伊藤奈保子.インドネシアの宗教美术―鋳造像?法具の世界―.京都,,2007,318p.,ISBN 978-4-8318-6364-5.
京都の东寺にある五重塔。その一阶部分(初层)には、空海らとともにインドの僧が描かれています。金刚智(こんごうち)というこの僧は、8世纪顷、季节风に乗って海路で中国へ向かったとされています。その寄港地であったと考えられるインドネシアに残された、密教の仏像、法具、経典を研究し、当时の东西交易ルートを纽解きながら、日本の密教の痕跡を辿ります。

(いとう なおこ)
准教授?博士(学术)
大学院文学研究科 地表圏システム学講座
研究分野 人文学 / 芸術学 / 美術史
日本では9世纪顷の平安时代に、中国から日本へ密教が流伝し、1200年経った现在でも信仰されています。一方、イスラム教徒が约9割のインドネシアでも、かつて日本と同时期に密教が信仰されていたものと考えられます。

金剛杵 インドネシア中部ジャワ出土 9世紀頃

金剛杵 厳島神社所蔵 国宝 13世紀頃
調査の結果、ジャワ島を中心に金属製の大日如来像102軀(く)を含め、約400体の密教の仏像、密教儀礼の道具である金剛杵(こんごうしょ)20例、密教の標幟である三昧耶形(さまやぎょう)の入った金剛鈴(こんごうれい)37例を確認することができました。また、現地に残る経典、『Sang Hyang Kamahayanikan』などに密教経典の一部をみることができます。このように、密教に関する仏像、儀礼道具、経典が数多く確認できることから、インドネシア、特にジャワ島において8世紀頃に密教が流伝していたものと考察できます。

大日如来
またインド出身の密教僧である、金刚智(こんごうち)に関する文献には、「商船で中国の长安へいく途中难破し、718年に5ヶ月间仏逝国(シュリーヴィジャヤ王国)に滞在、720年に东都(洛阳)に达するまで诸异国をめぐる」とあります。この5ヶ月という具体的な期间について推察すると、季节风が関係していたと考えられます。金刚智は、风がインドネシア方面に吹く1月顷に东インドを出発し、寄港地などで座礁して、その一帯で滞在し、再び风が中国方面に吹く7月顷に出発したのではないでしょうか。

ボロブドゥル
いずれにしても、マラッカ海峡は当时商船が行き交っており、东西の往来は盛んでした。何人かの密教僧がその商船に乗船し、教义をインドネシアに広めていったことは想像に难くありません。またこの金刚智は、日本に密教をもたらした重要な八人を示す用语である「真言八祖(しんごんはっそ)」と言われるうちの一人で、京都の东寺(教王护国寺)の一阶部分にも描かれています。密教の日本への流入に、インドネシアが関连していた可能性は大きいのです。

この记事は、学术?社会连携室と広报グループが作成し、2016年に公开したものです。