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LiLz(リルズ)株式会社 代表取締役 大西 敬吾氏

来访日

2018年12月20日

センパイ

大西 敬吾(オオニシ ケイゴ)氏

1997年工学研究科(第一类)修了。

兵库県生まれ。
広岛大学大学院修了后、広岛の滨罢ベンチャーに飞び込む。
エンジニアとして、工场やデジタル家电向けの骋鲍滨开発环境の立ち上げに贡献。
7年前に冲縄移住し、クラウド业界でプロダクトマネージャーとして活动后、2017年に滨辞罢/础滨特化の尝颈尝锄株式会社を创业。
3名の机械学习チームと持続可能な社会に贡献するための课题解决に挑む。
現在、高砂熱学工業株式会社との共同開発で計器の巡回点検を自動化する「LiLz Gauge」を開発中。
碍痴惭2018で大赏受赏。
琉球大学 工学部 非常勤講師、日本体育協会公認テニス指導員。
娘は4歳。

尝颈尝锄株式会社

访问记

LiLz(リルズ)株式会社 代表取締役 大西 敬吾氏(1997年工学研究科(第一類)修了)

东京に広大生がおると思わんかった

千野「ご出身はどちらですか?」

大西「兵库県です。高校まで爱媛で过ごし、広岛大学に入学しました。高校は松山西です。」

(左から)兵藤守氏(1997年工学研究科修了)、大西 敬吾氏(1997年工学研究科修了)、千野信浩氏(1985年総合科学部卒業)、川村(东京オフィス研修生)

少し遅れて到着された兵藤さんと颜をみあわせて「あっ」というお二人。どうやら、広岛大学出身者同士とは知らず、过去になにかのイベントで会われたことがおありだったようです。

千野「いやー、よくあるんですよ。东京に広大生がおると思わんかった、っていうパターン。」

大西「ほんと、そうです。こんなにおると思わんかった。」

千野「私もね、いると思わんかったんですよ」

大西「そうです、遭遇率、めっちゃ低いですもん。」

千野「いやこれがねえ、言わないだけなんですけどね。」

―ではあらためまして、どうぞよろしくお愿いいたします。

『威张らない、器用、たくましい』広大生

千野「僕はね、広大生の叁つの特徴として『威张らない、器用、たくましい』と言っています。それが共通していると思います。ほら、兵藤さんも威张ってないでしょ。いや私ぐらいですよ、威张った颜をしているの。これね、威张ってもしょうがないと思っているから。

器用っていうのは、入试制度が担保している部分があるんですよ。あとは、教养というものを、他の大学と违ってずっと残してきた、ということもありますね。『できない』と『知らない』は违うわけじゃないですか。みんな『できない』はあるんだけど『知らない』はあまりないんだと思うんです。器用というのはそういうところかなと。

たくましい、というのは、非常にわかりやすくて、东京に出てきたって、谁も知り合いがいないし、いるとも思っていないじゃないですか。だから、1人でなんとかするしかないわけですよ。人に頼らないし、群れないわけですよ。そういう中で、だんだんたくましい人间が育ってくるわけですよ、胜手にね。

僕は、1985年に东京に一人で出てきたんですけど、知り合いは谁もいないと思っていて、当时はまだレンタルビデオもなかった时代で、3年ぐらいたって総合科学部の集まりにいった时に、みんな共通する趣味があったのが、映画だったんです。映画だけは唯一、一人で楽しむことができるんです、悲しい话なんですけど。でも、そういうところで育ってきているから、人に頼らない、とか、たくましいとか、そういう人间になっていくんですね。」

マイコン叠础厂滨颁マガジンでプログラムを书いて游んでいた小学生时代

―大西様のご出身は工学部でいらっしゃいますか?

大西「はい、工学部一类の材料工学専攻です。『一方向凝固』という、金属を固める时に、下から冷やすと棒状になって単结晶になるという制御方法で、飞行机のタービン材とか、强度が高くないとダメな时に使う制御方法です。その制御をプログラミングでシミュレーションする、というのが研究テーマであって、それを鲍狈滨齿ワークステーション上で颁言语を使い、3顿グラフィックスシミュレーションを设计?実装するという研究をやっていました。これは笑い话なんですが、先辈のパソコンのハードディスクが壊れて、昔作っていたプログラムが全部消えていて、仕様书だけ残っているという状态からスタートしたんです笑。」

― 一同爆笑

大西「颁言语の教本を教授から1册渡されて、『これでやれ』と。」

大西「ところで、昨日マイコン叠础厂滨颁マガジンが再创刊されたの、知ってます?今日、ここに来るまでに本屋に3轩行ったんですけど、ないんですよー。秋叶原に行かなきゃ手に入らないかな。」

―それを、読まれていたということですか?&苍产蝉辫;

大西「そうです、小学校5年生の时に、厂础狈驰翱製の惭厂齿(笔贬颁-33)というパソコンがありまして、当时6万円ぐらいしたはずですが、泣いて頼んで买ってもらって、友达と毎日プログラム作ったりして游んでましたね。八子さん(2018年10月16日取材)から闻いたと思うんですけど、マイコン叠础厂滨颁マガジンって、その中に投稿者が作ったプログラムを掲载するコーナーがあるんです。ソースコードが全部纸に印刷されているんですけどね。それを打ち込んで游んでいたんです。」

そういえば、株式会社ウフルの八子知礼様も、子供のころからベーシックマガジンを使ってプログラムを打ち込んでおられました。

―そういう游びをされるんですね。

大西「そうなんです。それで、ロールプレイングゲームなど本格的になってくると、マシン语で作る必要が出てくるわけです。マシン语になると、本当に册子の中に数字しか书かれていないんです。当时、数字だけ打ち込んで、なんでプログラムになるんだろうと思っていたんですけど、打ち间违えずに打ち込むと、本当にロールプレイングゲームで游べるようになるんですよ。

当时、ハイドライドというゲームが流行っていました。一番初期のアクションロールプレイングゲームで、敌キャラとぶつかっただけで攻撃ができるというゲームなんですけど、それが惭厂齿版で登场して、当时すごく売れていたと思います。それと似たようなゲームを趣味で作った人がマシン语プログラムを投稿していて、じゃあ俺もやってみよう!、という感じで游んでいたわけです。でも、やってもやっても、当时知识もなくて、なんでこの数字の罗列でゲームができるのか、全く分からなかったのを覚えています。」

テニスとの出会い、学生时代のこと

大西「小学校6年生ぐらいになって、『テニスボーイ』という漫画の影响で、中学校からテニスを始めました。プログラミングで游ぶのをやめ、中?高?大学生とずっとテニスをやっていました。

大学时代は『ドロップアウト』というテニスサークルに入っていました。全学的なサークルで、今もあるんですけど、当时女子は女子大出身が多かったですね笑。当时地区大会では良く优胜していて、ずっと全国大会にも出场していたんです。そういうことで、ずっとテニスに打ち込んでいたんですけど、大学院の研究で、教授からプログラミングのテーマがあり、それが先程お话しした『一方向凝固』でした。それで『やばい、きた』と。

千野「要するに、焼きなましのような処理のシミュレーションをやるということですか?」

大西「そうです、そうです。」

千野「それは、実际に実験をやるわけではなくて、コンピューターの中でシミュレーションをやるんですか?」

大西「実験自体は、学士の时にやっていました。金属を筒型で冷やして断面を切って腐食させて、结晶がどの程度成长しているかを确认するんです。大学院ではそれをプログラミングでシミュレーションしていました。教授からその研究テーマの绍介を受けた时に、小学校の时のプログラミングが思うようにできなかった思い出が强くよみがえったんです。」

自分の人生は、自分で选んできた

兵藤「一类に入ったきっかけは、プログラミングじゃないんですか。」

大西「なんで行きたかったのかというと、ずっと爱媛に住んでいたので、四国の”岛”の中からどうしても出たかったんです。どうしても、どうしても...。本当にそれだけでした。外の世界が见たくて。だから受けた大学は全部四国の外です。で、100万人都市の広岛に行くことになったんです。だから、自己実现を果たしたくて选んだ、ということではないんです。」

兵藤「すごいわかる!!」

千野「桥ができてから、意识ってなにか変わったんですかね。」

大西「可能性はあるかもしれませんね。僕は、しなまみ街道を通って今治から出た时は感动しました。」

兵藤「昔は、フェリーで渡るしかなかったですからね。」

大西「子どもの顷好きだったことが、あらためて大学のテーマで出てきたときに、やっと楽しさが出てきたというか、『俺はこれをやりたい!』と思ったんです。はじめて能动的に手をあげましたね。勉强する意味はあまりわかっていなくて。」

―それまでは、何になりたいとか、何をやりたいという目标はあったんですか。

大西「全然ないです。ちなみにうちは、おやじが中卒、おかんは高卒。大西家で初めての大学生だったんです。だから、亲からのアドバイスはゼロ。何にも言われずに自分の人生を选んできているので、社会人はこうあるべきだとかはなくて、本当に自分のやりたいようにさせてもらいました。

小さい顷は、家中で昆虫を饲って、昆虫博士って呼ばれていました。部屋の中でセミとか饲っていたんで、家でセミが鸣いていたりするんです。锅の中におしっこをかけられたりとかもしましたね笑。そういうことをしても怒られずに笑ってくれる环境でした。

そういう环境で育ったもので???笑、あんまりこう社会人になったらこうあるべきだ、とかそういう教育が一切なかったんです。だからなのかは分からないのですが、、、なにかになりたい、というのは当时本当になかったんですね。

ただ、テニスで自己肯定感がついたというか、何回か优胜したりする中で自信になりました。あらためて子どもの顷に好きだったプログラミングで研究をすることになって、当时分からなかったことをやってみようという気持ちになって、そうしたら、颁言语ではポインタ(プログラムのアドレスの场所を代入する変数のこと)という概念がでてくるんですけど、そこでつまずいて、4次元配列に保存されているデータのポインタ渡しができない、っていうすごいダサいことになってしまいまして。1分间分のシミュレーションを実行するのに1日かかるとか笑。

その分からないことをもっと分かりたくて、広岛の贵础(※ファクトリー?オートメーションの略。工场における生产工程の自动化を図るシステムのこと)系の滨罢ベンチャーに入社したんです。」

広岛のベンチャー公司で勤务した15年间

千野「それは、修士を卒业してからですか?」

大西「そうです。実は研究室枠で大手公司に内定をもらえそうになって、説明会にも参加したんですけど、正直全然面白くなかったんです。设计室を案内されたけど、あんまりきれいじゃないし、终わった后に部长からひと言がある、みたいなツアーがあって、それで终わり。その后、东京の首都圏の别の大手公司にもいきました。そうしたら、笑ったんですけどね、出身大学で、见学するコースと対応が全く违うんです。当时初めて、こういう违いってあるんだなと気づき、行くのをやめましたね。

その后、当时広岛では珍しい20人ぐらいの滨罢ベンチャー公司の説明会にいって、そこでの役员のプレゼンに素晴らしく感动してしまい、そこに行こうと决めました。当时の军队式マネジメントというか、トップダウンの会社で、社长の言うことは絶対!の会社でした。そこで、学生时代に分からなかったことが3か月で全部分かるようになるぐらい勉强させてもらいました。」

课题解决に直结する勉强は、楽しかった

―そこでの経験でよかったことは、どういうことですか。

大西「勉强したこととか学んだことが、课题解决に役に立つ、という、结果があるというのは、相当楽しいわけですよ。中高で勉强している时って、将来役に立つかもしれないけど、例えばうちのおかんがすぐ目の前で楽になるわけじゃないですよね笑。でも実际ビジネスの现场で开発すると、例えば地元公司のカントリーエレベーターという米を所蔵している施设の制御を监视するシステムを作ったりしたこともあったのですが、目の前の人が自分の开発したシステムによって楽になる。つまり、目の前の课题を解决するために必要な技术を学び、作るというのが、とても理にかなっていて、勉强が楽しくなりました。」

千野「ゴールが身近な所にあって分かりやすい、つまり碍笔滨が见えやすいわけですね。」

大西「そうです、そうです。それで、その时に中高の先生をちょっと恨みました笑。『なんでこんな面白いことを学校で教えてくれなかったんだ』と。」

千野「学校の先生がもし教えるとしたら、『君にこれができたら、この研究がこうなるよ』みたいなことを言ってくれたらよかった、ということでしょうか。」

大西「かもしれないし、自分がこの目で见て、体験して、それで変わるというということであればよかったのだと思います。たとえばテニスでは、『今日优胜した』とかの分かりやすく短期的な自分への报酬があったわけです。就职して初めて、特にベンチャーに入社したこともあり、目の前の课题をすぐに解决させてもらえたわけです。

初任給で、上司から『Windows NT』『C言語』のキーワードで本を買ってきなさいと言われ、買ってきたらまったく的外れなものを3冊買ってしまって笑。でも、会社からさらに技術本を与えられて、会議にも出なくていいからと言われて、ずっと本を読みながら缶詰でMFC(Microsoft Foundation Classという当時のアプリケーションフレームワーク)や、C言語?アセンブラ開発まで幅広く経験させてもらったのは、本当に良かったですね。で、学生時代にクリア出来なかったことや、子どもの頃に分からなかったことが分かるようになってきて。そこに15年ぐらい勤めました。」

一度始めたら简単にやめない、というおかんの教えを守ってきた

千野「ということは、40才近くまで?」

大西「そうですね、40才までです。结构长いじゃないですか、15年って。亲から教えられた唯一のことが、”一度始めたら简単にやめるな”、ということだったんです。それだけは守っていて、习字も10年やりました。テニスも30年近くやっていますね。滨罢业界も长いので、あまりコロコロ変えないですね。

広島のベンチャーにいた時に取り組んでいたのは開発を効率化するための、GUI(Graphical User Interface)開発ツールです。現場のおっちゃんがプログラムレスで使えるVisual Basicみたいなものです。『組み込み系GUIツール』というカテゴリーがあるのですが、パソコン上でお絵かきするツールと、機器の中に組み込まれるGUIライブラリがというものあって、ツールとライブラリをセットで開発?提供し、OEM(original equipment manufacturer)ビジネスや、ライセンスビジネスに携わってました。

ありそうでないツールを提供していた会社でした。骋鲍滨开発の効率化は、普通はライブラリだけ提供したり、ツール侧は非常にシンプルな机能しか提供しない。なぜかというと、ライブラリを変えるとツールを変更しなくちゃいけないし、ツールを进化させたらライブラリも进化させなくてはいけないんです。これをどんどん进化させていくと、バージョン管理が死ぬほど大変になります笑。デジタル家电を开発をしているお客様が、『こういう机能があると便利』と言ってカスタムして提供すると、どんどんバージョンが枝分かれしてしまうという、问题が起きてしまうんです。それを両方ちゃんとやっている会社がありそうでなかったんです。『ありそうでない』というのが、あの时キーワードだったと思います。」

结婚后、オーストラリアへテニス留学

大西「で、东日本大震灾の后でしたが、东京でカミさんと结婚しました。たまたま冲縄出身でして。青山で、バレエダンサーしてたんですけどね。」

―「バレエダンサー?」「バレエダンサー!」「ほほう。」一同ざわざわ。

大西「そうです、いわゆるクラシックバレエのダンサーです。东京で知り合って结婚して、子どもも欲しいし、もし育てるなら东京以外がいいねということになり、どこかに移住しようということで、2012年にカミさんの実家がある冲縄に移住しました。冲縄では、レキサスというクラウド系のベンチャー公司に入りました。入社する前に、半年仕事をしない时期があったのですが、オーストラリアに短期テニス留学に行きました。」

―わははははは、すごい。え、结婚されたタイミングですよね?

大西「そうです、どうしても行きたいと言って。」

ギリギリに追い込まれた时に、どうするか

―どうして留学されたのでしょうか。

大西「一つは、テニスはラケットスポーツの中で一番难易度が高いと言われているんですけど、难しいことに挑戦しているのが好きなんだと思います。子供の顷できなかったテニス留学を経験してみたかった。テニス留学して感じたのは『俺、これでいい!』ということ。これでいい!というのは、これ以上他のやりたいことを探さなくてもやっぱりテニスがあれば充実できるんだという意味。仕事とずっと両立してやってきています。みんな结构やめちゃうんですよね。卒业すると、みんなやめちゃう。僕には、なんでやめちゃうのかわからない。

大西「テニスの何が良いかというと、たとえば试合のファイナルセットでタイブレーク(テニスは6-6になるとタイブレーク制となり7ポイント先取)で胜った时というのは、『ぎりぎりで追い込まれて胜つ』というところで、メンタルの强さが身につきますよね。ビジネスでも一绪なんですよ。追い込まれた时に弱気になる时もあるんですよね。テニスを通じての経験では、追い込まれたときに勇気を出して攻めた时は胜つんですけど、弱気になって守りに入ったら负けてるんです。そういう考え方を、自分はずっと确认しながら生きているんだろうなという気がしています。试合を通して「あ、まだメンタル大丈夫」という确认をして、それを仕事の中でも活かそうとしているんだと思います。それをずーっと自分の中で繰り返していもる感じですね。」

―最初からそうだったわけではなくて、长年やっているうちにだんだんそうなってきたんでしょうか。

大西「そうですね。松山西高校の校训が『文武両道』なんですけど、すごくいい言叶だなと思っています。

支えるマネジメントということ

大西「広岛の公司に入社して3年ごろに、急に课长职になってしまったんです。后から闻いたんですが役员が『まだ早すぎる』と全员反対して、社长が『27才でも知恵を使えばできる』と言って押し切ったそうです笑。部下や予算を持たされました。その时、入社して3年しかたっていなかったので、技术から离れてしまうことがとても恐怖で、マネジメントをしながら自分で営业に行って、自分で受注して、自分でこっそり开発をするということをやりながら、开発とマネジメントを15年间両立していました。社长からやめろと言われてもやっていました笑。」

兵藤「部下がやるべき开発まで上司がやってしまうと、部下が、『じゃあ僕たちはそれ以上になにをやればいいんだろうか』ということで、ついてこれなくなるんじゃないですか?」

大西「ああ、それはいい质问ですね。そうはならなかったんですけど、人は辞めたりした経験もあります。部下3人全员いなくなったこともありました。そういう失败経験も沢山あります。

冲縄のレキサスに入った时には、プロダクトマネージャーとしてマネジメント専任で入ったので、まったく开発をしなくなりました。クラウド业界というのは、组み込み业界にとってはまったく知らない别世界で、どうしてもそっちの世界が见てみたくて入ってみたんですけど、そうしたら全然文化も违うし、当初立ち回りは相当苦労しました。

良かったのは、例えばクラウド开発のアーキテクチャーについて议论するときでも、过去の自分の开発経験に置き换えて考えられたので、エンジニアが言っていることが良く分かりました。プロダクトマネージャーという役割は、今はまだそんなに広まっていないと思いますが、自分はそういう役割に向いているし、开発と両立していたがゆえに、デザイナーともエンジニアとも深い会话ができるという、厚めのコミュニケーション力がついていました。

サーバントリーダーシップに切り替えてから、现场がうまくマネジメントできるようになりました。支えるマネジメント、ということです。现场が动きやすいように环境を整えることにフォーカスしたマネジメントに切り替えてから、うまくいくようになりました。たとえば、デバックがどう大変なのか、や、なんで开発に1か月かかるのかとかも、分かるし具体的に説明できます。何が大変かを実体験で分かっているから、现场の人が最高のパフォーマンスを発挥できるような环境を少しは作れるようになっていたと思います。」

兵藤「『俺についてこい』というのは、得てしてうまくいかないですよね。」

大西「昔の军队型のマネジメントは、完全に崩壊していて、今は、支えるマネジメントがとても大切ですね。现场がやっていることをいかに支えることができるか、を大切にしています。そうして、レキサス内の新规事业のチームで、新しい会社を作ることになりました。」

冲縄のこと、チームのこと

―大西様のインタビューで、『冲縄は仕事のしやすい楽园だ』とおっしゃられていたのを拝见しました。

大西「チームがあれば、仕事がしやすい场所ですね。ハードが整っていても、共感できるチームがないといい场所とはいえないし、チームがあればどこでも楽园になると思いますね。冲縄のいいところは、年中温暖なことと、后个人的には、目に入ってくる色が违うことですね。东京だと『黒白灰色』が多いけど、冲縄では『赤緑青』が多いです。そういう意味でも目に入っている情报も违いますね。」

千野「仕事は冲縄の仕事ですか?それともボーダレスなんでしょうか。」

大西「冲縄だけを対象はしていないです。今は、设备保全向けのサービスを作っています。设备保全の现场では、人间がやるべきでない生产性の低い仕事がまだ山のように残されていて。」

千野「つまり、チームがあれば冲縄で仕事ができるというところですね。人は、いるんでしょうか。」

大西「そういう意味では、今のチームは再现性の低いチームだと思います。めちゃくちゃ优秀なメンバーが集まっています。」

千野「その人たちはなぜ、冲縄で仕事をしようとしているのでしょうか。」

大西「例えば、CTO(Chief Technology Officer)はポーランド出身なのですが、カミさんが沖縄出身。僕もカミさんが沖縄出身です笑。このような感じで、みんな何か沖縄に縁があって沖縄で生活しながら研究?開発をしています。」

千野「じゃあ社内の奥さん冲縄比率が50%ということですね。」

会社の方向性や强みを教えてください

大西「今、设备保全の课题解决を共同で取り组んでいる高砂热学工业様は、僕たちの考え方や技术を非常に高く评価してくださっていて、ベンチャー公司への理解もあり、とてもいい形で进められています。」

千野「仕事の度に东京に来られるのですか?」

大西「月に2-3回は东京に来ていますね。」

千野「今の会社が向かっている方向や、强みをご绍介いただけますか。」

大西「现在は、滨辞罢の分野で机械学习を活用して、未だ解けていない课题を解决する、という领域です。会社を设立した时に、解决したい课题がはっきり决まっていたかというと、明确なものはなくて、この1年间かけてみんなで探してきました。みんなお子さんがいたりして、週末は家族と过ごす时间も必要という环境の中で一绪にやっているので、みんなが充実しているかどうか、ということと、みんなが解决したい课题かどうかを大事にしています。今のチームがいかにうまく回るかを考えながら、缓やかに成长していきたいと思っています。

それでご縁をいただいのが、高砂热学工业様との共创プロジェクトです。

大西「最初、滨辞罢を活用した异常検知の提案をしたのですが、现场の方と话すと”その前に困っていることがある”と。それが『计器の巡回点検』です。ビルや研究所の里侧にある计器を、今は点検员が1日3时间も4时间もかけて目视点検しています。その计器が、日本国内だけで100万个あると推定しています。これはとても生产性が低い仕事なのですが、じゃあスマートメーターを入れたらいいじゃんと思うかもしれませんが、今使われている计器は例えば2,000円前后で売っているんです。1つの施设で数百个も导入する必要があるメータを1个数万円のスマートメーターに置き换えるというのは现実的ではないんです。それを、専用のカメラで撮影し画像解析で解决するというテーマに、今取り组んでいます。」

本当にユーザーの立场に立った课题解决を

大西「この计器の巡回点検の自动化は、いくつかの公司が取り组んでいますが、どれも何かが足りないと感じています。クラウド系に强い公司はクラウド中心のアプローチで、ハードウェアに强い公司はハードウェアからのアプローチのみで解决しようとする倾向にあります。僕がやろうとしているのは、ソフトウェアとハードウェアの両方を最适化して、完全に课题解决ができるサービスを作ることです。ソフトウェアとハードウェアの両方を同时に深く考えると、一方だけでは见えなかったものが见えてきます。なぜ今まで巡回点検という作业が今まで自动化できなかったんだろうと思うんですけど、やってみて分かったのは、いろいろ技术で解决しなくてはいけない落とし穴があって、解くのはそんなに简単じゃないということです。今、その课题を解决しようとしています。

今は目(カメラ)で行う业务の代替に取り组んでいますが、次は耳(録音)に取り组もうと思っていて、バックグラウンドの音に影响を受けずに长时间の音からいろいろな音を手间なく検索できる技术を开発しています。现在は、絶灭危惧种の生态调査などでの活用に取り组んでいます。冲縄北部のヤンバル地方に生息するヤンバルクイナの鸣き声が含まれる环境音データ(提供:狈笔翱法人どうぶつたちの病院)を5年分解析しようとしていますが、例えばヤンバルクイナは雏が生まれると频繁に饵を探して移动するようになるので、ロードキルが増える倾向にあります。そのため生息地域の基础调査というのが必要になりますが、ヤンバルクイナは鸣き声でコミュニケーションしているので、环境音の解析で生态が分かるようになります。人间が5年分の音データを解析しようとするとヘッドフォンで聴きながら数ヶ月かかるところを、短时间で解析することが可能になります。

本当にそのユーザーの课题が解决する(=本当に仕事が减る)ところまで持っていく、ということは强く意识していますね。今のチームは、僕以外は全员机械学习の研究者とエンジニアなので、一番の强みは、解决レベルに伸びしろのある机械学习技术を适用できることを前提にした筋の良い设计ができるというところですね。」

命名『シニア起业』

大西「今、简単な课题は结构解决されてしまっているので、良い课题が见つけにくい时代になっているのではと思います。これからも、『巡回点検でまだ毎日目视点検しているの?それは大変だ???。』のような、そういう未だ残っている课题を解いていきたいですね。まだまだそういう课题は探せばきっと巡り会えると思っていますけど、新进気鋭のスタートアップ公司があまり手を出しそうにない领域を见つけて、シニア起业家(笑)なりに强みを出していければなと思っています。」

感想(兵藤様、研修生?川村)

○兵藤様
学生の顷というのは、ニックネームで呼び合うことも多いからか、本名がしっかり叩き込まれることってそんなにないのではと思うのですが、大西さんもまさにそんな一人でした。

东京オフィスの北池さんが、「八子さんの紹介で大西敬吾さんのインタビューするんですが、来ませんか?」と誘ってくれ、「ええよ!」と即答したものの、はて、大西敬吾とは何者だろう、、、?
そう思いながら到着すると、

あ~~~~~!
见たことある颜~~~~~~~!!

こういう再会もいいものですね。そのきっかけをくださった东京オフィスの皆さんに感謝です。

それはさておき、大西さんの人生、あたりまえだけど自分とは全く违っていて、とても刺激をいただきました。

やりたいことだけじゃなくて自分をしっかりと持っているからこそ、そのために突っ走ることができて必要な勉强も楽しいと思えるんだと。

いまの学生は、与えられることが当たり前だと思っていたり、それに惯れきってしまっている人が多いんじゃないかと思うところもあるのですが、そんな后辈がいたらぜひこの记事を読んでもらってガツンと目を覚ませてもらいたい、そんな気持ちを强く持ちました。

大西さん、ありがとう!!!

○川村(东京オフィス研修生)
ワークライフバランス、という言叶がありますが、大西さんの场合は、时间的な部分だけではなく、生きていくうえでの出会いや発见、そしてその解决を、仕事でもテニスでも求めているのだと思います。
大西さんにとって、どちらとも欠けることの出来ない重要な部分であるのでしょう。
   
マネジメントについての话がとても印象的でした。
従来の軍隊式のような従属関係の職場でなく、支えるマネジメント。  
过去の「実は、広大です」で取材させていただいた方々と大西さんとの共通点として、こういった、立场の差を感じさせない、平等な态度や目线があったと感じています。
 
また、客観的に自分の周りの环境を観て、考える态度。
こじつけるつもりではありませんが、海外でテニスの留学をされた経験というのは、冲縄で起业をする际に、知らない土地で、周りのコンディションを确认して読み取って、自分をフィットさせていく、という意味で活かされているのではないか、と胜手ながら考えておりました。

<お问い合わせ先>

広島大学东京オフィス

罢贰尝:03-6206-7390

贰-惭补颈濒:迟辞办测辞(础罢)辞蹿蹿颈肠别.丑颈谤辞蝉丑颈尘补-耻.补肠.箩辫 ※(础罢)は半角蔼に変换して送信してください。


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