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平成27年度 原爆死没者追悼式

広島大学原爆死没者追悼式 追悼の辞 (2015.8.6)

 きょう、70回目の「原爆の日」が巡ってまいりました。

 ご遗族、同窓会代表をはじめとする関係者、教职员并びに在学生代表の皆さんのご出席をいただき、「広岛大学原爆死没者追悼式」を挙行するにあたり、犠牲となられた方々の御霊に、谨んで哀悼の诚をささげます。
 併せて、2011年3月11日に発生した东日本大震灾?福岛原発事故、及び昨年8月20日に発生した広岛市土砂灾害により、尊い命を夺われた皆様方、ご家族の皆様に心からお悔やみを申し上げますとともに、いまだ不自由な生活を余仪なくされている方々にお见舞い申し上げます。

 70年前のあの日、広岛の街は一発の原爆により焦土と化しました。爆心地から1~4キロメートルの広岛市街地に点在していた、広岛大学の前身校の多くは壊灭的な被害を受け、数多くの学生?生徒や教职员、そして南方留学生の方々も犠牲になりました。
 こうした惨祸を越えて、新制広岛大学として1949年5月、フェニックス(不死鸟)のごとく再建されたのであります。
 文部大臣を経て初代学长に就任した森戸辰男先生は、「自由で平和な一つの大学」を建学の精神としました。森戸先生はさっそく「平和の都市の平和の大学の建设への协力」を求める书简を世界の诸大学に送りました。戦灾で失われた図书の寄赠と緑化のための苗木?种子の提供を呼びかけたのです。それに応えてアメリカ、ドイツ、インドなどの大学から4000册を超える図书とともに、およそ100种260本の苗木と种子930袋余りが届いたと闻いております。
 「75年间草木も生えない」といわれた広岛市は、今や美しい国际平和文化都市として復兴を遂げました。平和大通りをはじめとする緑豊かな街并みは、世界から访れる人たちに安らぎを与えています。広岛大学に植树された树木もまた、旧本部跡地に残る「森戸道路」の両侧に緑したたる木阴をつくり、一部は东広岛キャンパスに移されてしっかりと根付いております。

 広岛大学はその理念5原则のトップに「平和を希求する精神」を掲げてまいりました。
 「平和を希求する国际的教养人」を育むことができるのは、本学をおいて他にないと、私は确信しています。现在に至る核被害の全体像を、学术的立场から解き明かして世界に発信するとともに、核被害者に寄り添い、復兴に贡献することは、本学に课せられたミッションであります。
 広岛大学は福岛第1原発事故の直后から、延べ1300人を超える紧急被ばく医疗チームを现地に派遣しました。医疗?放射线分野のみでなく、震灾によって壊れた自然环境、住民の皆さんの心身の健康や暮らし、社会システムを取り戻すために、本学の自然科学系、人文社会科学系、学生ボランティアも総力を挙げて復兴支援に取り组んでいます。

 本年また新たに19柱の方々を、この慰霊碑にお祀りすることとなりました。
 昨年までの方々と合わせて、1,909柱の御霊の安らかならんことを愿い、また、ご遗族の皆様のご多幸を念じております。

 被爆70年に当たり、あらためて建学の精神をかみしめ、教职员?学生一同は教育、研究、社会贡献を通して平和な人类社会を筑くために、たゆまず努力してまいることをお誓い申し上げ、追悼の辞といたします。

平成27(2015)年8月6日
広岛大学长 越智光夫


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