
何年か前にベルリンで开催されたとある国际会议での讲演を终えた日のことです。その日は最终日でなおかつ午前中で会议自体も终わったため、気になっていたベルリン近郊にあるザクセンハウゼン强制収容所跡に足を伸ばしてみました。処刑场、拷问设备、生活设备などさまざまな遗构を见学しつつ、ふと何も考えずにとある小屋の中に入ってみました(村の诊疗所といった雰囲気の平屋の小さな小屋です)。入った瞬间、すぐに飞び出したくなる异様な感覚に袭われました。部屋の壁はまぶしいほどの一面真っ白なタイル张りで、中央に同じくタイル张りのベッド状の台(排水沟つき)が2つ设置されていました。异様な雰囲気を感じたため、外に出て建物の名前を确认しました。「笔补迟丑辞濒辞驳颈别(病理学)」と书かれていました。レトロで地味な建物の外観と内部の白さとの相反、そして何か嫌な想像をしてしまう二つのベッド状の台、サスペンスホラー映画というと表现が軽くなるのですが、それに似た一种の异常性を感じ、体中の毛が逆立つような感覚に袭われました。案内文を见つけて読むと、人体実験が行われていたまさに狂気の部屋でした。地下室の入り口を见つけたので勇気をだして阶段を下りてみました。薄暗い、湿った空気の広い空间(地上部の10倍はある)が広がっていました。遗体安置室でした。地上部との大きさのギャップがそこで行われた残虐性の强さを表しています。地下室から地上にでるスロープがありました。车1台は入れそうなスロープが存在する忌まわしい理由が想像できます。この建物では写真を撮るという考えが浮かびませんでした。恐怖というよりも周りの空気の重さが手を押さえつけているような感覚でした。空気に重量を感じたのは人生で初めてです。
この强制収容所では、他のナチスの収容所同様に想像もしたくない蛮行(人体実験)が行われていたのですが、计画者はもとより実际に実行した施行者、そして政権を支持していた多くの市民もそこに正义を感じていたはずです。私がその强制収容所で本当に恐怖を感じたのは、実は过去に起きた事実に対してではなく、自分が加害者になる(なった)可能性を想像したからでした。私はもちろん歴史の教科书、様々な书籍、テレビ番组などを通じてナチスの强制収容所で何が行われたのかについて、知识ではそれなりに知っているつもりでした。しかし大人になってここまで心から学ぶという経験ができるとは思ってもいませんでした。そして言语的な情报だけで学ぶことと、「心に刻み込まれるように学ぶ」という行為は実は全く别物だということを改めて感じました。
さて、「前ふり」のつもりが、予定していた以上に长くシリアスな话になってしまいました。话は「恐怖」から一転して小さな「感动」についてです。卒论の研究を初めたばかりの4月顷でした。环境中の微生物丛解析のイロハについて教えを请いにいった他大学の研究室(东京大学都市工学、味埜先生)にて、指导していただいた小沼先生(现日本大学、当时大学院生)に、最初に顿础笔滨で染色した活性汚泥を対物100倍のレンズを用いて顕微镜のレンズを覗かせてもらったときの小さな感动が忘れられません。顿础笔滨とは、顿狈础と结合し、紫外光で励起され水色の蛍光を放出する试薬であり、顿础笔滨で特异的に光るものは生物(细胞)と见なすことができます。そのような原理を教えてもらい、実験というには简単すぎる手顺で下水処理场の活性汚泥をサンプルに顿础笔滨染色を施しました。肉眼ではスライドグラス上にかすかに白っぽいゴミのようなものがうっすらと张り付いているのが见えるだけですが、蛍光顕微镜のレンズを覗くと想像をはるかに超えた别世界が広がっていました。漆黒の闇の中に多様な形をした微生物细胞が水色に光っています。まさに満点の星空でした(これは私だけが言っている表现ではありませんが)。大きさや形态も多様でありながら、种类ごとに均一性もあり、また复数の细胞が块のようになっているものや直锁状に连なっているものなど、存在形态も多様で??むしろ夜空の星空よりも形态の多様性が美しく、楽しく、ずっと见ていても饱きませんでした。
私が人生で最もゴージャスな星空を见た场所はアメリカのブライスキャニオン国立公园です。その一帯は世界で最も美しい星空が见られる场所の一つとして知られていることを后で调べて知ったのですが、実际に车のヘッドライトを消して车を降りて空を见上げた瞬间、おもわず「うおおおっ!!」と声をあげてしまったほどです。ブライスキャニオンで见える星の数は最大で7500个くらいだそうですが、それらのほとんどの星について人类は何も分かっていないはずです。ましてや宇宙全体では银河の数だけで2兆个存在すると言われています。さらに宇宙には暗黒物质(ダークマター)と呼ばれる「质量は持つが、光学的に直接観测できない仮定上の物质」で満たされていることも分かっています。つまり宇宙は「未知」で満たされています。
一方で、実は前述したDAPI染色で光る無数の微生物のほとんどは、夜空の星と同様に未知なるものばかりです。実際にほとんどの微生物は培養できないことが知られており機能が未知、未解明、未利用のまま残されています。そして分離株自体が存在しない「門」が全体の半分程度占めていることが近年判明し、それら全くの未知なる微生物のことを、宇宙を占める暗黒物質になぞらえて、「微生物ダークマター(Microbial Dark-Matter)」と呼称することもあります。夜空の星に直接アクセスすることは現実的には不可能であると同様に、実は未知微生物にアクセスすること(性質?機能の解明や有用微生物として利用すること)も容易なことではありません。満点の星空を見上げて、地球外生命体に思いを馳せたり、宇宙そのものにロマンを感じるのと同じように、私はあの時、たしかに顕微鏡の中の星(微生物細胞)にロマンと多くの可能性を本能的に感じました。活性汚泥をDAPI染色すると多様な微生物が青白く光る現象はごく当たり前であり、そこには感動する要素は理論的にはないはずですが、なぜか自分自身の心に何かが刻み込まれてしまったのです。
结局、今でもその时に感じた感动や可能性をそのまま引き継いでその延长线上にある梦を追いかけています。「それ」が単なる感覚ではなく理论的に正しそうだということを自分の仕事で証明していくという作业は10年単位で时间がかかり大変だけれどもとても楽しいものです。科学的真実の前では教员も学生も対等です。どちらかというと対等な友人関係であるほうが研究を进める上では合理的かもしれません。だからこそできるだけ多くの学生さんや研究室のスタッフと前述のような「小さな感动」をできるだけ多くシェアしたいと思ってやみません。