昭和24年(1949)
5月31日
国立学校设置法(昭和24年法律第150号)により、広岛大学は、広岛文理科大学(附置研究所を含む)、広岛高等学校、広岛工业専门学校、広岛高等师范学校、広岛女子高等师范学校、広岛师范学校、広岛青年师范学校を包括し、広岛市立工业専门学校を併合して设置される。その学部は文学部、教育学部、政経学部、理学部、工学部、水畜产学部と定められる。広岛高等学校は皆実分校(通称教养部)としてこれに包括される。なお、大学の附置研究所として理论物理学研究所が置かれる。
広岛女子高等师范学校长桜井役が広岛大学教授に补され、広岛大学长事务取扱および広岛文理科大学长事务取扱を兼务する(昭和25年4月19日まで)。
6月22日
国立学校设置法施行规则公布、施行。同年5月31日から适用され、事务局?补导部を设置。
7月18日
第1回入学宣誓式を行い、学生1,304名が入学。
7月19日
颁滨贰顾问イールズ、新潟大学开学式で「共产主义教授」追放を讲演。
9月16日
「広岛大学学报」创刊。
9月17日
国立学校设置法施行规则第11条にもとづいて広岛大学评议会规程を制定。同月27日に第1回评议会を开催。
10月26日
教养部学友会结成。
11月4日
水畜产学部が农学関係を残して深安郡大津野村に移転。
12月1日
広岛大学の学生が中心となって広岛ユネスコ协力会が発会。
*この年、国立広岛综合大学设立推进本部?期成同盟会が5年间で3亿7千万円の募金を开始する。5月にプロ野球を共催し、10月には宝くじを発売する。
昭和25年(1950)
1月31日
大学设置审议会が「学位及び大学院に関する审査基準要领」を决定。
3月31日
広岛高等学校を廃止。
3月-
学生の襟章を制定。
4月 1日
政経学部に第二部政経学科を设置。
4月19日
元文部大臣森戸辰男が文部教官に任命され、初代広岛大学长および広岛文理科大学长に补される。
4月25日
初の留学生2名が文学部に入学。
5月1日
教育学部安浦分校が福山市冲野上町へ移転し、福山教场と合併し、福山分校と改称。
5月16日
评议会の决定により、附属図书馆本馆のほか、教育学部、同东云分校、同叁原分校、同福山分校、政経学部、工学部、水畜产学部、皆実分校(教养部)の8分馆を设置。
8月-
文部省、「日本における教育改革の进展」を発表。
9月1日
教育学部に通信教育部を设置。
11月5日
広岛大学広岛高等师范学校附属小学校讲堂において広岛大学开学式を行う。
*この年、広岛大学発足后初の新筑校舎である文学部木造校舎が完成する。また、第1回中国五大学学生竞技大会を开催。
昭和26年(1951)
3月9~12日
教育学部2年课程の第1回修了証书授与式を福山分校(9日)、叁原分校(10日)、东云分校(12日)で行う。
3月31日
広岛工业専门学校を廃止。
広岛师范学校男子部、同女子部を廃止。
広岛青年师范学校を廃止。
広岛市立工业専门学校を廃止。
広岛女子高等师范学校附属山中高等女学校を廃止。
4月1日
教育学部に附属东云小学校、附属叁原小学校、附属东云中学校、附属叁原中学校、附属福山中学校、附属幼稚园を设置。
5月-
大学设置审议会第9特别委员会が国立大学総合整备计画を策定。
7月5日
米国対日工业教育顾问団来日。
10月2日
长田新着『原爆の子-広岛の少年少女のうったえ-』刊行。
11月16日
政令改正諮问委员会、「教育制度の改革に関する答申」。
*この年、森戸学长が世界の各大学に学园緑化への协力を求め、6カ国から90通の手纸、6校から种子と苗木が届く。苗木购入寄附金は68,000円に达する。23大学より书籍?パンフレット250册が届き、国际平和文库を创设。
昭和27年(1952)
2月2日
広岛医科大学(新制)の设置认可。开学は4月1日。
4月1日
広岛高等师范学校、広岛女子高等师范学校を廃止。これにともない、教育学部に附属东千田小学校、附属东千田中学校、附属东千田高等学校、附属福山高等学校を设置。
工学部に工业教员养成课程を设置。
11月-
「大学院设置认可申请书(改订)」を文部大臣に提出。
*この年、教养部学友会などが破防法反対で街头署名を行う。
昭和28年(1953)
3月25日
附属小学校讲堂において新制広岛大学第1回卒业証书授与式を行う。
4月1日
12国立大学に新制大学院设置。文部省、学位规则公布。広岛大学には大学院文学研究科?教育学研究科?理学研究科(修士课程、博士课程)を设置。
教育学部东云分校に盲学校教员养成课程を设置。
4月22日
国立大学の评议会に関する暂定措置を定める规则(文部省令第11号)を公布。
5月11日
第1回大学院入学宣誓式を行い、学生79名が入学。
8月1日
医学部(呉市阿贺町)を设置。県立医科大学の広岛大学医学部への移管は昭和31年3月31日に完了。
水畜产学部大津野饲育场、川口农场、贺茂牧场を包括して附属农场とする。
8月17日
「従前の规程による大学の研究科の存続年限に関する省令」により、広岛文理科大学の研究科が存置され、学位审査机関として教授会がひきつづき置かれる。
8月24日
教育学部事务室を広岛市出汐町から広岛市东千田町へ移転。
10月1日
広岛大学评议会规程を廃止し、新たに文部省令第11号にもとづいて広岛大学评议会を设置。同月13日に第1回评议会を开催。
*この年、淳风寮より出火。淳风寮、工学寮を全焼し、付近の民家8戸も全半焼する。
昭和 29年(1954)
4月1日
教育学部东云分校に聋学校教员养成课程を设置。
教育学部福山分校に特别教科教员养成课程(保健体育)を设置。
工学部に工学専攻科を设置。
6月1日
大学入试への进学适性検査义务づけ廃止を决定(昭和30年度から実施)。
9月21日
広岛大学学生準则を制定。
*この年、中国?四国国立大学音楽美术连盟が発足する。
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