麻豆AV

正しく间违っている社会贡献の考え方

二宫尊徳といえば、薪を背负って本を読んでいる铜像で知られますよね。

江戸时代の思想家、农政家であり、唱えた报徳思想とは、铜像が象徴するように刻苦勉励して社会に奉仕すれば巡り巡って自分に返ってくる、そんな教えです。

2011年の大震灾以降からでしょうか、社会への奉仕、问题解决のために汗を流したいという志を持つ人が増えていますが、そうした志に道を示してくれるものと思います。

その伟大なる社会活动家が残したとされる言叶が「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」です。

よくよく调べると、二宫自身の着作にはこの文言は见当たらず、のちの报徳思想を受け継いだ者による超意訳のようですが、「二宫翁夜话」を纽解くと、确かにこのような考えを持っていたようです。

前半は分かりやすいですよね。道徳のない経済活动は、世界を大混乱させた诈欺そのものとしか言いようがない投资会社から、人间関係をおかしくしてしまうマルチ商法まで事例はいくらでも见つかります。

问题は后半、「経済なき道徳」です。

就职採用活动においてもやたらと「社会贡献が云々」と、学生も公司も口にするようになっています。

それだけじゃなく、ワタシ自身にも「かれこれこんな活动をやっているのだけど」「この公司に就职して社会に贡献したいのだ」といった绍介や相谈を持ちかけられることも少なくありません。

就职するにしろ独自に活动を始めるにしろ、社会贡献に心血を注ごうという気持ちはとても纯粋だと思います。まさしく「道徳」です。



ところが、社会贡献を実现するための道のりを闻くと、少なからず「経済」が抜け落ちていることに気づきます。つまり、资金の问题を軽んじている、中にはまったく考えていないものもあります。

まるで「おカネのことを考えるのは、崇高な理念を汚すもの」とすら思っているんじゃないかと疑问に思います。その结果、社会贡献という言叶が空虚なもの、絵空事に闻こえてくるのです。

 「日本の文化を后世に伝えるために、芸术家の遗品を収集し管理します」

 「そりゃいいよね。どうやって保管管理する资金を集めるの?」

 「公司はボロ储けしているんだから、税金対策でカネを出させればいいでしょ」

 「御社の社会贡献事业に强く感铭を受けました」

 「社会贡献事业は确かに一部の业务として行っているけど、それ以外の业务に関心はないの?」

 「贫しい家庭の子どもたちに无料で塾を开きたい」

 「それこそが长期的に日本のためになる活动だね。ところでどうやって食べていくの」

 「狈笔翱団体を作れば自治体が助成するんじゃないかと思います」

 「ワタシはサッカーが大好きです。サッカーのチームを大々的にスポンサードしている御社の姿势に共感しています」

 「サッカーを支援している意味、君は分かっているの?」

経営评论家の堺屋太一は、かつてこんなことを言っていました。大意、「公司がなぜ社会贡献事业をやるのか。それは公司を取り巻く地域や顾客から、『お前は収益事业を営んでもいい』と许しを得るためだ」。

ここから敷衍するならば、新卒の採用活动においては、「この会社に入るのは、なんら后ろめたいことはない」と学生に安心してもらうためと、かなり斜に构えた见方もできます。

経営学最高の知性であるピーター?F.ドラッカーは着书の中でこう述べています。

非営利组织には四つのものが必要である。プランニング、マーケティング、人、资金である。(『非営利组织の経営』58p)

非営利组织は、资金源开拓のための戦略を必要とする。公司は売上によって资金を手にする。政府は税金によって资金を手にする。非営利组织は募金によって资金を手にしなければならない。大义に共鸣する人たちから资金を得なければならない。非営利组织の资金不足はいわば宿命のようなものである。(中略)しかし、募金に追われていたのでは存在意义さえ危ういといわざるをえない。したがって、ミッションを募金に従属させることのないよう、资金源开拓のための戦略を必要とする。募金とはニーズの大きさを诉えて金を集めることである。

これに対し资金源开拓とは、そのミッションが支持するに値するがゆえに资金を拠出するという、支持者や参画者を获得する行為である。资金を拠出することによって活动に参画する仲间を开拓することである。(同61?62辫)

こういうことは教えられることすら少ないのが现実です。そして、皆さんがいま学んでいる大学関係者にこそ読んでもらいたい一节でもあるのですが、それはまた别の话です。

公司にしろ狈笔翱にしろ、社会贡献は资金があってはじめて成り立つことが、お分かりいただけましたでしょうか。

公司であれば人と资金を投入できるだけの利益が、狈笔翱ならば事业を継続するだけのスポンサーですね。残念ながら、この资金调达の意义については二の次にされてしまいがちで、それは江戸の昔から変わらぬ课题である、二宫尊徳の言叶から、それがうかがい知れるように思います。

公司に対する世间の目は年々厳しくなっています。それが故に、公司は社会贡献に力を入れ、成果をアピールするようになっています。

しかし、间违ってはいけないのは、社会贡献は公司の姿势を示すものではあるのですが、本业の利益があってこそで、本业のための新人採用であり、社会贡献事业のためではないのです。

正しく间违っているって意味はこういうことです。

シンプルに考えてみませんか。

公司に就职するにせよ、自分で事业を兴すにせよ、仕事を通じて世の中が必要としているモノやサービスを提供することになります。利益をあげれば、税金で社会に还元することになります。事业の规模が拡大すれば、それによって雇用が生まれ、より多くの人に経済的支援ができ、キャリアを积むチャンスを与えられます。ちゃんと働けば、それだけで自动的に社会に贡献していることになるのです。言わずもがなの社会贡献を口にすることって、じつは何も语っていないのに等しいのです。

(出版社勤務 編集者 総合科学部1985年卒)

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