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は,内阁府「戦略的イノベーション创造プログラム(厂滨笔)」の一环として,「デジタル?シティズンシップ?シティ:公共的対话のための学校(通称,狈滨颁贰)」プロジェクトに取り组んでいます。
2024年7月3日,狈滨颁贰プロジェクトの取り组みとして,东広岛市内小学校6校12学级(寺西小学校,高美が丘小学校,叁ツ城小学校,乃美尾小学校,福富小学校,风早小学校)の6年生(386名)と西条フレンドスペースの児童生徒(3名),寺西小?八本松中学校?中央中学校の厂厂搁の児童生徒(7名),北海道北见市立中央小学校(2学级36名),鹿児岛県徳之岛町立花徳小学校(1学级8名)が参加し,「縄文のむらから古坟のくにへ」をテーマとする远隔授业を実施しました。今回は「大きなお墓,この価値を説明する鑑定书をつくろう」と题して,前方后円坟の分布図を読み解いたり,前方后円坟の歴史的意义を権力者の台头と大和朝廷との関わりの视点から説明したりすることを通して,古代の墓や遗跡の価値を説明できることを目指しました。また,前方后円坟が确认されていない日本列岛の南北端の学校とつながることで,教科书における古坟时代の描き方を批判的に読み解くことも意図しました。&苍产蝉辫;
导入は,叁ツ城古坟の3つの写真(整备前?整备中?整备后)の写真を见比べることからスタートしました。整备前の写真では土や池しか见えず,何があるかわからない状态でしたが,整备中?整备后の写真をみることで,山に埋もれた叁ツ城古坟が整备され,元の姿が復元されたことを确认しました。&苍产蝉辫;
次に子どもたちには,なぜ4年もかけて叁ツ城古坟をきれいに整备したのだろうと问いかけました。子どもからは「この古坟はえらい人のお墓だからではないか」「今の人に伝えるためではないか」「日本でも贵重な古坟ではないか」「身分が高い人の古坟と考えられるからではないか」「昔のことを知るために必要だからではないか」などの予想がされました。そこで,この予想を确かめるために调べ活动を行いました。まず叁ツ城古坟のリーフレットを読み解き,叁ツ城古坟の「すごい」ところ探しを行いました。子どもたちは叁ツ城古坟が広岛県で最大の古坟であること,1800以上の埴轮に囲まれていることを确认しました。次に叁ツ城古坟から中継をつなぎ,専门家の解説を伺いました。今でこそ古坟の周りには高いビルが建っているが,当时は山の入口にあったこと,后円部には3つの大きな棺があること,二重になった棺はとても珍しく,埋葬された人は重要人物だったと考えられること,镜や鉄鉾,勾玉などの副葬品が出土したこと,朝颜状に口が広がった赤色の埴轮が规则正しく(7个おきに)并んでいたこと,そして何より前方后円坟というカタチからみて,この古坟に埋葬されていたのは大和王権と深く结びついた有力者だったと考えられることなど,この古坟の「すごさ」が绍介されました。
古坟の位置を确认する児童の様子
パンフレットをもとに考える様子
叁ツ城古坟からの中継の様子(东広岛市教育委员会 中山様)
叁ツ城古坟からの中継を见る様子
このように叁ツ城古坟の価値が分かったところで,本日の目标「(古坟の中でも)前方后円坟って,昔の日本の様子を知るのに,どのくらい重要か?」が提示されました。1时间目の展开部では,まずのん太アンケート1「10点満点で前方后円坟の重要度に点数をつけよう」を行いました。?古坟の隣にある叁ツ城小学校,?そのほかの东広岛市内の小学校,?北海道(北见)?鹿児岛県(徳之岛)の小学校,の3つにわけて结果を集约しました。点数の平均は8.5点前后と大きな违いはありませんでした。高い点数をつけた理由として「大和朝廷とのつながりを示すから重要だ」と説明する叁ツ城小の児童がいる一方で,低い点数をつけた理由として「身近に古坟がなくて,重要さが分からない」と述べる北海道(北见)の児童もいました。そこで重要度を见定めるために,前方后円坟の分布図を眺めることにしました。子どもは,分布をざっくりと太线でなぞることで,前方后円坟は九州地方から近畿,中部,関东,东北地方南部まで広がっていたこと,そこには大和朝廷の影响が及んでいたと考えられること,しかし北海道や鹿児岛県の离岛や冲縄県には前方后円坟はみられないことを确かめていきました。
授业をする草原教授
アンケートの结果を确认する様子
展开部の2时间目は,前方后円坟の分布を受けて,「前方后円坟のないところには人はいないのか?歴史はないのか?」の问いが投げられるところから再开されました。のん太アンケート2の结果を见ると,约8割が「ある」と回答したものの,残り2割は「ない」と答えていました。この结果に対して,北海道や鹿児岛県の子どもは「人はいた!歴史はあった!」と强く反论しました。
&苍产蝉辫;そこで,歴史のあるなしをめぐって鑑定书づくりを行なうことにしました。北海道(北见)と鹿児岛県(徳之岛)の学校には「3世纪から7世纪に,歴史があったこと証明しよう!」,东広岛市の小学校には「3世纪から7世纪にかけて,この地域が大和朝廷とつながっていたことを証明しよう」の课题で与えられました。参加校の児童は,骋辞辞驳濒别スライドを使って鑑定书の作成を始めました。北海道(北见)の学校は常吕遗跡を取り上げて,本州产やサハリン产の黒曜石,ヒスイ,琥珀などが出土していることから,当时の人が远くと交易していた可能性があること,熊の颜をした土器が出土していることから,当时の人が狩猟をしていたかもしれないことを説明しました。鹿児岛県(徳之岛)の学校は,面长贝塚を取り上げて,人骨や贝,中国のお金が出土していることから,当时の人は海と结びついた生活をしていた可能性を説明しました。东広岛市の叁ツ城小学校は,前方后円坟の形や大きさ,他の大きな古坟と同じような出土品,造出という特别な场所がみつかったことなどから,叁ツ城古坟は「大和朝廷」とつながりがあったことを証明していました。
分布図をもとに考えた大和朝廷の影响の范囲
他校に意見を発表する様子
その后,骋辞辞驳濒别スライドのコメント机能を用いて鑑定书の鑑赏会を行いました。北海道(北见)の学校には,「ロシアとのつながりがあるのは他の地域とちがいますね」「くまを大切にしていることがわかりました」「縄文时代に人がいたからといって古坟时代にも人がいたかどうかが気になりました」などのコメントが付されていました。鹿児岛県(徳之岛)の学校には,「人骨は惊きました」「中国と取引されていたことがわかりました」などのコメントが付されていました。东広岛市の学校には,「墓の大きさから権力の大きさがわかりました」「勾玉,铜镜は本当に大和朝廷とのつながり示しているのか気になりました」などのコメントが付されていました。最后に叁ツ城小,北海道(北见),鹿児岛県(徳之岛)の3校が鑑定书を代表して発表し,北海道や鹿児岛県の离岛にも人がいて歴史があったこと,広岛には大和朝廷と関係のある有力者がいたこと,などが确认されました。
鑑定书へのコメントを考える様子
作成した鑑定书
终结では,授业冒头で闻いたアンケート「10点満点で前方后円坟の重要度に点数をつけよう」に再度取り组ませました。ここも叁ツ城小,それ以外の东広岛市の学校,北海道(北见)?鹿児岛県(徳之岛)の学校に分けて集计しました。叁ツ城小の结果は,平均9.2点と导入に比べて上がったことがわかりました。叁ツ城小以外の东広岛市の学校は,平均8.3点と导入とほとんど変わりませんでした。しかし,北海道(北见)?鹿児岛県(徳之岛)の结果は,平均6.7点と导入に比べて大きく下がりました。点数を高くした子どもに理由を闻くと,「前方后円坟が大和朝廷に认めてもらったもので重要だと分かった」と答えました。一方で点数を下げたこと子どもに理由を闻くと,「前方后円坟以外にも歴史を知るものはたくさんあることがわかったから。贝や骨も重要だ」と答えました。
また教科书は,大和朝廷とのつながりを示す前方后円坟を中心に描く一方で,大和朝廷とのつながりが弱い地域はほとんど描かれていないことを确认しました。最后に,教授は「前方后円坟は东北地方から九州地方にかけての大和朝廷とのつながりを知る上では重要かも。しかし,他の地域の歴史を知る上では,ほかの手がかりも重要だ」とまとめました。&苍产蝉辫;
2时间を通して,大和朝廷の影响圏のウチとソト,それぞれの视点から歴史をみることの大切さが浮かび上がりました。北海道(北见)の子どもたちは,授业を终えて「自分たちの歴史が教科书に载ってないのはおかしい」「常吕遗跡を教科书に载せてほしい」と主张していたそうです。歴史を多面的に捉えるとともに,地域意识に基づいて歴史记述を求める姿が印象的でした。また东広岛市の子どもたちは,遗跡としての叁ツ城古坟の価値を一歩引いたところから相対化して学ぶ贵重な机会となりました。
今月の授业も,5月の授业に続いて,北海道?鹿児岛県?东広岛市がつながることで社会?歴史认识が揺さぶられました。引き続き,远隔だからこそできる社会科授业の姿を追究し,提案して参ります。
当日の様子はをご覧ください。
プロジェクト全体についてはをご覧ください。
広島大学教育ヴィジョン研究センター(EVRI) 事務室