
コケばか诞生记?人に魅せられ、コケに魅せられて
氏名:出口 博則
専攻:生物科学専攻
职阶:特任教授
専门分野:植物分类学特に蘚苔(コケ)植物の分类
略歴:理学研究科教授。理学博士(広岛大学)。1948年生まれ。奈良県立郡山高校卒业。奈良教育大学教育学部特别教科理科卒业。広岛大学大学院理学研究科博士课程単位修得退学。日本学术振兴会奨励研究员、高知大学理学部助手、讲师、助教授、教授、広岛大学理学部教授を経て现在に至る。学部学生时代より植物の种多様性、生き様に感动し、分类や分布、生态研究への道に入る。コケの分类学的研究のため国内各地はもとより、南米、东南アジア、中国、オーストラリア、北极地域等で野外调査活动を実施。趣味は旅行。
高校教员を目指して
全国に吹き捲った大学纷争の嵐も终息期を迎えていた顷、わたしは新设された高校理科(生物)教员养成课程の学生として、地方大学の教育学部に第1期生(定员5名)として入学した。当时は教员の採用は比较的広い门であった。学生は、入学后は必要単位を取得し、3年半后にある4週间の教育実习と教员採用试験をパスすれば、あたかもベルトコンベアーに载せられたように、卒业し、高校あるいは中学教员が半自动的に製造される状况であった。わたしは入学后、そのコンベアーに首尾よく乗り込み、軽音楽部に入部しギターを习いはじめ、生物研究会に入り、动植物を求めて山野の自然に亲しみ、アルバイト(教员志望ということで主に家庭教师)して小遣いを得るという、优雅な学生生活がはじまった。
碍先生との出会い
1年生の冬を迎えたころ、梦中になって植物分类の研究されている碍先生(32歳)に出会い、学者の姿を见た。日阴の、じめじめした场所に生える、花の咲かない、目立たないちっぽけな植物の研究をされていた。普通の植物でない変な植物の研究をする风変わりな先生であった。自分の在籍する学科にはほかにも何人かの生物の先生がおられたが、とりわけ碍先生に强く惹かれた。卒论に生物を志望する学生は生物研究会の部屋(実际は卒业研究についている学生の実験室)にたむろしていたが、その部屋は碍先生の研究室に隣接していて、そこに碍先生がよく姿を见せられ、学生と生物谈义をされ、その话题がふだん讲义室では闻くことのできない植物学の“特殊讲义”であった。
感动のしかたを学ぶ
先生はコケの分类学者でありながら、藻类から花の咲く植物(顕花植物)にいたる幅広い植物群について、兴味ある话题をあふれんばかりに学生に楽しく语ってくださった。また、学生が企画した山歩きによくつきあっていただいた。わたしたちにはありふれた植物でも先生の目にふれると普通でなくなった。学生たちがたむろした部屋、そして多くの学生が出入りする先生の研究室、先生と歩いた山野が実质的な教育の场になっていた。ここでわたしは、先生から植物をどのように楽しみ(観察し)、どのように感动するのか(観察するのか)、どのように味わうのか(解釈し、议论するのか)、というような植物分类や形态学を学ぶ基础を学び今日のわたしの骨格ができたように思える。
“学生のたまり部屋”で育つ
この特殊讲义の行われる部屋で、わたしはほぼ4年间生活できた。この部屋で、他大学大学院进学(在籍する大学には大学院はなかったので)を目指す上级生たちは英语やドイツ语の自主轮読会をやっていたが、それに参加させてもらったり、卒论生の研究をそばで见せてもらい、実験をさせてもらった。この环境が4年间の学生生活を豊かにしたように今ふりかえてそう思える。こうしたわがままを黙认していただいた先生がたの寛容さに育まれ、わたしは次第に强く研究生活を志向するようになり、ついに大学院进学を决意した。碍先生はこの轮読会にも出てくださり、学生の自主的活动を支援していただいた。碍先生はご研究のために野外调査によく海外に出られた。海外にまで出かけて生物学の研究をするという行為がひどく魅力的であった。多くの强い刺激を受けて、自分も先生のように世界を飞び跳ね、多様な植物に触れたい、植物を研究したい(楽しみたい)という思いが募るとともに、この先生との交流を将来も継続していくことができればという思いから、3年生の秋顷に、先生の専门と同じ植物分类の研究への道に进むことを决意した。そして、先生から広岛大学大学院を勧められ、研究の道に飞び込むことになった。
コケと游びコケに学ぶ
わたしはどうも论理的思考能力に劣り、数学の才もない。さらにひどい近眼で目を使う细かな作业は体に悪く、职业にはそれを避けたいと思っていた。书ききれない多くの身体的コンプレックスをもっている。しかし、根気だけは人并みにあり、生物の行动や形や种类の多様性に「面白いと感じる能力」はかなりあると自认している。そして野外に出て、自然に亲しむことが好きである。中学校时代に出会った理科(生物)の先生がそのことを教わった。その顷からこういうような自分を生かす职は高校时代には中?高校の生物の教员しかわたしの头にはなかった。「研究职」という职の存在すら知らなかった。分类学研究は「钝、根、感」を旨とするとある学者が平素なかば冗谈まがいに语っておられたが、わたしにはうってつけの、たいへん包容力のある魅力ある学问分野であると満足して、楽しくコケと戯れている。世界のコケを相手にし、それを通して世界中の多くのコケ仲间との交流を楽しんでいる。