麻豆AV

正しく间违ってしまう自分エピソード

就职活动のエントリーシートや面接で必ず求められますよね、「あなたを语るエピソードを教えてください」。

ワタシもこれまで多くの就活学生に会って、何十何百ものエピソードを见闻きしてきました。バイトやサークルでの経験を、具体的なエピソードを盛り込んで分かりやすく伝えるよう努力していることは认めます。でもね、正直に言ってしまうと、心の中では「またか」「つまんねぇな」と思って闻き流し読み飞ばししています。



ほとんどのみなさん(の先辈方)の努力は、水の泡、时间の无駄です。

なぜかというと、相手が求めていることを伝えていないからです。

相手が求めていることって、なんでしょうか。



エピソードを通して知りたいこととは、?となりです。适性试験や履歴书では分からない内?です。

少しくだいてみると、あなたの性格であり、価値観、社会的活动での考え方、人间的な成长度合いです。

そうした人となりを手がかりに、职业人としての适性、组织での役割、仕事に対する耐性を想像するのです。



ところが、ほとんどのエピソードは自分には能力があり、いかに前向きでマジメな人间であるかをアピールしたものに过ぎません。

就职活动だから能力を伝えなくてはならない、そりゃそうですけど、能力は相手が判断すること。

しかも、潜在能力に期待しているのであって、いまの能力なんて、ほとんど当てにしていません。



そこが正しく间违っている部分です。

ほとんどのエピソードは、だれが教えたのか知りませんが、见事なまでに同じように「困难」「创意工夫」「成功体験」の叁段论法になっています。



?バイトやサークル活动で困难な状况に直面した

?自分が工夫を加え、さまざまな取り组みをして解决した

?イベントが成功した、顾客が喜んでくれた

これじゃあなたの内面は见えないし、ちっちゃな创意工夫の自慢でしかありません。

あたかも「职业人になってからも自分には同じように能力を発挥できるんでしょ」ってアピールでもしているかのようです。

担当者がエントリーシートをまとめて読むことを考えてみてください。次から次へと同じように「前向きで」「努力家で」「创意工夫で困难を乗り切り」「达成感を感じることができた」って话が出てくるのです。少し异様だとは思いませんか?

ならば一生、そのバイト先で働けばいいんじゃないでしょうかって思ったりもします(実际にそんな人もいて、それはそれでいいんですけどね)。



冗谈じゃありません。敢えてはっきりしておきますが、サークルやバイトでの创意工夫なんて职业人にとっては取るに足らないこと、できて当たり前、その创意工夫が能力の証明になるなんて谁も考えてはいません。

つまり、ここが完全にずれているのです。

じゃぁなぜ、就职指南书では「サークルやバイトの体験谈で自分を语れ」などと书かれているのでしょうか。



みなさん、読み方を间违っちゃうんですよね。

重要なのは「自分を语れ」であって「サークルやバイトの体験谈」は、どうだっていいんです。

単に就职指南书の主要な読者である大都市圏の私立大学生にとって、共通した体験として持っていそうなのがサークルやバイトなのであって、「たとえば君は何かのサークルとか入っているだろ」以上の意味はないのです。

なのに昨今はエピソードづくりのためにサークル活动やバイトをやる学生もいるらしく、事态は深刻です。

自分を语ることは、登场人物の人となりを描く小説に似ています。

小説家は作品に取り组むことを「他人の前でパンツを下ろすようなものだ」と例えるものですが、小説、特に心に响く小説って作家の内面、とくに普段は隠している腹黒い、心の奥に潜んでいるいやらしさが否応なしににじみ出ています。

それが読む人の心にも共鸣して、物语に引き込まれていくのです。

自分を语ることは、とても耻ずかしいことなのです。



では、そんな嫌な自分までさらしてしまっていいのか、心配になりますよね。



なぁに、採用する人间だってダメな自分、いやらしい心、腹黒さの一面を持っています。

お互い様の当たり前、人间らしくみえてマイナスになりっこありません。

むしろ空疎な成功谈、つまり完全にずれたゼロの中身よりは遥かにいいです。



逆に耻ずかしい自分をさらけ出したことによって、他のアピール部分の信頼性が高まります。同様にあなたが职业人になってから、信頼される、尊敬を集める人になるのだろうなと期待する気持ちが生まれます。

あなたの内面の悪い面を含めて、すべてを吐きだして、エピソードにリアリティを持たせるようにしてください。

いくつかのポイントがあります。



1「大学时代に」と指定されていない限り、エピソードは「生まれてから现在まで」の中から材料を选びましょう。もっとも梦中になった、悲しい思いをした、とてつもない困难に思えたものがいいでしょう。

2 なぜ夢中になったのでしょう。どういう経緯で出来事に直面したのでしょう。それがあなたの価値観や生活歴を物語ります。それにどう取り組みましたか。そこで行動規範や考え方が分かります。

3 ここで重要なのは、成功したかどうかはまったく関係ないということです。むしろ失敗して落ち込んだ、人生が変わったくらいの挫折の方がいいでしょう。なぜ成功した/失敗したのか。その結果を受けて自分の気持ちや行動をどう変えたのか。これがあなたの成長の軌跡です。



相手が求めているのは、こういうことなのです。

最后に、もうひとつ。



いつもながら不思议でしょうがないのですが、なんで?多数の先辈たちは、?学での勉学や?试への取り组みを?分を语るテーマに选ばなかったのでしょうか。

それこそが大学生としての最大のチャレンジであり、体験であるはずです。余暇、おまけに过ぎないサークルやバイトで自分を语るなんて、大学で学んだ意味を軽视しすぎています。

じつにもったいない话です。

(出版社勤务 编集者 総合科学部1985年卒)

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