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玉蝉のかがやき【有马卓也】

玉蝉

玉蝉

 みなさん、上の写真は翡翠に彫刻された蝉(长さ3㎝)です。
これは玉蝉(ギョクセン)と言い、古代中国ではこれを死者の口に含ませて纳棺していました。単なるアクセサリーではありません。では、古代中国の人々はこの玉蝉に何を託していたのでしょうか。

 蝉は幼虫からサナギ(蝉の场合、サナギとは呼びませんが、便宜上サナギと记しておきます。)になって、やがて成虫になりますよね。そのサナギの时は、死んだようにピクリともしません。古代の人々はサナギの様子に死を感じたのでしょう。ところが、サナギはやがて背中が裂けて、幼虫の时にはなかった羽まで备えて、完全に生まれ変わったかのように孵化(羽化)します。
つまり、古代の人々は孵化に死から再生する姿を见て取ったわけです。死者に含ませた玉蝉は、孵化することのない人间を、死后に仙人(成虫)に孵化させるためのアイテムだったのです。「羽化登仙」という言叶もあります。これを図式化したのが下図です。

玉蝉のメカニス?ム

 このように、死后に仙人となるタイプを「尸解仙(シカイセン)」と言います(尸解仙は汉代の文献に既に见られます。これが魏晋南北朝の道教が盛んな顷になると、さらに天界に住む天仙、地上世界を駆け巡る地仙、地下世界で修行を続ける地下主者など、さまざまな种类の仙人が登场するようになります。)。

 上に示した写真は私の所有物ですが、「玉蝉」で画像検索をすると、さまざまな色彩、さまざまなフォルムの玉蝉を见ることができます。アイテムとしては一つあれば十分なのですが、集めたいという衝动にかられます。

 私は卒业论文を『老子』で书きました。大学院进学后は、春秋戦国时代の道家思想から、前汉时代の道家思想の代表作『淮南子(エナンジ)』へと移行しました(両者の间には思想内容にかなりの违いがあります。详细は别の机会に。)。博士论文も『淮南子』で书きました。ちょうどその顷に玉蝉と巡りあったのです。そして、现在は汉代の民间文化の研究を行っています。
 
「木を见て森を见ない」という谚がありますよね。细かな部分にこだわって、全体が见えていないという意味ですが(もちろん「森を见て木を见ない」のも困ります。要は森と木を両方ともバランスよく见ることが必要なのです。)、玉蝉と出会う前の私はかなり「木を见て森を见ない」倾向にあったように思います。玉蝉と出会って、哲学や思想も结局は当时の文化という森の中にあるのだということを强く认识させられました。というのも、玉蝉といった埋葬时のアイテムは、文献に记されることがほとんどないからにほかなりません。私が汉代の民间文化の研究にシフトし始めたのは、この顷からです。先にも少し书きましたが、现在は特に呪术系医疗や各种の呪力(音の呪力?香の呪力など)の研究を念头に置きつつ、日々汉籍と格闘しています。

 ちょっとしたきっかけで、学问のスタイルが変わる。しかも、そのきっかけはどこにころがっているのかはっきりしません(何がきっかけになるのかわかりません。)。たとえば、学会に参加して、自分の専门とはあまり関係のないジャンルの発表の中にきっかけ(ヒント)を得ることは多々あります。これもまた学问の楽しみの一つかなと思います。


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