痴辞濒.21 「留学は色々なことに挑戦するチャンス」

名前: YUGHIE YUNIOR ALVADIVIA (ユギー ユニオル アルファディフィア)
所属: 総合科学部国際共創学科(IGS) 3年
国際共創学科(IGS)奨学金を受給。株式会社ダイクレ様 冠事业基金によるご支援
インドネシアについて教えてください
私は、インドネシアのカリマンタン岛、西カリマンタン州にあるポンティアナというところの出身です。
赤道直下なので一年中暑いのですが、夏は日本の方が暑いと感じます。インドネシアの夏は、日中は暑いのですが、湿度はそこまで高くなく、朝晩は気温が下がるので过ごしやすいです。
カリマンタン岛に住んでいる人たちのルーツは多様です。大きく分けると、中华系?マレー系?ダヤック系で、私は中华系です。とても自然豊かなところなので、首都がジャワ岛からカリマンタン岛に移転※する际には、贵重な自然が壊されるのではないかと悬念しています。
※ 2024年からおよそ2000キロ离れたカリマンタン岛の东部への首都の移転を顺次始める予定
日本への留学のきっかけは?
インドネシアでは、「贬鲍狈罢贰搁×贬鲍狈罢贰搁」や「ドラえもん」など日本のアニメが多数テレビ放送されていて、とても人気があります。私も子どもの頃から日本のアニメを見てきましたので、自然と日本や日本语に興味を持つようになりました。いつもアニメを見るときは音声を日本语にして、日本语を勉強するようにしていました。
地元では日本语検定の受験機会は多くないため、検定を受けるためにジャカルタや他の都市まで赴くこともありました。

こうして、コツコツと日本语の勉強を続けてきたので、それを活かすために日本で暮らしてみたいと思うようになりました。
コロナ禍だったため、予定より半年遅れて2020年10月に日本に来ました。最初は、大阪の日本语学校に通っており、そこで広島大学のIGSのことを知りました。IGSのプログラムにとても興味があり、奨学金もあることが魅力で広大を受験することにしました。
日本に来て、交通网が発达していることにまず惊きました。电车やバスでどこにでもすぐ行けてとても便利だと思いました。インドネシアには公共交通机関があまりなく、バイクや车で移动する人が多いです。そのため大都市では渋滞もひどく、移动は大変です。
広大のキャンパスがある东広岛は、静かで勉强しやすい环境だと思います。自然が豊かなところが故郷に似ていてとても好きです。
大学の授业はいかがですか?
入学してから新しいことがたくさんあり、大変なこともあるけれどとても新鲜な日々を送っています。
日本人?外国人との新しい出会いもたくさんありました。広大ではインドネシアからの留学生も多く、様々な交流ができています。
滨骋厂の授业はオールイングリッシュですが、インドネシアの学校がバイリンガル(英语?インドネシア语)で元々英语での授业に惯れているので、授业が大変だと感じることはありません。
私は、「环境と社会」の科目を学んでいます。滨骋厂で主に环境や化学のことを学びながら、総合科学科や情报科学部で行われるプログラミングの授业も履修しています。教育学部では、日本の教育についての授业も受けました。
今は広く色んなことを学び、これから自分の専门分野を决めていく予定です。

滨骋厂のコモンルーム

叁景园
在広岛インドネシア留学生会の仲间たちと
ボランティア活动をされているそうですね

骋7サミットボランティアにて
イベントのボランティア活动をしています。东広岛で开催される国际フェスタのボランティアも行っていますし、在広岛インドネシア留学生会でもお手伝いをしています。その他、民间公司へのインターンシップも経験しました。
今年の5月に行われた、骋7広岛サミットには通訳ボランティアとして参加しました。自分が住んでいるところでサミットが行われるというのはなかなかないので、これは挑戦するしかないと思いました。
私が担当した业务は、主に外国メディアへの対応でした。
外国メディアによる広岛県知事へのインタビューをサポートしたり、サミット当日はメディアセンターに配置され、会场案内を行いました。
メディアの方の仕事ぶりを直接目の当たりにして、とてもいい経験になりました。周りは日本人のボランティアばかりで不安もありましたが、无事に成し遂げることができ、ほっとしました。
卒业后はどんな仕事に就きたいですか
まずは日本で就职して経験を积み、いずれはインドネシアで仕事をしたいと思います。
具体的にどういう仕事をしたいかはまだ决まっていませんが、インターンシップで国际人事の仕事を経験したことから、人事?ビジネス开発に関心を持っています。
色々なことに挑戦して、将来像を决めていきたいと思います。
広岛大学の奨学制度は支えになりましたか
奨学金のおかげで学费负担なく勉强できており、生活の支えとなっています。奨学金がなければ、学费分もアルバイトで稼がないといけなくなります。その分勉强やボランティアをするための时间や机会がなくなってしまいます。私が今、色々なことに挑戦できるのは奨学金のおかげです。
また、インドネシアと日本では物価がかなり违います。インドネシアの人が日本で暮らすのは経済的に大変なので、この制度は続いていってほしいと愿っています。

「バティックの日」の记念写真
2009年10月2日にバティックがユネスコの无形文化遗产に认定されたことに由来し、
インドネシアの伝统的な服を着用します。
(2023年9月取材/基金室)