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第37回田中伸和教授

バイオのつぶやき第37回田中伸和教授

 私は司马辽太郎の小説はほとんど読んだと思う。稚拙な表现であるが、司马作品はどれも読み进めるうちにどんどん主人公の生きざまに魅了されていく。代表例は何といっても「竜马がゆく」の坂本竜马であるが、あまりに有名すぎて言うに及ばない。司马作品の中には珠玉の短编も多い。私が多数の短编の中で最も心跃るのは「アームストロング砲」である。

 「アームストロング砲」は肥前佐贺の最后の藩主である锅岛闲叟(直正)が主人公であるが、藩校弘道馆に集めた优秀な家臣たちの凄まじい生きざまも垣间见られる。佐贺藩は异国の侵略に対抗できるよう、自藩の军事水準を欧米并みに引き上げることに注力した。件(くだん)の「アームストロング砲」は当时のイギリスの最新兵器で、砲身の后ろ侧から炸薬の入った椎の実形の砲弾を詰める方式で、砲身内部にらせん状の条线(施条)を设けたことで砲弾が回転しながら発射されるため、命中率が格段に优れ、射程距离も飞跃的に伸びた。しかし、20発ほど撃つと砲身にひびが入るので正式兵器には採用されなかった。锅岛闲叟はこの「アームストロング砲」に目を付け、藩きっての优秀な家臣を集め、幕府の目を逃れてひたすら研究した。佐贺藩の特殊性を言うと、「武士道というは死ぬことと见付けたり」という「叶隠」の精神で、主君の命令は絶対であったこととともに、非常に闭锁的であったので、この研究は全く幕府の知るところになかった。この间、イギリスから「アームストロング砲」を购入して彻底的に调べ上げ、自前で砲身の精炼用の炉を作り、概ね1年半后に自力で国产の「アームストロング砲」を作りあげてしまった。ほかにも独力で鉄砲や军舰を作った。闲叟ラボの一大プロジェクトであったといえよう。今では、既存の発明物を手に入れ、彻底して调べることでまがい物を作ることはよくあるが、そこに新たな工夫を加えない限り性能は劣る。自前の「アームストロング砲」もそのようなものだったかもしれないが、异国の言叶とその意味を理解しながら、设计図もなく、よくわからない新型兵器の原理や构造などをとことん调べ上げ、短期间でそれなりのものを作り上げたことは惊嘆すべきである。佐贺藩はまさに日本の近代工业勃兴の先駆けといえ、明治の日本の跃进の原型はここにある。

 锅岛闲叟は本当に异国を対抗するためだけに自藩の兵器の近代化に努めたのか?私はそうでないような気がする。闲叟は聡明であるとともに凄まじい勉强家であり、とにかく攘夷のもとに理想とする洋式军を作り上げるため一意専心した。しかし、その実、知的好奇心の権化だったのではないか。

 今の学生诸君は、とても便利な时代に育ち、分からないことがあればネットを引けば大概调べられる。そうでなくても、先生に闻けば丁寧に教えてもらえる(これは教员の仕事ではあるが)。実験においても便利なキットが贩売され、それらをマニュアル通りに使えばそれなりの结果は出る。でも、そのキットと同じようなものを作れといわれたら、おそらく戸惑うだろう。しかし、それでは困る。どんな原理で何を使ってどのようになれば、この结果が得られるかということを、闲叟ほどでなくてよいが、自分なりに一度は考えてみてほしい。そういう考え方こそが学生时代の研究の中だけでなく、将来もずっと役に立つ。

 后日谈である。鸟羽伏见の戦いの后、锅岛闲叟は自分が作り育てた佐贺藩の洋式兵器と洋式军队を惜しげもなく萨长土率いる官军に与えた。小説には江戸城无血开城の后に上野に立てこもった叁千の彰义队は、件の「アームストロング砲」2门から放たれた「たった12発の砲弾」で壊灭させられたとある。小説ならではの夸张もあろうが、ともかく国产「アームストロング砲」の威力は示された。もっとも、佐贺藩そして己の知の结晶が异人でなく同胞に使われたことは果たして闲叟にとって本望であったかどうか。これは私の胜手な忆测である。

 

参考文献:司马辽太郎、新装版 アームストロング砲、讲谈社文库 辫辫325-375(2004) 


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