿碍、家赁は10万円台前半だった。
结婚直前期は実家に居候しており、东京までの引越し代をけちろうと、ダンボールに荷物を詰めて宅急便で送る準备を进めていたのだが、见かねた両亲が引越しパックを頼んでくれ、甘えさせてもらった。5万円程度だっただろうか。桐ダンスならぬ、大事に使っていた风吕桶が大きな段ボールから出てきたことを、「风吕桶をもって嫁に来た」といまだにからかわれている。
毎週末、街に繰り出しては、おいしいものを食べ歩いた、思い出の场所。
结婚して1年程経った顷、子供を授かった。1尝顿碍ではさすがに手狭かなあ、ということで、试しにお向かいの世帯用マンションの家赁を调べたところ、20万円もして动揺した。
それもそのはず、周りは100坪は下らない豪邸ばかり、吉祥寺の中でも高级住宅街と呼ばれる地域だった。
そんなハイソな雰囲気も、吉祥寺の街も大好きだったけど、20万円の家赁は払えそうにもなかったので、ようやく驯染んできた中央线沿线の物件を探しはじめた。そして、吉祥寺より数駅西の駅に、2尝顿碍のテラスハウス(2阶建ての部屋が数轩连なるタイプ)を见つけ、临月のお腹を抱えて引っ越した。
家赁は10万円台前半、一部屋増えたけれど、家赁は少し安くなった。中央线沿线だと、西に行けばいくほど都心から远ざかるので、当然家赁が下がる倾向がある。
住みたい街ランキング上位からの脱落?ということで、やや都落ち感を味わったのだが、子供が入园した保育园には、「吉祥寺に住んでいたけど、子供が生まれたことをきっかけに西に流れついた」という人がわんさかいて、なんだみんな一绪じゃん、と笑いあった。
引っ越しにかかった费用は、确か3万円程度。もちろん复数社に见积もりをとり、中には20万円程度の业者もあった。破格の提示をしてくれた础社の営业マンは、奥さんが出产のため北海道に里帰りしているとのこと、関西出身で値切ってなんぼの主人から価格交渉を请け负っている私を怜れみ、「妊妇さんの大変さはよくわかるので、この金额で安心して引っ越ししてください」と言ってくださった。
2年ほど経ち、2度目の妊娠。しばらく2尝顿碍に住めなくもないけど、子供たちが成长しても住み続けるには、広さが十分ではないのではと、同じ市内で物件探しを始めた。
子供たちが通っている保育园がとても気に入っていたし、せっかくできたお友だちとさようならをさせるのはつらすぎるので、同じ保育园に通える范囲内であることが大前提だった。
幸い、赁贷で新筑戸建て3尝顿碍の掘り出し物件に出会い、また临月のお腹を抱えて引っ越した(まじできついのであまりおすすめしない)。
家赁は10万円台前半で、今までとほぼ同额。大家さんの敷地内に建てられた家で、お子さんが家庭を持たれた时のために建てたのだけれど、当分お嫁にいきそうにないからその时が来るまで、ということで赁贷にだされていた。キッチンが大理石仕様の立派な家だった。
引っ越しにかかった费用は、今回も3万円程度。前回の破格の见积书を大事に保管しており、见积もりにこられた同社の方にご提示したところ、当时の営业マンの方が支店长になられており、同じ価格で请け负ってくださった。
大理石仕様のキッチンはとても立派で使い胜手は抜群だったけれど、二人の子育て、保育园通い、都心への通勤で、朝から晩まで时间に追われる毎日を过ごしていたので、10分の时间を捻出するためにどうしても食洗机を导入したくなった。
业者に见积もりに来てもらったところ、特别な仕様のキッチンなので、食洗机を取り付けるには水栓ごと取り换える必要がある、とのことだった。
さすがに赁贷の家でそこまでできないしなあ、ということで、食洗机问题をきっかけに、自分たちの家を持つことを考え始めた。
上の娘は保育园の年长となり、小学校への入学が近づいていた。学区を决めるなら今しかない、ということで、数か月间、毎週末のように不动产屋めぐりや物件内覧を重ね、ようやく気に入った物件にめぐりあうことができた。
ところが、めぐりあうまでに时间がかかってしまい、引っ越しより前に、娘が1年生になることが避けられなくなった。
あいにく、住んでいる地域と、めぐりあった物件のある地域は、小学校の学区が异なる。とても繊细な娘のことを思うと、転校はどうしても避けたかったので、新しい家がある小学校の学区内に、敷金や礼金の不要な鲍搁赁贷物件を见つけ、家が完成するまでの数か月间住むことになった。
実家が戸建てだったのをはじめ、生まれてこの方2阶建て以上の家に住んだことがなく、はじめて住む5阶の家は、なんだかふわふわしていて、地に足がついていない感覚のある毎日だった。
娘の入学前、同じ阶のお宅からお手纸をいただき「同级生なのでよかったら一绪に学校に通いましょう」と诱ってもらったのには、飞び上がるほど感激した。
引っ越しは、惩りずに础社に例の见积书を提示し、支店长决裁で5万円程度だったと记忆している。
上の娘が小学校に入学した年の秋、台风が猛威をふるう中、现在住んでいる家に引っ越してきた。
家族がどこにいてもつながりを感じられる家に住みたい、そんな思いで作った自分たちの家。しばらくは、ここに暮らすことになるだろう。ちなみに、忘れずに食洗机は取り付けた。
购入にあたっては、定年を超える年齢までの住宅ローンを组んだ。
どれぐらいの借り入れができて、どれぐらいの金额の家を购入できるのか、まったく想像ができていなかったところ、ファイナンシャルプランナーの无料アドバイスを受ける机会があった。二人の子供を公立学校に通わせる场合と私立を受験する场合、毎年大阪と広岛に帰省する场合の费用、年に数回のレジャー费用等を勘案して、借り入れ可能な金额を提示してもらったことで、自分たちが持つことのできる家のイメージを大いに沸かせることができた。
将来的な両亲の介护问题も気がかりだったが、日本は公的支援が充実しているので、子ども世代からの特别な费用援助がなくてもきちんと支援を受けることができるとわかり、安心もした。
ちなみに引っ越しは、またもや础社への见积提示で、同じ结末をたどる。10年以上も効果を発挥してくれた、黄ばんだ见积书に感谢したい。
家族が増えるたびに、引っ越しを重ねてきた。引っ越し时の出费は、敷金、礼金、仲介手数料、口座振替等がはじまるまでの数か月分の家赁、で100万円程度と、毎回通帐とにらめっこだ。数回引っ越しを経験しているので、数百万円の大金が飞んで行った。引っ越しのたびに无駄な出费を繰り返してきたような気もするが、最初から家族が増える前提で広めの部屋に住むことも、なかなか勇気が必要だ。
また、公立小学校に通わせるなら、できれば同じ幼稚园や保育园のお友达が通う学校の学区がよい、とか、できれば落ち着いていると评判の学校の学区に住みたい、などもでてくる。
その时々の家族の形にあわせて、住まいの形もかわる。我が家の场合、そういうことだったのかな、と振り返る。
(パンジー田中 大学勤务 1998年文学部卒)
「広大东京リアル部」のページには、「広島大学公式ウェブサイト管理?運用指針」に基づき、东京オフィスが以下の基準を満たしていると判断した記事を掲載しております。
<投稿记事のルール(掲载できないもの)>
?个人や大学の诽谤中伤记事
?人権侵害や名誉弃损にかかわるもの
?贬补迟别スピーチ
?品位の劣るもの
?その他常识的に不适切と思われるもの
(2018.1制定)
<お问い合わせ先>
広島大学东京オフィス
罢贰尝:03-6206-7390
贰-惭补颈濒:迟辞办测辞(础罢)辞蹿蹿颈肠别.丑颈谤辞蝉丑颈尘补-耻.补肠.箩辫 ※(础罢)は半角蔼に変换して送信してください。
Copyright © 2003- 広島大学