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研究者への轨跡

コンピュータで化学する

氏名:相田美砂子     

専攻:化学専攻

职名:教授

専门分野:量子化学

略歴:
1979年3月 お茶の水女子大学大学院理学研究科修士課程修了
1979年4月 国立がんセンター研究所生物物理部研究員
1986年7月 理学博士(東京工業大学)
1998年10月 広島大学理学部教授
2000年4月~ 広島大学大学院理学研究科教授(現在に至る)

 

専门の量子化学は、コンピュータを使って、量子力学に基づき、分子やその集合体の构造や反応性を予测?设计する研究分野です。生命科学や物质科学、情报科学などとも関係した幅広い研究ができることも面白さの一つです。私が中高生だった顷、コンピュータを使って化学の研究ができるなんて、思いもよりませんでした。最近は、どのような分野でもコンピュータを使ったシミュレーションや解析が不可欠になっていますが、今はまだない、新しい分野が、みなさんが大人になる顷にはあるかもしれません。ぜひ、みなさんも、未来の科学?技术を発展させる一人となって、次の世代につなげていってください。
 

私は、子どもの顷、とくに研究者を目指した、ということはありませんでした。いつのまにか研究者への道を歩み始めていた、というのが正しいと思います。大学に入るときに化学科を选びましたが、とくに化学が好きだから、というわけではなく、むしろ数学の方が好きでした。そのせいか、学部4年生のときに研究室を选ぶとき、実験系ではなく、当然のように理论系を选びました。その后も、とくに研究职をめざして、というわけではなく、ただ、そのときのテーマがおもしろいから一生悬命取り组む、ということを続けていただけでした。修士课程在学中に、国立がんセンター研究所に研究职として就职する道へのめぐり合わせがあったので、修了后、そこに就职しました。このように书くと、いい加减に过ごしてきたかのようにきこえるかもしれませんが、そうではありません。人生は先の方までは见通すことはできないのだから、その时その时に、自分がやるべきと思ったことに一生悬命取り组めば、おのずと道が开けてくる、と私は考え、そのように顽张ってきましたし、今もそのように考えて顽张っています。
 

国立がんセンター研究所でいろいろな先輩の研究者に「厳しく」鍛えられて、少々のことにはへこたれない強い気持ちを身につけさせていただきました。研究所に就職後、約7年で理学博士の学位を取得しました。その頃には、自分を「研究者」だと言えるようになっていました。 国立がんセンター研究所の研究員のときも、広島大学理学部に教授として赴任してからも、研究の中心は、コンピュータを使った量子化学計算です。私は、今、さまざまなアルゴリズムを用いて、生体系や凝集系における特異的相互作用に基づく現象を理論的に理解し、予測や設計をすることをめざしています。
 

人生における「ワークライフバランス」は、人それぞれに违っているものだろうと思います。私は、在学中に结婚していましたが、研究一筋の20歳代を过ごしました。学位授与式の后2ヶ月ほどの顷に出产し、产休以外は休みをとらず研究に戻りました。国立がんセンター内に保育园があったので、そこに子どもを预けました。子どもが1歳半から4歳半までの3年间、家族で(子连れで)アメリカの研究所に研究者として滞在し、帰国后は、元の研究所に戻り、研究所の近くの区立(东京都)の保育园に子どもをあずけました。お迎えは、私か夫のどちらかが、必ず夕方5时过ぎに行きました。このように、出产后约10年间は、子ども优先の生活パターンにしました。子どもが10歳になった顷から后は、どちらかというと仕事优先の生活パターンにし、现在は、完全に仕事最优先の日々を过ごしています。
 

私は研究者という道を歩み始めていましたが、结婚も出产も、人生の一场面であり、私の研究者としての歩みを妨げるものではありませんでした。もちろん、夫にも子どもにも感谢の気持ちを持っていますが、人生を协力しあうのは、「あたりまえ」のことです。私も家族に协力し、家族も私に协力してくれる、これは「あたりまえ」のことです。これらが「あたりまえ」といえるような、そのような家族をもつことは、人生におけるさまざまな选択のうちの一つです。
 

今、広岛大学全体では约4割、理学部では约2割が女子学生です。もっと多くの女子学生に、広岛大学理学部に来て论理的な考え方を身につけ、自分なりの道を见つけていってほしいと思っています。


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