「留学とは、异なる文化に混じること」

名前: 劉 哲
出身: 中国
所属: 大学院文学研究科(2020年4月より、大学院人间社会科学研究科に改組)博士課程後期3年
趣味: 音楽鑑賞、ウクレレ演奏、旅行
(取材日:2021年9月22日)
ふるさとは、どんなところですか。
中国、河南(かなん)省の小さな都市、许昌(きょしょう)市から来ました。叁国时代には一时的に魏(ぎ)国の首都だったことから、故郷には様々な叁国时代のエピソードに因んだ観光地があります。
たとえば、叁国志の英雄のひとり関羽(かんう)が、敌将である曹操(そうそう)の捕虏となった时、住居の中で夜明けまで『春秋』という本を読みふけっていました。そんな関羽の勤勉さは后世に语り継がれ、彼の当时の住居は「春秋楼」(しゅんじゅうろう)と名付けられ、今も大切に保全されています。
そして、関羽が主君である刘备(りゅうび)に再び仕えるため许昌を离れる际、曹操は彼との别れを大いに惜しみ、関羽のために用意したマントを渡し、再び自身への恭顺を呼びかけました。ところが、関羽はそのマントを刀で掲げ、马に乗って曹操のもとを去っていったそうです。
どこまでも刘备に忠実な関羽と、才能ある者を敌?味方の区别なく大切にする曹操、この二人の英雄を记念するために、マントが掲げられた场所には「灞陵桥」(はりょうきょう)という桥が架けられ、现在も许昌市の代表的な観光地のひとつとなっています。
広大よりも先に、新潟大学に留学されていたのですね。
はい、大学3年の时に、交换留学生として一年间留学しました。新潟大学の授业では、各国からの留学生と交流ができ、とても楽しかったです。部活では茶道部に所属し、そこで日本の伝统文化に魅力を感じて、大学院は日本の大学に行こうと决意しました。
そして新潟では、冬の厳しさも学びました(笑)。私の通っていた五十嵐キャンパスは、日本海を望む浜辺に近い広大なキャンパスです。雪が20センチも積もった日など、歩きにくくて通学に苦労したことも、日本人学生と同じ授業を受けて、日本语の難しさに四苦八苦した経験も、今ではなつかしい思い出です。
なぜ広大の大学院に留学したいと思ったのですか。
先ほども述べた通り、行くなら日本と决めていました。どの大学にするか迷っていたところ、ちょうど広大に留学経験のある先生が広大を勧めてくださり、それで决意したのです。先生は、広大の先生方は优しいし、キャンパスも広くてとても良いところだよ、と教えてくださいました。
メインキャンパスは「広岛」じゃなく「东広岛」だけどね、といった情报は?
それは、ここに来るまで知らなかったです! 来てから「あっ」と惊きました(笑)。
でも、私はすぐに东広岛キャンパスが気に入りました。学内にある「ぶどう池」の中に小さな鸟居が浮かんでいるのを见て、「かわいい!」と思いましたし、それに、いろんな海外协定校との记念树を植えてある场所(国际の森)を见て、とても国际的な雰囲気が印象的でした。同じ学内に日本的なもの(鸟居)と国际的なもの(海外协定校との记念树)が混在していて、広大っておもしろいなあ、と思ったんです。

ぶどう池に浮かぶ鸟居
国际の森
学内の施设について、どう思われますか。
図书馆は毎日のように利用します。本を借りに行きますし、书库も大好きで、よく行きます。(书库には)穏やかな雰囲気があるし、本に囲まれていると何だか落ち着くんです。
学食で好きなのは、台湾まぜそば! あれ、おいしいんですよね。アジアンフェアの特别メニューですけど、毎年必ず食べに行きます。
広大の授业を受けた感想は?
私は大学院から入学しましたから、ゼミ型の授业が多く、学生数は多くても20人程度でした。ですから、先生や学生同士で活発に意见交换ができて、とても有意义だと思いました。
オンラインで日本语を教えるアルバイトも経験されていますね。実際にオンライン授業を大学で受けてみて、あるいは自身で教えてみて、対面授業と比較してどう思われますか。
私は、オンライン授业よりも対面授业の方が好きです。授业とは、先生が一方的に知识を教えるのではなく、学生との交流も含めてのことだと思います。ですので、教える侧としては、オンラインではあまり学生の目线や表情が见えなくて、一人で话をしているみたいで少し心细くなります。
教わる立场でも、対面授业の方が活発な雰囲気になりやすいと感じます。オンライン授业だと、発言したいと思っても、気后れしてしまいがちです。ですから、対面授业の方が私には合っていると思います。
しかし、学会の参加に関しては别です。最近の学会は、感染症拡大防止の観点からオンラインで行われることが多く、私たち学生にとってはむしろ参加しやすくなりました。以前は移动のために时间やお金をかける必要がありましたが、それがなくなりましたので。
现在はどんな研究をしていますか。
大学院文学研究科の比较日本文化学に所属し、中国と日本の言语计画の対照研究をしています。近代以来、両国の共通语、文字、文体などはどのように确定されたのか、両国は言语に対するどのような计画を立てたのか。そういったことに注目しています。
とても难しそうなテーマですね!
そんなことはないです(笑)。私たちにとって身近なテーマです。私たちがこんにち使っている言叶や文字に大きな影响を与えたことですから。
中国でも日本でも、现在使われている言叶や文字は、古代と异なり、近代から改革されたものです。以来、様々な言语案が讨论され、戦后に至って政策として确定されました。そして现在も、実际の使用状况による调整が引き続き行われています。
昔、日本语から漢字をなくそう、という案もあったと聞きました。
そう! それも私の研究の一部です。そもそもは西暦1900年くらいに、汉字の全廃を前提とした言语计画が日本で制定されたんです。
なぜそのような案が出たかというと、当时の欧米诸国はアジアよりもずっと発展していて、日本も中国も欧米から学んでいました。日本でも欧米と同様に表音文字であるアルファベットを使うようになれば、难しい汉字を学ぶ必要もなくなり、教育や事务処理もより効率化され、欧米のように発展するのではないかということで、汉字全廃の方针が制定されたのです。
しかし1960年代くらいになると、やはり汉字がないと文书が読みづらくなるなどの理由もあり、国语审议会での激しい讨论を経て、最后にあきらめることが决まりました。
そんなわけで、全廃は実现しませんでしたが、日本の汉字も明治、大正、昭和にかけて、使いやすく简略化されていきました。一方、现代の中国の汉字(简体字)は、日本のものよりもさらに简略化されたものになっています。
この研究の魅力はなんですか。
现在は中国と日本の比较研究をしていますが、同じ言语に対する计画でも、中国と日本では考え方や文化の违いがみられ、そこがとても面白いと思います。
それに私は、以前は「国」という概念で物事を考えたことがなかったのですが、この研究を始めてからは、「国」の视野から様々なことを考えるようになりました。それもまた、视野が広がったという実感が持てて嬉しいし、それに、以前よりも深くこだわりを持って研究ができるようになり、ますますこの研究をおもしろいと思うようになりました。
そして今は、ひたすら论文に取り组む日々なのですね。
はい、毎日论文を书いています。必死に书いています!(笑)
私たちの研究科の论文といえば、たいてい最初に先生と相谈してテーマを决め、书き方も决めて、あとは自分で书いてみて、また先生に出してみて、というやり方です。研究科によっては、何人かのチームで共通の课题をやる场合もあるようですが、私たちは一人ひとりが独立して自分のテーマでやります。自分と近い课题の人がいる场合はお互い协力することもありますが、基本的には各自がひとりで取り组みます。
研究のあいまに、どんな気分転换をしますか。
瀬戸内海に行きます! 瀬戸内海は、风が强くて険しい感じの日本海とは违い、静かで优しい感じで好きです。「せと、ない、かい」って、名前もかわいいです(笑)。瀬戸内海には多くの岛があり、中でも生口岛(いくちじま)にある未来心の丘(みらいしんのおか)が好きです。白い大理石の建物がとてもきれいです。
気分転换というと、コロナ前にはよく日本各地を旅行しましたが、最近では自宅で映画を観たり、音楽を聴いたり、ウクレレを弾いたりもします。
どんな课外活动を経験されましたか。
広大のサークルには所属したことがありませんが、アルバイトの経験ならいっぱいあります!
最初のアルバイトでは、スーパーでお寿司を作りました。修士2年の時には、広大生協の店でレジをやりました。また、先ほどちょっとお話に出ましたが、オンラインで中国人に日本语を教えました。生徒は、日本に留学を希望する高校生や、日本企業で働く社会人などです。
博士課程後期入学後は、家電量販店で通訳兼、販売の仕事をやりました。それとかけもちで、三原市の日本语学校で企業研修生に日本语も教えました。生徒にはベトナムやミャンマーの人もいて、意思疎通が難しい時はお互い身振り手振りで会話したりして、とても楽しかったです。
そして现在は、学内の学生プラザで笔础(※)として、在留资格更新手続きをする学生のための通訳などをしています。この仕事は始めてまだ日が浅く、わからないことが多く紧张の毎日です。これまでにお话しした长期のバイト以外にも、たまに试験官などをやっています。
このように、様々な仕事をする中で、数えきれないほどの日本人やその他の国の人々と接触し、交流することができました。このような経験を多く积むことは、异文化理解を深めるうえで非常に大切なことだと思います。
※フェニックス?アシスタント。広岛大学の业务にアルバイトとして従事する学生。
留学を考えている后辈たちに、何かメッセージをお愿いできますか。
私が来日する前に思い描いていた「留学」とは、とにかく「知识を学ぶこと」でした。しかし、あれから约5年の歳月と経験を経て、今思うことは、知识を学ぶ一方、现地でその国の文化を「感じる」ことも、大事なのだということです。研究においても同じで、留学先での研究方法を身に付けることが重要だと思います。
现在はインターネットが普及していて、知识を学ぶにはとても便利ですが、异文化を肌で感じることは、やはり现地でしかできないことです。留学とは、违う文化の中に「混じる」ことだと私は思います。
皆様もご存じのとおり、现在は新型コロナウイルスの影响などで、来日することが难しい学生さんも数多くいます。リモートでの学びといった新しい选択肢も、今后は考虑しなくてはいけないかもしれません。そうでなくても、外国に行けば费用もかかるし、亲も心配するし、留学するということは本当に大変なことです。
しかし、もし留学の意思があるなら、あきらめないで、ぜひ日本に、いえ日本でなくても、希望の地に留学してほしいです。いつか必ず、皆さんの梦をかなえてください。
最后の质问です。将来の梦は何ですか。
现在の目标は、卒业后は中国に帰国して大学の教员になることです。そして将来は、できることなら言语计画の研究者として、社会のために少しでも役に立つ研究がしたいです。
しかし、当面の目标はもちろん、卒业することです(笑)。卒业后は帰国する予定ですが、コロナの状况などを考えれば、いったん帰国すれば再来日することは难しいと考えられます。ですから、今の内に日本で学んだことを自分なりに整理しています。例えば、日本での约6年间で自分は何を感じたのか、帰国后は、日本で感じたことをどのように他の人に伝えるべきか、などについてです。
「现场で感じる、刺激を受ける」ことは留学において非常に重要なことです。动画や写真では伝えきれないことがたくさんあります。その点、私はまだまだ色々なことを体験できていないと思います。ですから、卒业までの时间を目一杯利用して、可能な限り日本、そして、広岛の文化を感じたいです。
残りの留学生活がさらに有意义なものになるように、そして、将来の梦が実现するよう祈っています。今日はありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。
Photo Gallery

広島大学前にて、ご主人(大学院先进理工系科学研究科学生)と
野球を初体験(难しい!)

友达の周さんと郭さんと、直岛に向かう船にて
文学部から撮影した紫の空
札幌にて
※インタビュー时は、写真撮影のため感染防止に注意した上でマスクを外している时があります。