昔から西洋の言语や文化に兴味をもっていたため、当初は西洋哲学の分野を选択するつもりでした。そんなある日、専门分野を决める材料として开讲されていた分野别の入门授业において、サンスクリット语という、自分の知识体系の中にはなかった未知の言语の响きに魅了されました。この得体が知れない言语とそれを轴として発展した文化を学びたいと思い、インド思想?仏教思想を掘り起こすサンスクリット文献学の世界に飞び込みました。サンスクリット语といっても、ヴェーダ语(サンスクリット语の古形态)、古典サンスクリット、叙事诗サンスクリット、仏教サンスクリットなど様々な种类があります。バラモン教の圣典であるヴェーダの朗唱など、サンスクリット文化の伝统は现在まで続いています。

ヴェーダ圣典の朗唱前
(笔者の友人が2018年1月にインドのポンディチェリにて撮影)
ラテン語と同様、サンスクリット語も原則として知識階級の言語でした。哲学、文法、歴史、詩、祭事、神話、宗教など多彩な内容を持つ多くのサンスクリット文献が残されています。このような古典を現代語に訳出して社会に還元し、読者の知的好奇心を喚起することは、文献学者に課せられた使命の一つですが、英語やドイツ語による現代語訳に比べると、日本语による翻訳は数が少なく、やるべきことは山積みです。
サンスクリット文化はアジアの広域に伝播し、现代でも様々なところにその影响を见ることができます。例えば、东南アジア诸国では、おびただしい数の仏像、ヒンドゥー教の神像、サンスクリット语碑文などが発见されています。サンスクリット语は、アンコール?ワットで有名なクメール王朝の宫廷语の一つでもありました。

アンコール?ワットに安置された仏像
(笔者の友人が2017年5月に撮影)
チベットや中国にはインドから多くの仏教文献がもたらされ、現地語に訳されました。漢訳された仏教経典などを通じてサンスクリット文化は日本にも入り込んでおり、サンスクリット語に起源をもつ日本语もあちこちにあります。例えば、日本语の「奈落」(naraku)は、地獄や地下世界を意味するサンスクリット語narakaからきています。
今思えば、これまでの自分の研究活动には、他人の役に立とうとか社会に贡献しようとかいう意识はあまりなく、それは、単に自己顕示欲を満たすためのものでした。この厳しい世界を自らが生き抜くために、国内外の学会を飞び回り、论文を次から次へと投稿し、书籍を出版していました。自分の研究活动が结果的に他人に対して何らかの利を生むことがあったとしても、本人にそのような利他の精神はなく、基本的に全て自利のための学问でした。教员をしていた母は「人が最も喜びを感じるのは谁かの役に立てたとき」と言っていましたが、若かりし顷の笔者には意味が理解できず、自分が成功することの方が嬉しいに决まっていると思っていました。
教育に携わる职につき、教员の知识と経験を求めてやってくる学生たちと日々を过ごしていると、母のことばの意味が少し分かったような気がします。今、笔者が最も喜びを感じるのは、自分の学问が学生たちの人生に贡献できていると実感するときです。それを感じる场面は、日々の授业にはじまり、学生たちの论文が学术雑誌に掲载されたときなど、様々です。昔、笔者が特别研究员などの职に採用されたとき、当时の指导教员はそれを自分のことのように、いやむしろ、自分のこと以上に喜んでくれて、未熟な笔者にはなぜ他人のことをそこまで喜べるのか理解できずにいましたが、今ならその気持ちが分かります。
これまで蓄积してきた「自己のための学问」は、今、「他者のための学问」へ変わろうとしています。これからは、自分の大切な人たちのために生きてみようと思います。