研究には、自然な成り行きで到るのではありません。つつましい家庭に生まれ、本は家の装饰品だったので、私を研究に向かわせたものは何もなく、小学生のころは、勉强にほとんど魅力を感じていませんでした。
それにもかかわらず、なぜ私が文学、そして外国语としてのフランス语教授法を専攻するようになったのは、私には、インターネット世代よりもずっと前に生まれたという「利点」があったからだと言わなければなりません。というのも、ネットは、素晴らしい情报ツールであると同时に、この情报を掘り下げて考える际には、明らかに障害となるからです。
このように考えると、本がまだ唯一の学习道具で、个人が知を形成するのは学校であった时代を私が経験したことを改めて思い出させます。私の场合、フランスの学校は、文学の古典を私に発见させてくれたことで、その役割を完璧に担っていました。私が文学に兴味を持ち始めたのは、何人かの先生方の情热のおかげでした。例えば、私の高校の女性の先生は、モリエールのせりふやヴィクトル?ユゴーの描写、あるいはセリーヌが新たな使い方をした言语を私が好きになるようにするすべを知っていました。
また、フランスの学校は、私に分析の魅力と厳密さに配虑することを教えてくれました。そして、私の知の形成において最も决定的だったものは、まさに、かつて「人文学」と呼ばれていたフランス式の古典教育でした。

构造がよければ、より高くそびえたつ
まず中学校で、分析することの面白さを私に教えてくれたのは、古典语、つまりラテン语と古典ギリシア语の学习でした。というのも、コミュニケーションの问题がないため、これらの言语は、文学的な関心と、その文法的な构造の特徴である、実に独特な厳密さを求めるために教えられていたからです。うまく构成された文章の良さを私に教えてくれたので、この経験によって、今日、私は言语の习得における统语论的な侧面に関心をもつようになりました。
共和国の学校が、精神を形成し知的な厳密さを要求するための主な切り札を出すのは高校です。そしてこれらの切り札もまた、「フランス式の」教育の二つの特徴に対応しています。
一つ目は、伝统的に优位に立っている论文の练习です。この练习の目的は二重だといえます。根本的に、问题のさまざまな侧面を、分析のさまざまな角度からそれぞれ同程度に厳密に、できる限り掘り下げることを求められますが、形式的には、非常に洗练され、通常3つの部分から成るプランを作るように求められるからです。実际、论を自然に进めるためには、论理の必然を何よりも反映させなければならないものです。
二つ目は、高校の最终学年の时に受ける哲学の授业です。この授业は、フランスの教育においてはエリート的な地位を占めており、私の高校の场合、週5时间あったので、集中讲义と言ってもよいくらいでした。
それゆえ、古典语、小论文そして哲学を学ぶことは、子供のころの私の中の怠惰な部分を打ち砕き、カリカチュアになってしまうほどに、フランス式の古典的教育を象徴しているのです。しかし、これらの教育が、私を変え、研究へと向かわせたことは否定できません。

理论的探求の全ては、たとえ目に见えなくても、実践での结果を生む。
ところで、20年程前に日本で教鞭をとることを決心した時、私は間接的に、自分のキャリアを新たに展開させていました。というのも、制度上、フランス語を教えることが優位に置かれていたからです。そして、自分でも驚いたことには、この新しい目的に、私の文学に対するものと劣らない関心をもって取り組んだことです。結果的に、文学を超えて、私は応用言語学という方向にキャリアを進めて行きました。
今日私は、日本人学习者に対するオーラル?コミュニケーションの教育における学习段阶の问题を深く掘り下げること、より「厳密な」発展段阶を构想することを、课题とすると同时にそこに喜びも见出しています。研究成果を実践に移し、その妥当性を评価するために、私が并行して练り上げているフランス语教育の方法论は、これもまた、方法论的「厳密さ」によるものなのです。