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东インド会社から远く离れて【冈本慎平】

 元々私が兴味を持っていたのはイギリス东インド会社でした。17世纪にイギリスで诞生した一公司でありながら、紆余曲折を経て最终的には広大なインド全土を统治するようになったこの不思议な存在に惹かれ、学部生の顷は植民地経営に関する本ばかり読んでいました。だって不思议じゃないですか。イギリス人はインドの地において少数者――「少数者」という言叶でも大げさなぐらいに、圧倒的少数者にすぎなかったわけです。にもかかわらず、なぜインドは20世纪中盘までイギリスの植民地であり続けたのでしょうか。そして19世纪中盘に解散するまで実质的なインド统治组织であった东インド会社とは、そもそもどういう组织だったのでしょうか。

 しかし、私の専攻は哲学であり、史学科の学生ではありませんでした。东インド会社のような研究テーマで「哲学」の卒业论文を书くのは困难でした。そこで私は当时の指导教员と、上述の私の歴史的関心を活かせる方向で卒论を书けないかと何度も相谈しました。例えば――「植民地への関心なら、エドワード?サイードのポストコロニアリズムはどうですか」「いや、私は文学の教养がまったくないので无理です…」というような。我々が最终的にたどり着いたのは、イギリスの経済学者であり、政治学者であり、哲学者でもあった思想家、ジョン?スチュアート?ミルでした。

 ミルは1806年に生まれ1873年に亡くなった、イギリスの思想家です。その生涯にわたり、ミルは人文?社会科学の数多くの领域において大きな业绩を筑きました。1843年に出版された『论理学体系』はイギリス経験主义哲学の极地とも言える大胆な哲学的主张をしたことで知られています。『経済学原理』は古典派経済学の集大成として高く评価されていました。『自由论』や『女性の隷従』は政治的リベラリズムやフェミニズムの古典として今でも読みつがれています。そして『功利主义』は现代でも「功利主义」という伦理学理论を代表する着作として、様々な伦理问题の考察で参照されています。

 なぜ植民地への関心がミル研究になったのかというと、答えは単纯です。ミルは思想家であると同时に东インド会社の干部社员でもあり、その生涯のほとんどの时期を东インド会社とともに过ごしたからです。思想と仕事は无関係ではありえません。実际、ミルは『代议制统治论』という大着の中で、「东インド会社によるインド统治」の正当性を示そうと议论を尽くしています。私の卒业论文は、东インド会社におけるミルのインド统治実践が、后の伦理学の理论的着作、とりわけ『功利主义』に、一定の影响を与えている可能性を検讨するものでした。この时は、まさかその后10年以上付き合っていくことになるとは思いもしませんでしたが…

 卒业论文は、至らぬ点も多々あったとはいえ、当时の私にできる精一杯のことをやりました。しかし、先述の通りミルは多方面で膨大な业绩を上げた伟大な思想家です。私に扱えたのはそのほんの一端に过ぎず、ミルの全体像はまだ见えませんでした。大学院への进学后は、现代の様々な伦理学や哲学の议论を参照しつつ、『论理学体系』等の哲学的着作群の中で、ミルの功利主义を整合的に理解できる解釈を検讨してきました。

 ミルの思想は単なる过去の遗物ではありません。例えば医疗伦理の规范として、例えば动物解放运动の指针として、例えばロボットや宇宙开発などの先端技术の伦理问题を论じる际の検讨すべき考虑事项の一つとして、ミルの功利主义は今も生きています。伦理学や政治哲学の议论において、ミルの主张は――もちろん必要な修正(アップデート)がなされた上で――色あせない魅力を辉かせています。

 研究を続ける中で、私の関心は元々の歴史的问题から、これらの现代的问题へと徐々に移っていき、今ではこちらが主轴になりつつあります。思えば、植民地からずいぶん离れた场所まで来たものです。


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