当输送?环境システム教室は、昭和20年4月に旧制(官立)広岛工业専门学校(大正9年设立の旧制広岛高等工业学校が、昭和19年に校名変更)に増设された造船科を起源としています。造船科の教官は当初、科长として就任された井上留吉先生1人であり、入学生は学徒动员先の叁菱広岛造船所(现 )に配属され、午前中講義、午後溶接実習が行われました。広岛工业専门学校の校舎は広島市内(千田町)にありましたが、8月6日の原爆被災により終戦後は当面の間、呉市内の旧海軍建物を仮校舎としています。この混乱期の中、造船科では同年11月より授業が再開され、井上先生に加えて新たに三菱広島造船所より着任された渡辺平蔵先生?濱本博登先生の3名の教官によって、材料力学、船体強弱、抵抗推進旋回、船舶工作、船体構造、実習製図などの講義を中心に、実学的方針に沿った教育が行われていました。
昭和24年の新制広岛大学工学部発足に伴い広岛工业専门学校は包括されて旧造船科は船舶工学科になりました。当时、教室専用の建物が无く教官室は间借りしてあちこちに散在している状态で、しかも教室设备は学生実习室、実习用木工机械数台、旧呉海军工厂より委譲された罢?滨?狈?础など若干の论文集や図书、インテグレーターなどがあるだけで、実験设备は皆无であり、卒业研究は文献调査などによる理论的?统计的な研究がほとんどでした。昭和29年に旧広岛県立工业学校敷地内の実习工场の建物を补修して当教室の実験?実习栋とし、ここにアムスラー10迟材料试験机、アイゾット衝撃试験机、光弾性実験装置を设置して、现図実习室、木工実习室などを设けました。翌昭和30年には、风洞、回流水槽、さらには実験设备ならびに工作室を设け、卒业研究にも実験的研究ができるようになりました。
昭和42年には、旧造船科創立以来念願し続けた教室の建物と船型試験水槽が合わせて完成し、長い間の借り生活に終止符を打つとともに、その後設置された200t万能試験機をはじめ各種試験機などを含めた既設設備を一堂に集め、図書室、会議室、工作室などと合わせて整備されました。翌昭和43年には、石川島播磨重工業呉造船所(旧海軍工廠跡地; 現 )に设置されていた旧海军工厂実験部の3000迟大型试験机などを関係方面の多大な协力を得て工学部构内に移设、大型强度试験室を设けて强度実験设备として威力を発挥するようになりました。また、学科设立当初は3つの(小)讲座でしたが、昭和45年までに2つ増设され、研究设备も上记以外に増设して研究活动も発展し、多くの业绩を残すようになっています。
昭和51年の工学部の类讲座制への移行によって、当教室(既存5つの讲座)は、船舶计画学(通称「运动」グループ)と船体构造学(通称「构造」グループ)の2大讲座からなる、第四类(建设系)の船舶工学教室に改组されました。その后も、时代の趋势や产业分野(卒业生の就职先)の多様化に加え、数値计算技术の进歩による计算手法の一般化や输送机器?海洋构造物の设计?建造?运航面でのシステム化技术の発展によって、教室の将来构想が活発に议论され、讲座?教育科目(研究室)名の改称や、教育科目间での教员の异动も盛んに行われました。船舶以外の各种输送机器や海洋?环境などへの教育研究対象の広がりによって、昭和56年には船舶?海洋工学教室へ、さらに平成3年にはエンジニアリングシステム(通称「贰厂」)教室へ、教室名称を変更したこともその表れです。さらに、その间の昭和57年からの工学部の统合移転构想によって当教室も上记の研究设备ごと东広岛市の现在地(东広岛キャンパス)に移転しました。なお、この地に新たに设けられた や は国内有数の规模を夸り、现在も各种実験?研究に活用されています。
平成13年の工学部の大学院组织への移行(大学院讲座化)によって、当教室は社会环境システム専攻の地球环境工学、构造システム工学、环境システム総合工学の各大讲座に分属し、学部教育では第四类(建设?环境系)において、一时期は土木系のグループ(现在の社会基盘环境工学教室)と合体した组织运営を行っていましたが、平成18年の学部教育における教育プログラム制(HiPROSPECTS(R))导入を机に独自の などに力点を置いた特色のある教育を展开しています。
平成22年の大学院工学研究科における组织(専攻および教员组织)の再编(改组)によって、当教室は、输送?环境システム専攻(输送?环境システムの1大讲座制)として教育研究体制を确立しました。
その后、学部组织については平成30年の工学部の改组によって、第一类(机械?输送?材料?エネルギー系)の 输送システムプログラム に移行しました。また、大学院组织については令和2年の 大学院先进理工系科学研究科(先进理工系科学専攻: 15学位プログラム)への全学大幅統合改組によって、その1つである输送?环境システムプログラムに移行し、现在に至っています。
3000迟大型强度试験机を呉市へ寄赠
上记の3000迟大型试験机も东広岛キャンパスの大型强度试験室に移设されましたが、时代の流れとともに老朽化が进み本来の能力に及ばなくなり、平成23年7月、へ寄赠されることになりました。
※ 大型强度试験室で取り行われた赠呈式の様子は、こちら を御覧下さい。
なお、この试験机は昭和9年に输入され、旧呉海军工厂に设置されてからは戦舰「大和」の舰体强度の试験に使われました。戦后、鉄道技术研究所に移管してからは新干线车両连结器などの强度试験に使われており、また、本学に移管してからは瀬戸大桥や明石海峡大桥の构造物の强度试験などにも使われ、歴史的にも由绪ある贵重なものになっています。

写真: 東広島キャンパス大型強度試験室(現在の大型構造物実験棟)に在りし日の3000t大型試験機
(平成23年7月6日の赠呈式开催前に撮影)