世の中には、いかにも奇妙な话がたくさん存在します。私が博士论文の作成に苦しんでいた时、研究対象である白楽天(名は居易、日本の古典文学、とくに平安文学に絶大な影响を与えた中国中唐时代の大诗人)が、毎日のように私の梦の中に现れてきました。梦の中、二人で何をやっていたのか、あまり覚えていません。会うたびにお酒をたくさん饮み、结局、毎回私が酔い溃れていたような记忆がうっすらと残っています(白居易自身もとにかく酒豪でした)。但し、一つだけはっきりと思い出せる场面があります。それは、白楽天がお酒をチビチビ饮みながら、私が毎日爱読していた宋版『白氏长庆集』(现存する最古最善の白楽天の文集と言われてきた)を指さして、意地悪そうに次のように言ってきました。
「此非吾之真文集也(これは、私の本物の文集ではない)。」
それで梦から醒めました。傍でぐっすり寝ている妻や息子の寝颜を见、それが梦であることがわかって、とりあえず一安心しました。しかしながら、次の日の夜、更にまたその次の日の夜も、同じ梦ばかりを见続けました。梦の中の白楽天が繰り返し伝えてくる「此非吾之真文集也」という言叶が、お酒の匂いと共に、私の脳里に焼き付けられたのです。
いかにも信じがたい話ではありますが、このことを後輩にお話してみると、皆「博士論文のせいで疲れているのではないですか?」と、優しく慰めてくれました。しかしながら、私の心の中の不安は、ちっとも消えることはありませんでした――もし今読んでいる宋版『白氏长庆集』が、白居易自ら編纂した文集とほど遠いものであれば、私の博士論文は一体どうなってしまうのだろうか。やはり改めて調べる必要があるのではないか。考えれば考えるほど、不安が募ります。
やがて旧钞本系统の金沢本『白氏文集』(入唐僧の慧萼が白居易の存命中に日本へと持ち渡った白居易の文集)や那波本『白氏文集』の校语などを调べ直してみました。そこで「长恨歌」や「琵琶行」など、多くの名作を収めた巻十二が、后の人によって切り贴りされたものであることに気がついたのです。そこに写されている名作「长恨歌伝?长恨歌」の本文が、白居易本人の作の原型ではないことが明らかになりました。更に调べてくと、同じく一世を风靡した「琵琶引」も、宋人によって改窜されていたのです。また、巻十叁に収められている次の一首にも问题が存在することがわかりました。
离离原上草、一歳一枯栄。野火焼不尽、春风吹又生。
远芳侵古道、晴翠接荒城。又送王孙去、萋萋満别情。
上の诗句の中、最も人口に膾炙し、禅语としても有名になっている「野火焼不尽」の一句は、なんと宋代文人によって书き直されたものであったのです。白居易の原文は「夜火焼欲尽」であり、现在伝えられているものとはイメージが真逆でした。

架蔵和刻本『白氏文集』
このように、调べれば调べるほど、ビックリ仰天。梦に见た白居易の「此非吾之真文集也」の一语の真意が、だんだん分かってきたのです。これで博士论文の方向性が决まりました。白楽天研究の原点に立ち戻り、日本に现存する旧钞本の资料を精査し、白氏文集の成立と日本伝来の経纬を明らかにし、そして白居易の散逸作品を収集して白氏文集の原型を復元する。これに基づいて、论文も量产体制に入って无事予定通り博士论文の提出ができた。これ以来、日本の旧钞本资料を利用して现在通用のテキストを见直し、より成立当初に近い形の復元を目指すことが、私の研究の最も中心的な课题になりました。あの时、梦に现れてくれた白居易に、本当に感谢しています。
以上、私の白楽天梦想物语でした。確かにいささか奇妙な話ではあります。しかし、このように、千年も前の人と心を通わせられるのは、他ならぬ文学研究、しかも古典文学研究こその醍醐味です。いつか研究室で皆さんと集まり、お茶(お酒ではなく)を飲みながら夢想物語会をやりましょう。きっと面白く楽しい話が満載です!

金沢文库本『白氏文集』に対する调査