财団设立の経纬
1.设立発起人会(平成8年7月31日発起人会)
かねてより学长が意欲を示していた本学支援财団设立が、(株)佐竹製作所佐竹觉代表に原田学长がお愿いして、10亿円の寄附をいただくことになり、いよいよ実现に向けて动き始め、その発起人会が、7月31日、広岛ガーデンパレスで开催された。
当会では、设立趣意书、寄附行為、资产、事业计画及び収支等の议案が諮られ、(株)佐竹製作所(10亿円)と学内募金の寄附をもとに、设立当初は、基本财产2亿円、运用财产6千万円で财団设立を行い、最终的には10亿5千万円(基本财产9亿3千万円、运用财产1亿2千万円)によることが承认された。また、设立代表者及び设立后における初代の理事长には、佐竹觉氏を选任し、理事19名、监事2名及び评议员21名、计42名の役员等が决定された。
なお、佐竹代表から学长が寄附をいただくこととなった経纬は、学长の言叶を借りると次のようなものであった。
私が觉代表にお会いしたのは、広岛大学长になってからである。代表は、教育学问の良き理解者であり、财界の指导者、製粉?精米机に関しての世界的な研究者であり、佐竹スマイルの觉代表にお会いするといつもほっとするだけでなく、多くのことを学ぶことができた。
私がゴルフ好きだということを知られた觉代表は、私をよくゴルフに招いてくださり、ワンポイントのアドバイスをしていただいた。このようなご縁で、忘れもしない第2回サタケ女子プロオープンの前日、プロ?アマ竞技会に觉代表とご一绪する机会があった。この时は、代表と私とローラ?デイヴィスという组み合わせで、女性ロングヒッター世界ナンバーワンのローラのショットに惊いたものである。何ホールか廻っているうち、私が觉代表にこの女子プロの费用について闻き、大きな金额なので、つい私が「広岛大学には支援财団がないのでサタケ财団を作っていただけませんか。」とプレーの合间に言った。代表は、いとも简単に「いいよ。」と言われ、「いくらいるの?」と言われた。私は「10亿はいるでしょう。」と言って、自分のショットの番になった。代表は再び「いいよ。」と言われ、私は「有り难うございます。」と言って球を打ったのだが、球は高く舞い上がって、どこにいったかわからなくなった。
觉代表は、常に资源のない日本国に大切なのは人材で、そのための教育の重要性を事ある毎に説いておられ、広岛大学から是非とも世界に発信できる研究成果をと望んでおられ、このことが财団设立に大きな要素となったのではと思っている。
2.财団法人広岛大学后援会(サタケ财団)设立
设立発起人会が开催され、文部省へ认可申请をしたものの、运悪くちょうどオウム真理教が世间を賑わし、公益法人に対する世间の目が厳しくなったことから、なかなか许可を得ることができず、原田学长も何度か文部省へお愿いした。
その甲斐あって、平成9年6月18日に、待望の「财団法人広岛大学后援会」の设立が主务官庁である文部省から许可された。
设立许可书交付式には、设立発起人会代表者(设立后は理事长)の佐竹觉氏((株)佐竹製作所代表取缔役会长)と同社代表取缔役副会长である佐竹利子氏が出席された。财団法人设立は、かねてから、教职员の愿望であっただけに大学関係者一同の喜びは格别であった。
そして、同7月17日、第1回の评议员会と理事会が开かれ、财団法人の事业计画等が承认され、本格的に活动を开始した。
その后は、この财団の援助が本学にすっかり根付き、现在まで4回の助成がなされている。
佐竹觉代表は、平成12年11月13日にご逝去されたが、本学は今后も觉代表のご厚意を忘れることなく、この财団を育てていかなければならない。
(注)平成13年5月1日に株式会社佐竹製作所は、社名を株式会社サタケに変更した。
(原田 康夫 前広島大学長退官記念誌「広島大学を語る」より:平成13年5月20日)