麻豆AV

ポーランド驻在记(前编)

社内の研修プログラムで驻在

―いつポーランドに行かれたのですか。

厂厂:2022年5月3日からです。

―まだ新型コロナの影响が大きかったその时期に、よく出国できましたね。

厂厂:日本からの出国は意外と自由でした。2021年11月からリモートですでにポーランドの仕事をしていましたが、ビザやワーキングパーミッションの発行にすごく时间がかかるというポーランド特有の事情で、出国できるまでに6か月も待ちました。

―ポーランドへの驻在は、いつ顷会社から伝えられたのですか。

厂厂:现在、毎年世界から10人程度选ばれる、5年间で2~3カ国、全て违うポジションをローテーションするというプログラムに入っています。うちの会社の海外勤务は少し変わっていて、自分で行きたい先やポジションを决めて、自分で现地に连络をとり、现地の人と同様に面接を受けることになっており、いわゆる内示みたいなものはありませんでした。ポーランド驻在の内定を得たのが2021年11月の头ごろです。

―アメリカや西欧ではなかったのですね。

厂厂:アメリカは、製薬会社の市场の中で一番大きいですし、オフィスも规模が大きいのですが、学生の时に交换留学で行っていますし、出张でも10回以上访问していますので、候补から外しました。

中国やブラジルなどの新兴国も候补でしたが、家族を连れて行く予定で、娘が3才、初めての海外、新型コロナの状况もありましたので、これも除外しました。

それで、「海があるところがいいなあ」と思い最初にオーストラリアを受けたのですが、落ちました。ほかにも色々受けたのですが、10か国ぐらい落ちています。

日本の会社が比较的大きな组织ですので、、それと対照的な、规模が小さい组织に行きたいという気持ちがありました。

フランスやドイツなどの西欧は比较的会社の规模が大きいのですが、东欧には规模が小さな国がたくさんあり、ポーランドは従业员が100人です。これぐらいがちょうどいいなと思っていたところ、たまたまポーランドで僕のような人材を欲しがっていました。また、昔アメリカで一绪に仕事をしたことがあるポーランド人が、僕が海外でポジション探しをしていると闻き、ポーランドの社长に推荐してくれました。空きポジションがないと驻在できないのですが、僕が探していたポジションをポーランドでたまたま採用していたのです。そういうたまたまの縁が重なって、ポーランドに决まりました。

―そのプログラムに选ばれるのは、会社全体で10人ですか。

厂厂:はい、10人です。

―すごいですね。

厂厂:毎年この5年间のプログラムに10人弱选ばれるので、5年间で50人のプールができますが、去年は新型コロナ、一昨年は大型买収案件でこのプログラムの新规募集を停止していたので、今はこの研修プログラムの参加者が20人程度になっています。

―さきほど「10か国ぐらい落ちた」と言われましたが、どういうことですか。

厂厂:研修プログラムの1か国目を选ぶための选考で、10回落ちたんです。また1年ぐらいしたら次の国を决めないといけないのですが、そこでもまた10回ぐらい落ちるかもしれませんね(笑)。

単身でポーランドへ

―ご家族は今はどうされているのですか。

厂厂:妻は东京の人事系のベンチャー公司で働いていたのですが、一绪にポーランドに行くつもりでしたので、仕事を辞めました。ですが、渡航準备中の2022年2月に隣国のウクライナで戦争が起きてしまいました。

不确実な状况で、ポーランドに行けるのかどうかの难しい判断を自分ですることはできないし、いくら考えても分からないので、とりあえずビザが出るのを待っていました。

そうしているうちに、ポーランドまでは侵攻が进まないのではということもわかってきました。でも妻の両亲もとても心配していましたので、家族の出国は遅らせて7月ぐらいにしよう、という结论を出しました。

そんなところで妻が妊娠して、2022年の11月末に出产予定となりました。そこで、妻は妊娠しているし、隣国で戦争は起きているので、话し合った结果、しばらくは単身赴任をしようということになりました。

子どもをポーランドで产むか、日本で产むかも二人で悩みましたが、戦争もありましたし日本での出产も経験していたので、日本で产むことにしました。ということで2022年11月末に出产、日本でワクチン接种などをすませて、家族は约一年の単身赴任を経て、无事2023年4月にポーランドに来ました。

―奥さんが0歳児を抱えてですか?

厂厂:家族の渡航时には僕も日本に一时帰国をし、4人でポーランドに渡りました。

―ポーランドの医疗体制に心配なところはないですか。

厂厂:公立病院は日本に比べると施设や医疗のレベルに见劣りする部分がありますが、私立病院ではそれほど変わりない医疗が受けられます。

―それにしても奥さんは大胆ですね。

厂厂:そうですね。妻はポーランドに来たがっていて、ポーランドで产みたいと言っていたのですが、僕の方が心配性なところもあり、「日本で产もう」と言いました。その代わりといってはなんですが、2か月に1回、家族に会うために日本に帰国しました。家族が4月にきても、ポーランドにいるのは2023年9月までの半年だけで、次はまた别の国で驻在予定です。次の国はずっと一绪にいられる、ということもあり、日本で产むことに决めました。

仕事のこと、ポーランドのこと

―时间をかけた世界的インターンシップみたいなものですね。ところで、ポーランドで御社はどういう业务をしているのですか。

厂厂:日本と同様に薬を贩売しています。薬にはドラッグストアで购入できるもの(翱罢颁)と、病院で処方されるものがありますが、后者を9割ぐらい扱っています。ドイツなどに工场があり、できた製品の输入、贩売、営业などといったサプライチェーンや流通もやっています。

―仕事では何语を使うのですか。

厂厂:英语ですね。生活はポーランド语なので、ポーランド语も勉强していますよ。社长がオランダ人、僕が日本人、それ以外はみんなポーランド人です。社长がポーランド人ではないので、社内公用语は英语であり、英语で仕事ができます。

―100人の中で、外国人は二人だけなのですね。全员英语ができるというのは、レベルが高いですね。

厂厂:僕もびっくりしました。ヨーロッパで英语のレベルが高いのは北欧、とよく言われますが、ポーランドもとてもレベルが高いですね。街中のレストランでも英语が通じますし、日常生活はほぼ英语でいけるので、すごく住みやすいですね。ただし、英语が通じるのは首都のワルシャワだけらしいです。

―英语がそれほどできる理由には、なにか国の政策とか文化的背景があるのでしょうか。

厂厂:私の推测にすぎませんが、过去にポーランドはロシアやドイツに侵略されるなど悲惨な歴史をたどってきています。それによる危机感や、ポーランド国内の赁金の安さから仕事でヨーロッパ内に出ていく人が多く、自国内に留まらない割合が、他の国と比べて多いようです。

―普段は社内の100人のポーランド人、それから営业先のお医者さんや医疗関係者などとお付き合いがあると思いますが、ポーランド人はどんな人たちですか。

厂厂:まず、男の人が大きいですね(笑)。縦にも横にも大きい人が多くびっくりしました。僕は180センチありますけど、僕より高い人がたくさんいます。会社でもずっとリモートで话していたので、いざはじめて会ったらみんな思っていたより大きくて、惊きました(笑)。

性格は、日本人に似ている印象をもっています。アメリカとかラテンみたいに、気さくに挨拶し、すぐに打ち解けるという感じではなく、最初は壁を感じますが、ひとたび仲良くなると家族のように接してくれます。

もう一つとても惊いたのは、街に白人以外がとても少ないということです。アジア人さえ全然いません。歴史的にはベトナム系の移民が多く、ベトナムのコミュニティがあって、ベトナム料理屋が比较的たくさんあります。中华料理屋よりベトナム料理屋が多いですね。

【ポーランド驻在记(中编)】はこちらから

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