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平成28年度 入学式

学長式辞 平成28年度入学式 (2016.4.3)

 広島大学に入学された皆さん、おめでとうございます。きょうの日をともにお祝いできますことを、心より嬉しく思っております。 晴れの日を迎えられた皆さんのご努力とともに、惜しみない支援をささげられたご家族、関係者の方々に心から敬意を表します。
 広島大学での新たな生活をスタートされるに当たり、広岛大学长として、また卒業生のひとりとして、皆さんに広島大学の素晴らしさを知ってほしいと思います。

 広岛大学は现在、11学部、11研究科を拥し、约1万5千人が学んでいるわが国有数の総合研究大学です。広岛大学には东京ドーム53个分の広さがある东広岛キャンパス、広岛市内に医疗系の霞キャンパス、大学発祥の地である东千田キャンパスの3つのキャンパスがあります。
 2013年度に文部科学省の「研究大学强化促进事业」22机関に採択され、2014年度には「スーパーグローバル大学创成支援事业タイプA」(トップ型)13大学に中四国地方で唯一选ばれました。世界トップ100を目指す教育?研究力を持つ大学として评価されたものと考えます。
広岛大学は2つの点で、他の大学にはない「独自性」を持っていると私は考えています。
 第一は、国立大学で最も多い9つの前身校を持つことです。その一つである広岛师范学校のルーツは1874年、明治7年开设の白岛学校に遡り、142年の歴史を刻んで今日に至っております。
 これら前身诸学校は、教育界をはじめとして各分野における専门家や教员を育て、全国に优秀な人材を辈出してまいりました。広岛大学は歴史や校风、専门分野を异にする多くの源流をもつ多様性、すなわちダイバーシティの中で、ハーモナイゼーションを兼ね备えていると言えるでしょう。
 いま一つは、原爆の廃墟から不死鸟のように立ち上がった、平和の大学であることです。原爆投下によって壊灭的な被害を受け、多くの教职员や学生?生徒が犠牲になりました。被爆から4年后、広岛文理科大学の建物などを引き継いで开学したのが新制広岛大学であります。

 昨年12月、カイロ大学及びアインシャムス大学との大学间交流协定缔结のため、私はエジプトを访问しました。その様子は、狈贬碍ワールドをはじめ多くのマスメディアで报道されました。宗教や民族をめぐる纷争が続く中东地域の平和への渇望は强く、原爆から復兴を果たした広岛大学に寄せられた期待の大きさをひしひしと感じました。
 本学は教养教育の一环として、戦争?原爆?贫困?飢饿?人口问题?环境などをテーマにした「平和科目」を必修としています。新入生の皆さんにこの平和科目の中から1科目を选んで履修していただくのも、こうした理念を踏まえたものにほかなりません。
 文部大臣を経て広岛大学の初代学长に就任した森戸辰男は、1950年11月に行われた开学式の席上で、「自由で平和な一つの大学」を建学の精神として掲げました。この精神は脉々と受け継がれています。皆さんもしっかりと胸に刻み、「平和を希求する国际的教养人」として育ってほしいと愿っています。

 さて、今年2月12日、世纪のビッグニュースが世界を駆け巡りました。ちょうど100年前、物理学者のアルバート?アインシュタインが一般相対性理论を基に予言した「重力波」の観测に、アメリカなどの国际チームが世界で初めて成功したというものであります。私は宇宙や物理学に関してまったくの素人でありますが、宇宙诞生のなぞ解明につながるのではという期待に、心を跃らせました。
こ のニュースにもつながる一人の広岛大学人を绍介したいと思います。宇宙科学や物理学は、今も広岛大学が强みとする研究领域の一つなのですが、実はその源流は広岛文理科大学に遡ります。戦时下の1944年、附属研究所として理论物理学研究所(理论研)が设置されました。その生みの亲であり、初代所长に就任したのが叁村刚昂(みむら?よしたか)であります。
 叁村は1930年代、アインシュタインが提唱したマクロ世界の一般相対性理论と、ミクロ世界の量子力学を统一した理论体系として「波动几何学」を提唱しました。波动几何学は科学誌ネイチャーで绍介されるなど、その当时、独创的な研究として世界の注目を集めたと闻いております。
 理论研は1945年8月6日、原爆によって施设が全壊し、所长の叁村自身も伤を负いました。しかしその苦难を乗り超えて1949年に広岛大学の附置研究所となり、时空や场の理论、宇宙论など600を超える论文を発表しました。まさに「日本における相対论研究のセンターの役割を果たした」とされています。
 1965年、叁村は67歳で亡くなりましたが、戦后一贯して科学者の责任として核兵器廃絶运动に取り组みました。日本初のノーベル赏受赏者である汤川秀树博士とも深い亲交を结んでいたことが知られています。
 汤川博士は弔辞で、波动几何学を展开した先见性を高く评価しつつ、「私たちは核兵器をこの地球上から一扫するためにより一层努力をしなければならないと痛感いたします」と叁村の死を惜しみました。
 人类史上初の原爆被灾に立ち向かい、学术研究への情热を燃やし続けてきた広岛大学の先达の心意気が伝わってくる逸话であると、私は考えています。

 広岛大学の歩みは、几多の流れを集めて海にそそぐ大河のようなものであると思います。今まさに皆さんも、その流れに入らんとされているわけであります。现在を生きる私たちの位置を确かめ、未来の青写真を描いていくために、広岛大学の足跡を知ってほしいと思います。さまざまな困难や试练に出遭ったときにも、ひとつの道しるべとなるはずです。
 皆さん一人一人が个性や能力を存分に伸ばしていただける环境を私たちは用意しています。ただ、大学での学びは教室の中だけではありません。多くの人と出会い、さまざまな経験を积むことこそ、大きな粮になるのです。広岛大学では大学院を含め70か国の1,300人を超える留学生が学んでいます。彼らとの日々の触れ合いを通して、国际コミュニケーションの道具としての英语力を磨き、文化の多様性を理解していただければと愿っています。

 「幸福论」で知られるスイスの哲学者カール?ヒルティは、人を仕事に向かわせる极めて効果的な手段は「习惯の力」であると述べています。习惯的な勤勉を容易にするコツとして「絶対に先延ばししないこと、毎日一定の、适切な时间を仕事に捧げることが必要である」と指摘しています。これからの大学生活で、ぜひとも皆さんによいクセを身に付けていただきたいと愿っています。
 私は学长に就任した1年前、「100年后にも世界で光り辉く広岛大学」をスローガンとして掲げました。一绪に広岛大学の未来を切り开いていきましょう。皆さんの学生生活が、実り豊かなものになることを心よりお祈りして、私からのお祝いの言叶といたします。

平成28(2016)年4月3日
広岛大学长 越智 光夫


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