麻豆AV

育児のスタートライン

2010年に长女、2013年に长男を出产した。
いずれも出产后に育児休暇を取得し、その后なんとか0歳で保育园への入所が叶い、私は仕事への復帰を果たすことができた。そんな二人も成长し、今は元気に小学校に通っている。

私が育児のスタートラインに立った时、つまり出产の体験を思い起こしてみる。

长女の出产の际は、なにもかもが初めてで、わからないことだらけだった。

私の场合、骨盘が徐々に広がってく痛みが强烈で、大きな金づちでガンガン殴りつけられているようだった。
いっそ、気絶してしまいたいと思うほど、それはそれは强烈な痛みだった。

出产の痛みは、よく「鼻からスイカを出すぐらい痛い」と表现される。
鼻からスイカぐらい、100个でも出してくれるわ、オトトイキヤガレ。意识が远のきそうになりながら、そう思った。
体が分裂してしまいそうな、くだけてしまいそうな痛みが延々と続いた。

骨盘が広がって、赤ちゃんが生まれることぐらい、知识としては分かっていた。
でも、骨盘が広がることでどんな痛みがあるのか、痛みがきたらどうすればいいのか、いきむってどうするのか、产妇人科の先生も助产师さんも、マタニティ教室でも、谁も教えてくれなかった。

どうして、そんなことになったのだろう。

私の母は、そのまた母のお腹から、自宅で生まれてきたはずだ。产婆さんの取り仕切る中、きっとたくさんのご近所さんの手を借りて。同じ时代、生まれてくる赤ちゃんにお姉ちゃんがいたなら、きっとその目でお产の一部始终を见守っていたことだろう。

日常の风景の延长线上にあったお产は、いつしか病院でおこなわれることになっていった。私自身も、もちろん病院で生まれている。

こうして私たち女性は、自分が出产する时にはじめてリアルな出产に向き合う、という事态に见舞われている。いくらプレママ用の雑誌を読み込んでも、お产のリアルは、体験として体に入ってくるはずもない。

出产って、どれだけ痛いんだろう。阵痛室がある病院なら、极限まで待たされて、这うようにして分娩室に移动させられるらしい。私にも、できるだろうか。

お产の现场を目の当たりにしたことがないゆえに、たくさんの不安が、よぎっては消えていく。

私も、妊娠中の知り合いに「痛いですか?」と闻かれると、言叶を浊す。自分のせいで、相手に恐怖心を植え付けたくはない。痛みだけの记忆を语ることは难しい。

现代の女性たちは、それでも、果敢に出产と立ち向かっている。
なんという强さだろう。

私の初めてのお产は、设备が整っているというイメージと、家から比较的近かったこともあり、大学病院にお世话になった。

何かあっても大丈夫、という大きな安心感はあったのだが、破水して病院に到着后、一人の病室で夜中に阵痛に见舞われた时に、ナースコールにすがるも、「ああ、まだまだですね」と看护师の方が立ち去り、放置されたのには「末代まで恨んでやる」とさえ思った。

お产のクライマックスを迎える直前に、十数名の研修生がぞろぞろと见学にきたのにも、大変参った。こちらとしては痛みで构っている暇はないが、见ず知らずの大势の人に囲まれて紧张感があったのか、思うようにお产が进展しなかった。

そして、半日ほど顽张った果てに自力での出产を断念し、阵痛促进剤の投与を受けて、无事に出产した。

初めて娘を胸に抱いた时、嬉しくてかわいくて爱おしくて、とめどなく涙があふれた。

それでも、「私には产む力がないのかもしれない」という思いが、心の奥底のどこかに植え付けられた。

2度目のお产では、病院ではなく、助产院を选んだ。
助产院でのお产は、日本におけるお产全体の1%にも満たないそうだ。それでも私は、「ひとりにしない」「决して否定しない」「女性の総てを受け入れる」という方针に、これ以上ない魅力を感じ、分娩台も内诊台もない助产院でのお产を决断した。

医疗行為ができず、阵痛促进剤の投与はできない。なかなか赤ちゃんが生まれないときには、ぐるぐる坂のエキセントリックなドライブで远心力を利用したり、近くの百货店の阶段を10阶まで昇り降りしたりでお产を促すのだそうだ。重力の力を上手に使ったお产だ。たいていは、それでお产が进むと闻いた。

产院は一轩家、待合室はリビングで、その奥が诊察室。女性の院长は大変おおらかな方で、大きな安心感に包まれた妊妇期を过ごすことができた。待合室とつながっている台所では、2阶の个室で产后を过ごしているお母さんやスタッフの料理が用意されていた。

昔ながらの腹帯の巻き方を教えてもらい、自分でも毎日巻いた。お腹にエコーをあてながら、私には胎児がどういう向きになっているのかすらわからないのに「わあ、可爱いあかちゃん!」と全力でほめてくれたり、どんな风にその日を迎えたいか、どんなお产を望んでいるのかを、丁寧に闻いてくださった。

そして、いよいよその日。いざ阵痛がやってきて、タクシーで产院に向かうこと5分。助产师のみなさんが「お母さん、とてもいいお颜。きっとすぐに生まれますね。」と笑颜で出迎えてくれた。多分、私も痛いながら笑えていたと思う。「もう、大丈夫」。心から安心し、1时间弱で我が子との対面を果たした。

院长はじめ助产师のみなさんは、いくら叫んでも、涙が出ても、「えらいね」「上手よ」と私のすべてを受け止めてくれた。生まれてくる我が子は、自分の手でしっかりと受け止めた。本当に、するりと出てきた我が子を、この手で抱きとめたのだ。

ああ、私はちゃんと子どもを产むことができた。产む力がちゃんとあったんだ。我が子の生まれてくる大きなパワーも、体全体で感じることができた。人生でこれ以上ない幸福感を味わった。

こうして、私は育児のスタートラインに立ったのだった。

(パンジー田中 大学勤务 1998年文学部卒)

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