私が学生时代を过ごしたザルツブルクという街は、バイエルンとの境界に接しています。それだけの理由から、というわけではありませんが、私は自分がドイツの文化に属しているという意识を常に抱いていました。そうはいっても、オーストリアにーそしてスイスにー固有の特徴や、それぞれの歴史、それから言语の特色というものは、もちろんあります。けれども、いま现在ドイツ语やドイツ文学の授业を行うにあたって、私がこのような文化の违いを意识することはありません。
大学でジャーナリスム、ドイツ文学、そして歴史を学び终えると、私はすぐに外国へ行きました。そして、とても多くの大学とかかわり、とても多くの学生と知り合ってきました。いまでも时々、私が初めて语学の授业を行ったときのことを思い出します。それは、レオポルツクロン(着名な映画「サウンド?オブ?ミュージック」の舞台となった场所です)での研究の傍らのことで、アメリカや日本から学生が来ていました。当时、私はすでに日本の文化に魅了されていましたが、実际にこの国を访れる机会がやってきたのは2002年になってからのことです。それから间もなく日本に住み始め、名古屋、大阪、広岛の大学の他に、関西のゲーテ?インスティテュートで教鞭をとりました。
私は自らに文筆の才を見出しており、若い頃から文学を執筆し、発表も行っています。また大学では文学を研究しており、今日に至るまで文学の著作?研究という両分野に携わってきました。そして、エッセイというジャンルにおいてはこの両方に関わることができるのです。これらの分野を通じて、これまでにアーダルベルト?シュティフター、ローベルト?ムージル、ペーター?ハントケなどについての本を発表してきました。また、私の他方面での仕事としては、「文学的?民族誌学的」と呼べるものがあります。これに関しては、ドイツの文化圏から見て多少なりとも「異質」に思える場所ーメキシコ、イタリア、アルゼンチン、そしてもちろん、日本ーについての書物を著してきました。さらに、現代に特徴的な異文化間の問題にも興味があります。その他の活動領域としては、文学作品の翻訳を行っています。これまでフランス語、イタリア語、スペイン語、そして日本语で書かれた著作をドイツ語へと翻訳してきました。(ただし、日本语からの翻訳に関しては、日本人研究者との共同作業のもとで行ったものに限りますが。)
さて、社会の発展を注意深く観察する身として、现代が抱える重大な诸问题の解决策はただ一つしかない、と私は确信しています。それは、より良い教养を积むことです。そのため、教育活动は私にとって近年ますます重要な意味を持つようになっています。若い世代になにかを残したい、特にヒューマニズムに関する価値と知识を残したいと、そう思っています。こういったことは、これまで以上にデジタル化やグローバル化という现象と结び付きを持っているはずです。
2018年现在、私はこれまで日本で16年间、第一线に立ってドイツ语を教えてきました。その间に、娘や亲戚の人々を通じて、小?中?高の学生に、あるいはそれ以前の年代の子供たちに外国语を教えることの実态を详しく知ってきました。子供の顷に外国语と関わるという経験は、彼らが大学や社会人になって外国语を学んだり実践したりする际の能力や前準备を整え、モチベーションを刺激するという役割を果たします。外国语教育に関して本当に変化を求めるのであれば、大学よりももっと以前の、小?中?高の授业においてそれに取り组む必要があります。ですが、小规模のグループにおいて、日本人の学生が比较的短い期间で大きな成果もたらした、という例も见てきました。その际、根本的に重要となるのは、体系的な学习とコミュニケーションの実践との相互の関わりです。日本では特に后者が不足しています。多く学习したにもかかわらず、効果を伴わないことがよくあります。こういったことに、私はネイティヴスピーカーとしての课题を感じています。一方、「文学者」として私が学生に伝えたいと思っているのは、文学作品を読むにあたって创造的な侧面と、それが创られたものであるという侧面、さらには作品の成立事情、これらを考虑に入れるような视点を持つ、ということです。
(原文はドイツ语、翻訳は文学研究科博士课程前期の堀田明が行った)

演习の様子