フェニックス(ヤシ科) Phoenix canariensis

フェニックス前で记念撮影する
森戸初代学长

移転前の东千田キャンパス
正门前のフェニックス
东広岛キャンパス国际の森の
コモ巻きをしたフェニックス
别名、カナリーヤシとも呼ばれるカナリア诸岛原产の常緑高木。
ギリシャ神话に出てくる「フェニックス」(不死鸟、自分の身を焼いて再び灰の中から生き返るといわれ、日毎に沉んでは昇る太阳の象徴でもある)にあやかって、この木を原爆の廃墟から再生する新広岛大学のシンボルとしました。学章のデザインにもその叶が図案化されて用いられています。
戦后、ウェスレイアン大学(米国)からの寄付金により购入された苗木は、东千田キャンパスの正面前入口道路の左右にそれぞれ3本ずつ植えられ、半世纪以上たった今も东千田の地に残っている広岛大学の正门前にて成长を続けています。
东広岛キャンパスでは、新たに购入された株が中央図书馆南の国际の森に植えられています。フェニックスは比较的寒さには强い木ですが、冬季は、むしろを用いたコモ巻きを行って寒さ対策を行っています。
メタセコイア(スギ科) Metasequoia glyptostroboides

东千田キャンパスの
森戸道路のにぎわい
东広岛キャンパスに育つ
メタセコイア
メタセコイアは、世界で最初に日本で化石として発见されましたが、1945年に中国四川省、湖北省に自生していることが判明し、世界が惊いたといういわれのある木です。その后、现地を调査した米国の植物学者が持ち帰った种子から养成した苗木が世界の各国に配布され、日本にも1949年顷渡来しています。
东千田キャンパスにおいて大学のメインストリートの街路树を何にするかを论议した际、かつて日本にも育ち、中国に生き残り、米国で育成された、日本的でしかも国际的なメタセコイアが选ばれました。「森戸道路」と呼ばれて亲しまれたメインストリートのメタセコイア并木は、フェニックスについで広岛大学のシンボル的な存在でした。
大学移転と共にキャンパスの建物のほとんどは取り壊されましたが、メタセコイア并木の一部は东千田公园として残され、当时の面影を今でも伝えています。
移転前、东千田キャンパスの理学部植物園に植えられていたメタセコイアのうちの2本が東広島キャンパスに移植されました。