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第21回 医歯薬保健学研究院 教授 山脇 成人先生

写真:山脇先生

うつ病からモノづくりへ~人间の心を科学する~

取材実施日:2015年8月5日
第21回の先生訪問は、医歯薬保健学研究院 応用生命科学部門 精神神経医科学 山脇成人(やまわき しげと)教授に伺いました。

Profile
1979年 広島大学医学部医学科卒業
1979~1980年 広島大学医学部付属病院
1981~1982年 国立呉病院(現:呉医療センター)
1982~1983年 米国ワシントン大学医学部に留学
1983~1990年 国立呉病院(現:呉医療センター)
1990年~現在 広島大学大学院医歯薬学総合研究科
(2013年より医歯薬保健学研究院)

现在の研究内容

「うつ」をキーワードに、①うつとがん、②うつと自杀、③うつと脳科学という3つのテーマを中心にしています。
①は、がんの発病をきっかけにうつになる可能性が高くなる、あるいはうつ状态ではがんの回復が遅れるなど、うつとがんの関係について、②は、自杀者にはうつ病など精神疾患を患っている人の割合が高いことから、自杀とうつ病の関连について、③では、うつ状态のときに脳で何が起こっているのか、それをどう解决し、新しい治疗法をどう开発していくか、ということを研究しています。
広岛大学は、平成23年度、文部科学省の脳科学研究戦略推进プログラム1にうつ病研究拠点として採択されました。本プログラムでは5カ年计画で、脳の可视化(见える化)技术を使って、脳科学に基づいたうつ病の客観的诊断法や自分の脳活动をモニターしながら自分で治疗するニューロフィードバック治疗などの开発研究を行っています。可视化(见える化)は、惭搁滨2という机器を使うことで可能となります。「见える化」することで、心の动きがどのようになっているか、また気分が落ち込んでいるとき、嫌な思いをしているときに脳のどの部分が関わっているのかを分析することができ、それを用いてうつ病患者とそうでない人の比较などを行っています。

1事业名は「脳科学研究戦略推进プログラム」-「精神?神経疾患の克服を目指す脳科学研究(课题贵)」。そのなかの「うつ病等に関する研究领域」の研究拠点机関として広岛大学が採択されている。
2MRIとは、magnetic resonance imagingの略で、日本语では核磁気共鳴画像法という。核磁気共鳴現象を利用して、生体内の内部の情報を画像にする方法である。

写真:MRI

产学连携―モノづくりのパラダイムシフトの必要性

先述したうつ病の研究を行いながら、2年前からは文部科学省に応募して採択された革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)3「精神的価値が成長する感性イノベーション拠点(感性COI拠点)」がスタートしており、私はそのリサーチリーダーを務めています。これは、大学がイノベーションを起こすことが求められていることを踏まえた上で、研究成果のモノづくりへの応用というテーマの中で、産学連携する事業です。中国地方に拠点を置くマツダ、中国電力、アンデルセンなどの企業が関わって共同研究をしています。
例えば、マツダは「Be a driver」4というコンセプトを打ちあげ、感性に訴える自動車の開発に取り組んでいます。多くの自動車メーカーは、安全性の追求などから自動運転車の開発に取り組んでいますが、マツダは安全性を追求しつつも、運転を通してわくわくするような車の研究開発に力を入れています。
このようなマツダのコンセプトの中で、感性をテーマに何か共同でできないか、という话が出てきました。これまで、うつ病の研究がモノづくりに関係があるとは全く考えていなかったのですが、わくわくする感情や感性はうつ病と反対と言うこともできます。つまり、パラダイムシフトして、楽しいというテーマで、ポジティブでわくわくする感情のプラスの侧面に着目することにより研究をモノづくりに関连させていく、こういう点で私の研究が贡献できるのでは、と考えました。
今、モノが溢れた社会ですよね、しかし、みんな豊かで幸せになったのかというとそうでもありません。精神科の患者は増える一方です。大量生产?大量消费社会では、人は必ずしも幸せにならなかったことをすでに経験しているわけです。したがって、心が豊かになる新しいモノづくりをすることが今后不可欠だと考えています。

3革新的イノベーション创出プログラム事业摆1闭:広岛大とマツダが连携したプロジェクト「精神的価値が成长する感性イノベーション拠点」が採択されている丑迟迟辫://飞飞飞.箩蝉迟.驳辞.箩辫/肠辞颈/
4マツダ株式会社贬笔:丑迟迟辫://飞飞飞.尘补锄诲补.肠辞.箩辫/

写真:山脇先生

日本と世界の违い

日本の现状、特に若い世代は、将来の明るい展望が持ちにくい时代と言えます。うつ病は、明るい展望が持てないという病的なサイクルに入ることから絶望感に浸ってしまい、このまま生きていてもしょうがないと考えてしまう病気です。私は、今の日本人は、健康な人でさえ抑うつ的だという印象を持っています。人口构成的にも、高齢者が増えて若い人が减っているので、日本経済は构造的に右肩上がりにはなれません。
一方、インドやインドネシアで讲演した际に闻きに来た若い方々は、「なにかやってみたい」、という希望で目が辉いています。私の若い时代も、この先には今よりいいことがあるという期待感や梦がありました。今の日本人学生は头脳明晰ですが、絶対このチャンスを掴んでやろう、という迫力に欠けるように思います。ハングリーではないということかもしれません。
日本は物に溢れて何にも困ってないから、强く求めるものが少ないのです。脳科学的に説明すれば、脳の中にある报酬系と呼ばれるモチベーションサーキット、つまり、「ニンジンをぶら下げるから走る」という时に活跃する回路が慢性的にサチュレート(蝉补迟耻谤补迟别:饱和する)しており、やる気モードが発挥されにくいと考えられます。
私は现状に愚痴を言うだけでは何も変わらないと思っています。逆境なら逆境であることを认识したうえで、サバイブするために何を求めていくかが大切だと実感しています。「今の状况を抜け出したい、自分のやりたいことができていない」という思いから何かを求めるのです。それがないとモチベーションサーキットはスイッチが入りません。自分自身もそうですから。日本がこういう时代だからこそ、感性颁翱滨拠点等の事业が学生のモチベーションサーキットを刺激するような仕掛けでありたいと思っています。

自分の人生を振り返って

私は学部时代から今までずっと広岛大学に在籍しています。実は、もともと医学部だったわけではなく、当初は工学部に入学しました。入学当时はオイルショック后で非常に不景気だったうえ、工学部で学べることが自分のやりたいことと少し违うな、と感じたため、1年で辞めて医学部に再入学しました。
医学部を卒业后は、国立呉病院(现:呉医疗センター)で勤务しました。かつて精神科は、鉄格子があって発狂している人たちを受け入れる科だと思われていた时代がありました。私が卒业した当时の精神科病院は人里离れた山の上にあって、まだ収容施设というイメージが强かったですね。
かねてから私は、精神の异常は「脳に何か起こっているからではないか」と思っており、精神科に入局してから研究したいと申し出ました。しかし、当时は精神疾患を科学的に解明するのは困难とされ、心が科学でわかるはずないという主张が多数でした。そんな时代に、卒业一年目の私の「脳の研究がしたい」という希望は受け入れられず、国立呉病院(现:呉医疗センター)に勤务を命ぜられました。
国立呉病院(现:呉医疗センター)に就职后、密かに広岛大学薬学部瀬川富朗教授の门を叩き、研究指导してもらいながら検査室の一角で研究をさせてもらっていました。そのような中で、瀬川教授が主催された国际薬理学会で偶然知り合った日系人が、ワシントン大学薬理学の教授で、その出会いがきっかけとなりワシントン大学に留学することができました。この留学は、科学技术庁の在来研究员の応募で採用されたもので、期间は1年间でした。
私は留学先のアメリカで初めて、がん患者の心のケアという分野があることを知りました。がん患者の精神的ケアについての学问分野をサイコオンコロジーと言いますが、当时の日本ではそうしたケアは皆无であり、がんと精神科は関係ないとされていました。
アメリカから国立呉病院に帰ってきた后、アメリカで学んだ「がん患者の死の恐怖に対して精神的なケアが必要だ」ということを活かすために、当时研修医だった内富庸介先生(现在、国立がん研究センター部长)とともに内科や外科などの全ての科に、「何かメンタルの问题があれば私たち精神科医に连络してください」、と言って回りました。これが日本で初めてのサイコオンコロジーの実践だったのです。今や日本でも、がん患者の心の苦痛や痛みの缓和ケア医疗体制ができなければがん拠点病院にはなれませんが、当时は「そんな患者はいませんよ」と言われ、拒絶されていました。
アメリカから帰国して数年后(1989年夏)、当时の精神科教授が定年を数年残して退职され、后任の教授选考が始まりました。翌年2月に医学部长から电话があり、「精神科はもっと科学的である必要があるので、君を教授に选考しました」と言われて、大変惊きました。医学部を卒业して11年目の出来事でした。时代背景としては、ちょうどベルリンの壁の崩壊の直后であり、世界的に、「何かが変わらないといけない」という风潮に后押しされたのかもしれません。

写真:山脇先生

指导方针-アンメットニーズの提供とモチベーションの维持

私の指导方针は、研究の方向性を示すことと、アンメットニーズ5见つける若手研究者にやりたい研究のチャンスを作ることだと思っています。そのために若手と议论して研究费を申请しますが、具体的な研究の展开は若手研究者のアイデアを尊重しています。私はトップダウン型の指导者ではありません。研究の方向性とポイントを助言した上で、本人のモチベーションを引き出すことが教授の最大の仕事だと认识しています。
例えば、教授が部下を强くコントロールしすぎると、彼らの自由な発想に基づく研究ができない可能性もありますし、その人はずっと部下であり続けることにもなります。そこで私は若手研究者に対して、「がん患者の心のケアはアンメットニーズだ、何か研究してみたらどうか」、または、「○○○が満たされてないニーズなので新たな研究テーマになりうるのではないか」など、将来の方向性は提示しますが、自主性を尊重し、本人がモチベーションを持てるような指导を心がけてきました。その当时の部下たちは、今は全国の精神科教授や国立がん研究センター部长などとなり、日本の精神医学や缓和医疗の中心人物として活跃しています。
5医学分野では、アンメット?メディカル?ニーズと呼ばれることもある。まだ満たされていない医疗上の必要性、未充足の医疗ニーズを指す。

オフの时间と息抜きの方法

趣味はテニス、温泉めぐりと音楽鑑赏ですが、今は忙しくてなかなかオフの时间がとれません。国内外の学会などで出张するときの飞行机での移动时间で音楽を聴いたり、学会の隙间に街歩きをして异文化に触れたりする程度です。
私は音楽が好きなので、息抜きに时々ドラムを叩いています。毎年精神科の忘年会ではバンドを组んで私はドラムを叩くんですよ。オペラも好きなので、时间がうまく合えばオペラを鑑赏することもあります。

学生の皆さんへ―人との出会いとモチベーションを大切に

自分の人生を振り返ってみると、すべて「人との出会い」と「运」だったと感じています。国立呉病院で研究をやらせてくれた上司、薬学部で研究指导してくれた教授、ワシントン大学で研究指导してくれた日系教授、私とともに一绪に仕事してくれた仲间、そうした私を引き上げてくれる先辈方がいて、今教授として仕事ができていると思っています。
感性颁翱滨拠点のプロジェクトリーダーをしているマツダの技术研究所前所长の农沢隆秀技监も、私が1年间だけ在籍していた広岛大学工学部の1年后辈で、その后も部活で一绪に山登りをしていた仲间でした。30年ぶりに产学连携の会议で偶然再会することができ、意気投合して感性颁翱滨拠点で共同研究をしています。これも不思议なご縁ですね。
私は、学生の皆さんに是非広岛大学の博士课程前期?后期に进学してもらいたいと愿っています。就职に有利かどうかだけで将来を考えるのではなく、自分がやりたいことが见つかるかどうかが最大の重要ポイントだと思います。私は、本当は博士课程前期(修士课程)からそうであってほしいと思いますが、やりたいことを见つけて、是非博士课程后期に続けて进学して何かを掴んでもらいたいと思っています。
社会が求めるアンメットニーズを考えながら自分でやりたいと思う研究は、同时に公司も求めている研究かもしれません。ある公司に入社することをゴールにするとそれ以上のことはできませんが、それ以上のこと(この公司でこんな研究をしたい)をしようとすると、その人材を公司がほしいと思うでしょう。目标を持ってやりたいことを研究している人が公司にマッチした时に、自分が求められる人材になれるのではないかと思います。
そのためには研究のモチベーションを駆り立てるだけの兴味を持ち続けられうるかが重要です。私は気持ちは30代のときとそんなに変わらないつもりですが、気が付いたら60歳を过ぎてしまいました。広岛大学で好きなことをずっとやらせてもらい、私としてはとてもハッピーな人生を送らせてもらっています。学生の皆さんにも、好きなことに対するモチベーションをずっと持ち続けてハッピーになってもらいたいと愿っています。

取材者:二宮 舞子(総合科学研究科 総合科学専攻 社会環境領域 博士課程前期1年)


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