&苍产蝉辫;我々は自分が面白いと思う研究を通して学生を教育していると考えてきた。しかし育むのではなく、制しているのかもしれない。
&苍产蝉辫;外部评価委员の先生から言われたことが心に残る。“先生达は自分の强いところの専门知识を学生に语ればいい。そのいろいろを闻いた学生の头の中に撹乱が起きて、自分なりの方向を见出せば、これが新しい学问になる”と。
そうだ、学生達が徹底的に失望し、疲弊しなければ、彼らはいつか自分の道を見つけるだろう。そのためには、教員は自分を信じることができる“専門”を磨き、鍛え、貫き通していかないといけないのだろう。そこでは第三者になることも出来ないし、ましてや他のせいにすることもできない。自分自身との戦いにgive upしない精神力が必要とされているのだろう。
&苍产蝉辫;“先生の知っていることをすべて教えてほしかった”と初代の学生が语った。このことをずっと考え続けていた。よく考えてみると、本当は私自身が学生から学ぶことが多かったことに気づく。自分自身に鞭を当て続けられたのはよきライバルがいたからではない。私を信じる学生がいたからに他ならない。
&苍产蝉辫;“谤别蝉辫别肠迟”、学生达に対してこの気持ちを老兵として去る时まで持ちたいと愿った。无限の可能性を秘めた器として。难しいことは分かる。しかしこれなくして教育はあり得ない気がする。教员としてこの思いを共有し、学内の学生达の研究発表会でも彼らの努力を汲み取り、彼らが到达した成果に敬意を払うような、そんな组织であること、になることを期待したい。
(2015/03/20)