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第42回舟桥久景准教授

バイオのつぶやき第42回舟桥久景准教授「自分で未来を切り拓く」

 日々の生活でも、研究でも、人生でも???不満が溜まっていたり、壁にぶつかったり、上手くいかなかったり。そんなことが沢山あると思う。そんなシンドイ状况を自分でどう判断し、どう対処していくか???。

 スティーブ?ジョブズといえば、础辫辫濒别社の创始者でカリスマ的な経営家として多くの読者がご存じだろう。彼が母校であるスタンフォード大学の卒业式で行ったスピーチは、数々の名言が织り込まれており大変有名である。着作権等がどうなっているかわからないが、インターネット上で简単にその内容に触れることが可能である。その中の一部に、“もし今日が人生最后の日だとしても、自分が今からすることを今日やりたいか?と问うてみて、何日も连続で答えが狈辞であれば、なにか変えるべきであることがわかる”というような内容の一节がある。死というものを意识し、自分が本当にやりたいことに対して集中的に情热を倾けるべきである。という意味であろうか。しかし私はこの言叶を少し违ったニュアンスで利用させてもらっている。

 恩师、相泽益男先生に教えていただいた言叶の中に、“苦労はやりたいことのためにするものだ”というものがある。今では私の人生の行动指针の一つになっている。私がこの言叶を思い出すのは、いろいろ不満が溜まっていたり、何かしら壁にぶつかったり、様々なことの対応に追われて疲れていたり???シンドイと感じる状况にある时が多い。“苦労は买ってでもせよ”という言叶があるくらいなので、何かを成し遂げるために苦労は必要なのであろう。しかし、苦労していること自体で満足し前へ进むことを忘れてしまったり、苦労によって一杯一杯になり前へ进めなくなってしまっては元も子もない。そこで、最近苦労しているなぁ、シンドイなぁと思った时に、自分がどのような状况に陥っているのかを客観的に判断する方法としてスティーブ?ジョブズの言叶を借りている。“今日が人生最后の日ではないにしろ、今の苦労は果たして本当に自分のやりたいことにつながっているのであろうか?”もちろん答えが驰别蝉であれば、自分のやりたいことのために苦労すればよい。しかし何日も连続で答えが狈辞であれば、やりたいことのために何か行动や考え方(苦労)を変える必要があるだろうと判断する。

 最近苦労しているなぁ、シンドイなぁと思った时、自分の状况を客観的に判断するために利用している言叶がもう一つある。出典を探ってみても、武田信玄の言叶やら、おやじの小言やら诸説ありなにやらよくわからない。私はポスドク时代に、友人の奥様のお父上の言叶として初めて闻いた。多少アレンジが入っているかもしれないが、それは“いいかげんだと、言い訳が出る。中途半端だと、愚痴が出る。本気になると、知恵がでる。”という言叶である。この言叶を逆手に取り、自分の発している言叶がどれにあたるのかを冷静に分析し、自分の状况を判断するのだ。
 言い訳や愚痴を発しているようであれば、まだまだ努力不足であるので、やりたいことのために苦労すればよい。知恵を出して行动をとり、(苦労して)问题の解决を目指して状况を変化させるのである。すでに知恵を出して行动しているのにうまく行っていないのであれば、きっと出した知恵が良くなかったのだ。本当にやりたいことのためにさらなる知恵を绞りだせばよい。
 ちなみにこの时の知恵が、他人から简単に教えてもらった答えや指示されたことであっては、あまりおもしろくない。自分で出した知恵ではないので、今后“同じ状况?问题”には対処できるかもしれないが、“似たような状况?问题”に対応出来るかどうかは定かではない。一方で、自分で必死になって绞り出した知恵で问题を解决すれば、それは成功体験として深く记忆に残るし、似たような问题に対する処理能力も锻えられているだろう。それに仮に问题が満足いく形で决着しなかったとしても、自分の责任として纳得できることが多い。

 シンドイ时こそ何かを前进させるチャンスかもしれない。状况を客観的に判断し、行动を起こすべきタイミングを见计らい、知恵を绞り出し、自分で未来を切り拓いていきたいものである。もちろん世の中、自分ではコントロールできないものに左右されることも多いと思う。実际に行动をとるには勇気がいるし、状况を大きく変えればその反动も大きい。そして行动をとっても状况が好転するとは限らず、结局また苦労するかもしれない。いろいろ考えると、そう简単に実践できるものではないし???。
 おっと、言い訳がでているようだ。もっと本気になり、知恵を出さねば???。日々精进である。

 


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