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シルクロードの资料が语る中国の来世観

中国西端に位置し、古の时代からオアシス都市として人々の暮らしを支えてきた敦煌。出土した様々な遗物が语り継ぐのは、敦煌の住民であった多民族が织りなす地域限定的な歴史や文化だけではありません。たとえば、周辺地域のみならず中国全土の「死后の世界」に対する考え方が悠久の时の流れの中で移り変わってきた様を、敦煌の遗物を読み解くことで浮かび上がらせることができるのです。

书誌情报など

荒见泰史.“シルクロードの敦煌资料が语る中国の来世観”. .白須淨眞.東京,勉誠出版,2015,p.18-54,(アジア遊学, 192),978-4-585-22658-1

研究者プロフィール



教授?文学博士

大学院総合科学研究科 地域研究讲座

研究分野  人文学 / 文学 / 中国文学

 敦煌は、中国西端のオアシス都市として古来人々の暮らしを支えてきました。そして长い时の流れの中で、东西陆上交易の中国の西の玄関口として、また、山岳信仰の地として、さらには仏教の圣地として繁栄し、多种多様な宗教、文化が融合する国际都市として长く歴史の表舞台にありました。

标高1,778尘の山顶にある王母庙(撮影者:荒见泰史)

 このようなことから、敦煌には様々な时代背景の、异なる文化背景をもつ遗跡が重层的に残されています。汉代(叠颁206年~220年)の遗跡も多く、そして文字资料としては大量に出土した汉简(かんかん)などがあります。后代の资料では、六朝时代の墓や寺院跡、石窟(せっくつ)资料はとくに豊富で、石窟资料としては壁画と塑像(そぞう)が、そして石窟内に埋蔵されていた文献资料があり、壁画では45000㎡、文献资料では64000点を超え、この时代のものとしては世界最大级ともいわれる资料群です。それらのビジュアル资料と文字资料は、各时代の政治、学问や宗教、时には庶民の暮らしに至るまで様々な情报を読み取ることができるたいへん贵重なもので、これらを使った研究は「敦煌学」と総称されて今日まで学界の注目を集めています。

 そうした各时代の资料群に见られる来世観と言えば、あるいは敦煌という中国の一辺境地域に限られ、しかも多民族の文化が融合したものとも思われがちでしょうが、実は中国の1000年以上もの长きにおける来世観の変容の歴史を反映する贵重な资料でもあります。

莫高窟の仏像(出典:『敦煌―纪念敦煌蔵経洞発现一百周年』新华出版社、2000年)

后汉时代および西晋时代の墓に见られる西王母信仰(西王母:中国で古くから信仰された女神)や、3世纪から4世纪顷に盛んになった仏教の石窟资料に残される轮廻を中心とする壁画、そして隋唐の浄土教の発展以降になると、极楽往生を描く精緻な浄土変相図が王朝の豊かな経済基盘を背景とするかのように描かれるようになりました。

西王母の壁画(出典:『甘粛出土魏晋唐墓壁画』兰州大学出版社、2009年)

浄土変相図(出典:『敦煌―纪念敦煌蔵経洞発现一百周年』新华出版社、2000年)

また、9世纪ころには、王朝の中央集権の后退にともなって、その统制から解き放たれた寺院がより広范な地域経済と结びつきを强めたために、一部の仏教仪礼が聴众を意识した仪礼へと変化したかのようです。地蔵を中心に地狱での救済が説かれて人々の耳目をくぎ付けにし、后には発展して葬仪から追善供养(命日や回忌法要などの别称)と结びついて十王(死者を裁く十人の裁判官)のような地狱の裁きが体系的に表されるようになっていきました。文献资料にはそうした仪礼に効果的に用いられた讃美歌のような浄土讃、讲唱や舞踏、戯剧を交えた仪礼もおこなわれるようになったなどの変容が见られるようになります。

敦煌で発见された古文书(中国国家図书馆所蔵)

こうした敦煌の资料から読み説くことのできる来世観の変容は、中国社会における长い期间の来世観の変容の状况を反映しており、中国の来世観を考える上でたいへん贵重な同时代资料なのです。

东広岛キャンパスにある敦煌学プロジェクト研究センターにおいて

 

この记事は、学术?社会连携室と広报グループが作成し、2017年に公开したものです。


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