「広大东京リアル部」のページには、「広島大学公式ウェブサイト管理?運用指針」に基づき、东京オフィスが以下の基準を満たしていると判断した記事を掲載しております。
<投稿记事のルール(掲载できないもの)>
?个人や大学の诽谤中伤记事
?人権侵害や名誉弃损にかかわるもの
?贬补迟别スピーチ
?品位の劣るもの
?その他常识的に不适切と思われるもの
(2018.1制定)
昨年の夏、夫の転勤に伴い、12年住んだ东京から関西へ家族4人で引っ越すことになった。
内示があった时点で、あと1か月で引越さなければならない状况だった。
その时の我が家の転勤ドタバタ剧を振り返ってみた。
今まで関西には縁がなく、もちろん土地勘もない状况での家探しが始まった。
関西圏に详しい友人や知人からの情报収集后、ある程度のエリアと、家の候补をいくつか绞っていざ内覧へ。
とにかく时间がないので土日の2日间で家を决めるしかなかった。
7月下旬、猛暑真っ只中の家探しは地狱だった。
外も暑いが、どの物件もドアを开けた瞬间、外の暑さ以上に煮えくり返っていた。
滝のような汗を流しながら物件を回る中、途中で心が折れそうになったのを覚えている。
悩みに悩んでなんとか家が决まってホッとしたのも束の间、茹だるような暑さの中、次は引越し业者の见积り、荷物の断捨离、荷造り、幼稚园探し、転园、転校、家の手続きが怒涛の势いで続いた。
子どもを连れての引越しは初めてのことだった。
小学1年生の娘は引っ越すことについて、当初は「なんだか楽しそう!楽しみー!」といった感じだったが、転校して1か月程経った顷、朝になると「学校休みたい」「やっぱり东京がよかった」と言うようになり、学校まで付き添って行く日がしばらく続いた。
転校先の学校は人数も少なく、娘は社交的な性格なので新しい学校にもすぐに惯れるだろうと、夫も私も特に心配はしていなかったので、予想外の展开にあたふた。
思えば、新しい环境に加え、运动会の练习が続き(1学期に东京の小学校で运动会、2学期の転校直后にも运动会があった)、疲れや我慢でストレスが溜まっていたのかもしれない。
学校の先生とも相谈しながら様子を见守り、本人のペースを优先しながら过ごしていたが、2度目の运动会が终わった顷には、気の合う友达もできたようで、学校で楽しかったことも话すようになった。
今では学校から帰宅するなり「友达と游ぶ约束してるからー!」と近所の公园へ走って行く日々を送っている。
幼稚园探しも骨が折れた。
家から通えそうな幼稚园、こども园に片っ端から电话をかけてみたが、想像以上に空きがなく苦戦した。
他の学年は空いているのに、我が子が该当する年中(4歳児)の空きがある园は1つしか见つからなかった。
転园が决まり、新しい幼稚园で使う持ち物の準备もしなければならない。
転园前に通っていた幼稚园で使っていたもので、転园后も使えるものはわずかだった。
指定品や新たに购入しないといけないものだったり、中には手作りしないといけないものもあった。
书类の记入、荷物の片付けに追われながら、苦手な裁缝をしなければならない状况は今思い出しても気絶しそうだ。
どこに行っても大体空いていて、人が多くて疲れた…ということがない。
なぜか子どもが风邪を引かなくなった。东京にいた顷に比べ、小児科にお世话になる机会が减った。
少し歩けば长闲な田园风景も见渡せるような场所なので、幼稚园では田んぼ游び、里山探検、川游びなどの活动も多く、自然を満喫している様子。
近所は意外と坂が多かった。「えー。また坂~?もう歩けない。抱っこ~!」坂道に惯れるまで子どもと出かけるのは亿劫だった。
ほとんどの公园の滑り台が「石」でできているので子どものズボンのお尻の部分が破れやすい。
ステンレス滑り台、谁か买ってー!!!
転居した翌日、夫は诸々の手続きのため徒歩で出かけ、私は翌日から始まる娘の学校の準备や荷物の片付けに追われ、午后からは転校と転园の打合せのため小学校、幼稚园に行く予定だった。
荷物の片付けの最中、见知らぬ携帯电话の番号から着信があり、あまりにも忙しいのでスルーしようとしたが、少し考えてとりあえず电话にでたところ、救急队の方からの电话だった。电话の后ろではパトカーや救急车のサイレンが鸣り响いているのが闻こえた。
一瞬、いたずら电话か?とも思ったが、「落ち着いて闻いてください。ご主人が交通事故に遭われました。○○病院に搬送しますので来ていただけますか」
(はて?昨日初めてここに来たんじゃけど?病院どこにあるん?远いん?近いん?)
详しい状况もよくわからず、头の中が「?」だらけのまま、とりあえず救急队の方から教えてもらった病院の住所のメモを頼りに私はタクシーに飞び乗り、病院へ向かった。
この日、たまたま片付けの手伝いに来てくれていた両亲に子どもたちを预けることが出来たのは唯一の救いだった。
幸い、夫の命に别状は无く、けがや処置の状况を医师から闻いた后、入院の手続きを済ませ、ギリギリの时间まで待ってもらっていた小学校と幼稚园へ打ち合わせに何とか向かうことができた。
こんなドタバタ剧からまもなく1年が経とうとしている。
転勤によって起きるのは大変なことが大半だが、その中でも新しい出会いがあり、友达が出来、东京ではこうだったけど、関西ではこういうのもあるんだね!と新たな発见もあり、所変われば品変わるということも、子どもと一绪に肌で感じることができているのは贵重な経験かもしれない。
最近では姉妹喧哗がヒートアップするとお互い関西弁になる倾向もでてきた。
こちらの生活にはだいぶ惯れてきたが、未だに天気予报は「东京」を见てしまう癖だけはなかなか直らないでいる。
(バタバタママ 元大学职员)
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