麻豆AV

「赤ちゃんを亡くして(3)病気や障害を否定しない」

広岛市の础子さん(32)は2006年3月、妊娠7か月で受けた超音波検査で、おなかの赤ちゃんに重い病気が见つかった。
「ポッター症候群」。先天的に肾臓に问题があり、生まれたとしても长くは生きられない。「初めての赤ちゃんなのに、なぜ?」。毎日泣き続け、食事もとれず、家に引きこもった。

数日后、広岛大病院の遗伝子诊疗部を、夫と両亲と一绪に访ねた。同部は「遗伝カウンセリング」を行う部门。様々な科の専门医や看护师らが、遗伝病や先天性の病気の情报を患者に提供し、チームで支える。「つらかったでしょう」。准教授で助产师の中込さと子さんは、背中をさすりながら话を聴いてくれた。「死ぬと分かっている子を产むのは怖い」「せめて痛くない出产はできないか」「次は元気な子を产めるのか」……。础子さんと家族の质问に医师が答えた后、中込さんからこう言われた。「今、考えないといけないのは、おなかの赤ちゃんのことですよ」1週间后にも同部を访ねた。おなかの子は元気らしい。中込さんから寻ねられた。「赤ちゃんを、どんなふうに迎えたいですか?」このころから、础子さんの気持ちに変化が表れた。
そうか。见送るのではなく、迎えるんだ。私は、顽张って生きているこの子の母亲。予定日までの2か月间、たっぷり爱情を注いで、笑颜で迎えなきゃ――。「病気や障害は深刻なことだけど、『いけないこと』と否定的に见ることではない」。中込さんの言叶がやっと理解でき、子へのいとおしさがこみ上げた。それからは、しっかりご饭を食べた。母と妹と3人で、赤ちゃんが寝るカゴや枕、布団、帽子を作った。名前は「阳来」と名付けた。日だまりのような温かさを与えてくれる、そんな意味を込めた。出产は5月、女の子だった。生后数时间の命かも、と言われていたハルちゃんは、予想以上に元気だった。多くの医师らと话し合いを重ねて决めた通り、痛みや苦しみを抑える最小限の治疗を行いながら、家で一绪に生活できた。笑颜がすごくかわいかった。秋には家族で红叶を见に出かけた。
そして翌07年1月。娘は、母亲の腕の中で眠るように息を引き取った。7か月余りも顽张ってくれた。「ハルからは多くのことを教えられた。今は、娘を思い出すと温かい気持ちになる。遗伝カウンセリングのおかげです」。础子さんはその后、2人の子に恵まれ、天国の姉のことを何度も话して闻かせている。

おなかの赤ちゃんに重い病気が见つかった时、家族は、特に母亲は、大きな不安と恐怖に袭われます。「医疗従事者も、その家族にどう寄り添っていけばいいのか分からない。踏み込んで接するのが怖く、『今回は残念でしたね』という言叶で终わってしまう。こうして家族は、医疗従事者との间に沟を感じたまま、途方に暮れてしまうのです」。
広岛大遗伝子诊疗部の产科医、兵头麻纪さんは、多くの产科现场で见られる现状をこう説明します。遗伝カウンセリングでは、こうした母亲や家族に、病気の正确な情报を伝えるとともに、自分たちで治疗方针を决められるようにサポートします。そのために、こうした医疗のトレーニングを积んだ产科、小児科、内科の医师や看护师、助产师らが、チームで最善の方法を考え、家族と话し合います。同部の助产师、中込さと子さんはこう言います。
「家族が自ら纳得のいく医疗を选択できたかどうか――。そのことが、赤ちゃんが亡くなった后の家族の心に影响します。グリーフケア(爱する人を亡くした悲嘆のケア)は、病気の赤ちゃんがおなかにいる时からすでに始まっているのです」。

日本人类遗伝学会のには、遗伝子に関係する病気の诊断や治疗、カウンセリングができる「临床遗伝専门医」の一覧が掲载されています。

阳来ちゃんのアルバムを见る础子さん

ピンクの服がよく似合う阳来ちゃん

中込さん(左)と兵头さん

(広岛大病院遗伝子诊疗部で)


up