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第34回登田隆特任教授

バイオのつぶやき第34回登田隆特任教授「私の先生―恩師と同志―」

 私は自らの研究者人生において、幸運なことに、何人かの素晴らしい先生に恵まれた。京都大学での学部生時代(1977年)に、柳田充弘先生(2011年文化勲章受賞、沖縄科学技術大学教授)との出会いがなければ、こうやって現在研究者にはなっていなかった。柳田先生からいただいた数々のお言葉は、いまだにことあるごとに私の頭に浮かんでくるし、我ながら深いところで、先生から薫陶を受けたと実感する。私のscientific fatherである。先生は2016年に広島大学健康長寿拠点(HiHA)が主催した国際シンポジウムにて、特別招待講演者としてお伺いを立てたところ快諾していただき、素晴しいご講演をされた。私も聴衆の一人として魅了され、その変わらぬアクテイヴィテイーに胸を打たれる思いであった。

 山本正幸先生(2016年朝日赏受赏、基础生物学研究所长)には、直接指导していただいたのは博士前期课程における2年间のみであったが、その后も色々な局面でご指导を仰ぎ、多大なお力添えをいただいた。特に私がロンドンで研究室を持っていた间(1994年-2015年)に、先生の二人のお弟子さん(佐藤政充早稲田大学教授、戸谷夏美早稲田大学讲师)を、ポスドクとして送り込んでくださった。现在行っている细胞増殖?分裂に関する研究は、このお二人が扉を开いてくれたもので、山本先生とともにお二人には感谢してもしきれないものがある。

 米国コールドスプリングハーバー研究所で、私がポスドクとして留学した时(1984年-1987年)の研究室のボスであるマイク?ウイグラー博士にも、大変お世话になった。ウイグラー博士については、弟子として师からなにかを学ぶというより、むしろ世の中にこれほどできる研究者がいたのかという惊きの念の方が强く、未だに畏敬する先生である。

 ポール?ナース博士(2001年ノーベル医学?生理学赏受赏、英国フランシス?クリック研究所长)も私の恩师の一人である。前述したように、私は広岛大学にお世话になる前、1994年から2015年までロンドンの英国ガン研究所(现フランシス?クリック研究所)にて研究室を构えていた。その机会を与えてくださったのが、他ならぬナース博士である。私は院生时代からナース博士の论文を読み続け、博士はいわば私の憧れのスター研究者であった。学会等含めて何回か博士にお会いして、话す机会もあった。30代后半になって、日本ですでに职を得て家族もありながら、私がロンドンに移る决断をしたのは、ナース博士から直接、渡英の话をいただいたからである。结局ロンドンにはその后21年间滞在し、研究生活を送った。その间、ナース博士とは研究面はもちろん私生活面も含めて、身近に接する贵重な机会を持つことができた。博士のとてつもないスケールの大きさに瞠目するばかりであった。まさに驳颈补苍迟である(ナース博士自身は、ある时冗谈めかして、ご自分の事を尘辞苍蝉迟别谤と表现しておられたが)。ナース博士が2001年にノーベル赏受赏决定の电话をストックホルムから受けられた时、横でその一部始终を见闻できたのは、私にとってはかけがえない贵重な体験である。ちなみにナース博士は、超ご多忙なスケジュールの中、昨年4月に“広岛大学知のフォーラム?世界のトップ研究者に闻く”の特别讲演者として来広してくださった。素晴らしいレクチャーを聴くことができて、博士に対する尊敬の念を改めて深めた次第である。

 最后に“恩师”ではないが、“同志“としての平田 大博士(朝日酒造常务取缔役)の事に触れたい。平田さんには、1994年に私と一绪にロンドンにわたってくれて以来、今に至るまで大変お世话になっている。研究面では彼が分离した多くの分裂酵母変异体が、私の研究の础となっているし、その后も広岛大学から优秀な学生?ポスドク?客员研究员の皆さん(北村宪司助教、汤川格史特任助教を含む)のロンドンへの派遣?留学に尽力してくださった。さらに现在、私が広岛大学に职を得ているのも、平田さんとの縁に由来する。この场を借りて感谢の意を表し、本稿を终えたい。

2013年6月、柳田充弘先生(右)、山本正幸先生(左)とともにロンドンのレストランにて。

2013年6月、柳田充弘先生(右)、山本正幸先生(左)とともにロンドンのレストランにて。

2017年4月、広島大学でのポール?ナース博士の講演会前日

2017年4月、広岛大学でのポール?ナース博士の讲演会(広岛大学知のフォーラム?世界のトップ研究者に闻く)の前日、ナース博士を囲む内轮の歓迎会にて。先端研酵母研究者及びナース研究室に留学経験のあるなじみの深い研究者たちが日本全国から集まり、旧交を温めた。


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