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令和4年度 原爆死没者追悼式

広島大学原爆死没者追悼式 追悼の辞 (2022.8.6)

 今年も「原爆の日」が巡ってまいりました。「広岛大学原爆死没者追悼式」を挙行するにあたり、広岛大学を代表して、原爆の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に谨んで哀悼の诚(まこと)をささげます。

 新型コロナウイルス感染症の世界的流行が始まって2年半を経过しましたが、いまだ収束は见通せず、新たな変异株が猛威をふるう状况になっています。このような中、ご遗族と関係者の皆様の健康と安全を第一に、今年も规模を缩小しての开催とさせていただきました。

 先ほど「広岛大学原爆死没者追悼之碑」に、この1年间に确认された19人のお名前を书き加え、合わせて2,060人の方々の名簿を奉纳させていただきました。

 この1年の间で、核をめぐる状况はかつてないほど深刻化しています。ロシアによるウクライナへの军事侵攻が続く中、原発が攻撃されたり、核兵器使用の威吓が行われたりするなど、核リスクは冷戦终结以降で最も高まっているといわれています。その一方、核兵器禁止条约の初めての缔约国会议がウィーンで开かれました。日本政府は参加しませんでしたが、「核なき世界」に向けた决意が示されたと、私は受け止めています。

 77年前のあの日、広岛大学の源流となった広岛文理科大学をはじめとする9つの前身诸学校の多くが损壊や全焼の被害を受けました。学生?生徒?児童や教职员の方々も、校舎内や勤労动员先でかけがえのない命を夺われ、また伤つきました。

 被爆から4年后、廃墟となった広岛の地に开学した広岛大学の初代学长、森戸辰男先生は平和研究のための资料と大学緑化に必要な树木の寄赠を呼び掛けました。现在、2,600册に及ぶ寄赠资料は平和文库として、芽吹いた木々は緑のキャンパスづくりへと受け継がれています。

 私は学长に就任してから7年间、「平和を希求し、チャレンジする国际的教养人の育成」に全力を倾けてまいりました。そして平和のために何ができるかを考え、ウクライナの学生受け入れやアフガニスタン元留学生に対する人道支援への取り组みを进めています。

 来年5月にはこの広岛の地で骋7サミットが开催されます。主要7カ国のトップがそろって被爆地に立つのは歴史上初めてであります。核兵器廃絶と、自由で平和な一つの世界を筑くための一歩となることを愿ってやみません。

 100年后も広岛大学は「平和の大学」としての使命を担い続けていくことをあらためてお誓い申し上げ、追悼の辞といたします。

 

 

 

令和4年(2022年)8月6日
広岛大学长 越智光夫


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